第85話 帰郷
遥か彼方、丘の向こうに見えるのは水色の尖塔が四つ。その塔を礎として、都市の周りには複雑な魔法壁が築かれている。魔法国家セルビアの王都ウィステリア。国一番の堅固な魔法壁によって護られるその都市は絶対的な守備力を誇ると同時に、セルビア中の魔法力を結集して作られたものでもあった。
「戻ってきたのね……」
魔法都市へパティカからサーシャ家の各分家筋を巡る旅が終わり、リリスとセレスは本家の屋敷があるウィステリアへと戻ってきた。あと半月後に行われる次期当主拝命式に出席する。それがリリスとセレスに残された最後の試練だった。セルビアには魔法使いを多く排出する名門がサーシャ家の他にあと二つある。エルム家とウィステ家――サーシャ家と合わせて魔法使い三本柱を成す一族の当主と
「ようやくだな」
「ええ。とうとう……ここまで来てしまった」
「戻ってきたくなかったのか?」
「だって……ウィステリアへ来たら、今までよりもさらにセレスの自由がなくなってしまうわ。ヘパティカより、アコナイトより、妖魔に偏見のある人達がたくさんいるのよ。私と一緒に来なかったら、セレスはそんな目に合わずに済むのに――」
つい熱の籠るリリスの言葉を遮り、セレスは大きく首を振った。今までに何度もリリスと交わしたやり取りだ。リリスと魔法使いの契約を結ばなければ。リリスがサーシャ家次期当主でなければ、セレスはもっと自由でいられたのに。偏見の目で見られることもなく、妖魔だと蔑まれることもなく、人と関わることなく過ごせたのに。そう言い募るリリスの目にはいつも不安の色が浮かんでいた。
それは違うのだと。セレスがたくさんの言葉を重ねてようやく、リリスの不安は少しずつ影を潜める。薄紙をはぐように、ゆっくりと。けれどその不安はすぐにまた蓄積され、些細なきっかけで噴出する。安心する言葉がほしいのだとセレスはよく理解していたから、彼女の望むものを与えるのはちっとも苦ではなかった。それでも、どうにかして彼女の不安ごと取り除いてやりたいとセレスは考えていた。
「リリス。俺は、自分でリリスを選んでここに居る。言っただろう? リリスのそばにいられるなら、どんなに自由が奪われようとも、どれほど蔑みの目で見られようとも構わない。俺の居場所はリリスの隣にある。それだけが、俺の望むものだ」
ゆっくりと、彼女の心に染み込んでいくように言葉を重ねる。何も不安に思うことはないのだと、リリスに思ってほしかった。リリスがセレスの隣にいたいと望むように、セレスもまた同じ思いなのだと理解ってほしかった。長い時を経て、ようやく見つけた宝物――愛らしく、いとけない彼女はただひとり、この手で護りたいと思えた存在だった。
「ずっと傍に居たいという気持ちを伝えるとき、人間は贈り物をするのだと聞いた。リリス。これを……受け取ってくれないか」
セレスが懐から小さな小箱を取り出す。ヘパティカを出発する前、シャンディに頼んで特別に設えてもらったものだ。中に入っていたのは、セレスにつけられた指輪型の枷とおそろいのものだった。
「セレス、これ……」
「気に入ってくれたか?」
「あなたの瞳の色には勝てないけど、とっても綺麗だわ」
「そうか。それなら作ってもらった甲斐があったな」
セレスの銀の指輪には、リリスの瞳と同じ琥珀色の石がはめられている。だから、リリスに贈る指輪なら絶対にセレスの瞳の色が良いと勧めてくれたのはネリエだった。シャンディが紹介してくれた腕の良い細工師に頼み、加工が難しい魔石の天青石で仕立ててもらった指輪はどうやら気に入ってもらえたらしい。少し涙ぐむリリスの手を取り、セレスはゆっくりと指輪をはめる。思ったとおり、その色はリリスの白い肌によく映えた。
「ありがとう、セレス。すごく……すごく嬉しい」
「俺はずっと、リリスの傍に居たいんだ。嬉しいときも、悲しいときも、怒っているときも――全部、傍にいてリリスの感情を共有したい。俺に、その資格をもらえるだろうか」
「そんなこと……嫌だなんて言うわけないじゃない。私も、セレスと一緒に居たい。たくさん迷惑をかけちゃうかもしれないし、嫌な思いもいっぱいさせるかもしれない。でも、私もたくさん頑張るから。妖魔だから……なんてことを言われないように、いっぱい頑張って強くなる。だからずっと、私の傍にいてほしいの」
ほたほたとリリスの頬を滑り落ちていく涙をセレスがそっとぬぐう。わたし、とっても嬉しいの。そうやって涙をこぼす少女の手を引き、優しく抱きしめた。人にも妖魔にもなりきれないセレスにひだまりのような温かい世界を教えてくれたのは、人一倍傷つきやすい泣き虫少女だった。誰にも受け入れられず、魔法使いになれなかった少女の魔力を扱えるのはセレスだけ。人にも妖魔にもなりきれない半端者のセレスだからこそできる。そのことに、今更ながらに感謝した。
「リリス。これからずっと、その生命が尽き果てるまで、共にいよう――」
甘い囁きが秋風にとけていく。その言葉に少女は一つ大きく頷いて、もうひとしずく、嬉し涙をこぼしたのだった。
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