第86話 次期当主拝命式(1)

 王都ウィステリアに鐘の音が鳴り響く。特別な儀式があるときだけ鳴らされる金鐘フリージアの音に、ウィステリアの人々は王宮につながる大通りへと詰めかけた。


 八百屋のロシェもその鐘の音を聞き、家を飛び出してきた一人だった。同じようにやってきた知り合いの魚屋のヴェリと金物屋のフラウとともに、人々がひしめき合う大通りを目指す。どうにか場所を確保した三人は主役の到着を待ちながらお喋りに花を咲かせていた。


「今日はサーシャ家の次期当主拝命式だよ」

「あの化け物姫にとうとう相手が見つかったのかい?」

「なんでも妖魔の血が混ざった男が相手らしい」

「化け物には化け物がお似合いってわけだな!」

「こらフラウ、誰が聞いてるかわからないのに滅多なことを言うんじゃないよ」

「構わねえさ。皆が言ってることだろ」


 口を慎めと諌めるロシェに、フラウはお行儀悪く舌を突き出して言い捨てた。ウィステリアの人々が口々に噂するのはリリスの相手の事だ。数ヶ月前、魔法都市ヘパティカで元諜報部将軍が引き起こした事件はあっという間に世間へ知られることとなった。それに付随して、勘当寸前だったサーシャ家の次期当主候補にようやく相手が見つかったと言う噂も合わせて広まったのだ。妖魔の血が混ざる彼をリリスの相手として認めるかどうか。それが王宮内で大きな議論を巻き起こしたからだ。


 だが何より人々を驚かせたのは、サーシャ家当主が下した決断だった。妖魔に対して一番否定的であり、魔法使い契約を結ぶことを是としなかったサーシャ家当主は自らリリスの相手の身元引受人になり、彼をリリスのパートナーとして認めた。一体彼のどこに当主が認める要素があったのか──王宮に務める人間はもちろんのこと、それ以外の人々も大いに興味を持ち、噂をした。それゆえに人々はサーシャ家当主が認めたリリスの相手をひと目見ようと大通りに詰めかけているのだった。


 先触れの白服の兵士に導かれるように一行が大通りを進む。魔法使いが関わる儀式の時だけ見られる、魔法で形作られた兵士だ。その後ろには、サーシャ家を象徴する赤で統一された馬具で彩られた白馬が何頭も続く。先頭を進む、厳しい顔つきの男性が現当主、その後ろに続くのが次期当主であるリリスだった。


「しばらくお姿を見ないうちにすっかり美しくなられたねえ」

「父上に似た、意志の強そうな瞳をしているじゃないか」

「出来損ないだという話だったが、いやはや噂なんてものはあてにならないなあ」


 サーシャ家に何度か出入りしたことのあるロシェは次期当主の少女の変わりように感嘆の息をつく。残りの二人も見る前はあれだけ口さがないことを言っていたのにも関わらず、すっかり彼女に見とれていた。


 赤い宝石が散りばめられた銀のティアラが朝日を弾く。複雑に編み上げられた蜂蜜色の髪は、サーシャ家の紋章である赤い六華が花開くマントによく映えている。次期投当主の凛々しい姿はとても目を引いたが、何より人々が目を奪われたのは彼女の後ろから現れた青年だった。


 流星がひく尾のように美しい銀糸の長髪。魔法使いたちに力を与える魔石、天青石セレスタインの如く澄み切った空色の瞳。整った顔立ちに、すらりと白馬を乗りこなし、優しく次期当主に微笑みかける好青年──人々が畏怖する妖魔とはかけ離れた姿の美丈夫に、彼を見た者たちは興奮気味にささやきあった。


「なかなか凛々しい青年じゃないか!」

「邪悪さは微塵も感じられないな」

「さすがロイド様のお眼鏡にかなっただけのことはある」

「混ざりものだと言うからどんなものかと見に来たけれど、いやはや良いものがみれたぞ」

「エルム家当主の例もあるから即断は出来んが、彼ならきっと次期当主をしっかり支えてくれることだろうよ」

「フールル事件は不幸な行き違いだった。ありゃ王宮の保守派の連中が悪かったのさ」


 セレスを見た三人が真っ先に思い浮かべたのは、十五年前エルム家当主を襲った悲劇だった。三家の中でもより強い力を求め、人に害を加えない妖魔と魔法使い契約を結ぶことが多かったエルム家の者たちだが、現当主は最上級の力を持つと言われる美しい女妖魔と契約を交わした。


 ところが妖魔と魔法使い契約を結ぶことに否定的な魔法使い一派が「エルム家当主のパートナーである妖魔が仲間を集めて王宮襲撃を企てている」と声高々に主張し始めた。「妖魔との魔法使い契約を破棄しなければエルム家当主は王から断罪される」という言葉を信じた妖魔は命と引き換えに契約を破棄し、エルム家当主だけがかろうじて生き残った。それが十五年たった今も痛ましい出来事として人々の記憶になお残るフールル事件である。


 事件を期に純粋な妖魔と魔法使い契約を結ぶことは禁じられ、エルム家の力は大きく削がれた。サーシャ家当主のロイドもその一派に属していたと噂されるだけに、今回彼が娘の相手として半妖魔の青年を認めた事実は何よりも大きな衝撃を人々に与えたのだった。


「あの二人なら、きっと悲劇は起こるまい」

「見りゃわかるさ、あんなにお互いを信頼している目をしてりゃあな」

「まったくお似合いの二人だよ」


 緊張を滲ませる次期当主に寄り添い優しく声をかける青年の姿に、人々は口々にサーシャ家は今後も安泰だろうと噂する。古い保守派の家に、彼らは新風をもたらした。これからの時代を築いていくだろう二人に、祝福の声がかけられる。伏し目がちにはにかむ次期当主の少女は、とても幸せそうな顔をしていた。


 厳かに鳴り響く金鐘フリージアの音と人々の歓声に見送られ、三人が城門をくぐっていく。ここからは、限られた魔法使いのみが参加できる儀式となる。ロシェは若い彼らの門出がどうかうまく行きますようにと願いながら、友人たちとともに家へと帰っていったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る