第84話 藍の魔石

 決闘が終わり、正式に次期当主として鎧城ルーヴェ・デラに招き入れられたリリスとセレスが鋼鉄の魔法使いとともに食事を取り、部屋に戻ってきたのは随分遅い時間になってからだった。スティールやイロンの魔法と武術を組み合わせた話や、カミーユの対妖魔戦術の話は非常に興味深いものが多く、リリスやセレスもつい時間を忘れて話し込んでしまった。


 城奥に湧く温泉に浸かって疲れを癒やし、二人が寝る準備を整えているときのこと。部屋をノックする音に、セレスが少しばかり眉をひそめた。もうすぐ日付が変わろうとする時間に訪ねてくるものが誰なのか、その気配を扉越しに察知したからだ。


「随分と非常識な時間だな」

「あら、お姫様はもう寝ちゃったかしら」

「カミーユさん! まだ寝てませんよ。どうされたんですか?」

「ごめんなさいねぇ、こんな時間に。ちょっと二人に話したいことがあったのよ」


 言外に中に入れろと要求するカミーユにため息をつき、セレスは渋々扉を閉めようとしていた手を止めた。後ろからひょっこり顔を出した寝間着姿のリリスに肩掛けをそっと羽織らせたあと、彼を部屋の中へと招き入れる。湯冷めしないよう入れていた温かい紅茶を三人分ティーカップに入れ、リリスがいそいそとテーブルに置く。二人分だけで良かったのにとセレスが口を曲げると、わずかに笑いを含んだそっと声でたしなめられた。


「セレス。お客様なんだから意地悪しちゃだめよ」

「こんな時間に訪ねてくるほうが悪い」

「いいのよぉ、リリスちゃん。非常識な時間に来ちゃったアタシが悪いんだもの」


 いたずらっぽく笑ったカミーユは紅茶を飲んでふう、と息をついた。茶色い水面がゆらりと彼の顔を歪める。何を言い出そうというのだろう。セレスが少し警戒をしたように彼を見つめると、カミーユは小さな瓶を懐から取り出した。中に入っているのは、小さな丸がふたつ。夜空の色を映す深い青。セレスよりも随分濃い色をしたふたつの目玉に、リリスもセレスも息を呑んだ。


「――お前が手を下したのか」

「第七研究所にくだされた王の命令は『青の妖魔カイヤを処刑し、その証に両目を王宮へ提出すること』。だから、アタシがやったの」


 一切の感情を映さない瞳でカミーユは言葉を紡ぐ。つまり目の前に置かれたこの目玉こそ、王に提出されるものなのだ。遅れてその意味を理解したリリスが息を呑み、わっと泣き出して顔を覆った。


「わざわざここまで見せに来たのか」

「アンタたちにはアタシを殴る権利があると思ってね」

「たった一人の肉親を殺した男だから、か。まあ……ここでお前に激昂するほど俺はあいつに情を感じていたわけではないが」


 リリスのすすり泣く声が響く部屋の中、セレスがカミーユの胸ぐらを掴み上げた。案外人間らしい情があるのね、と呟いた男の頬を一発殴る。感情がないまぜになってぐちゃぐちゃの胸中が少しだけスッキリした気がした。


「セレス……!」

「悪い。これ以上はしない」

「ふふ、さっきよりはマシな顔になったわね。じゃあここでもうひとつ。第七研究所ではね、妖魔が食べた魔力を蓄積する源の瞳を取り出して、代わりに義眼を入れる研究が進められていたの。この処置をされた妖魔は力を失って、ただの人間と同じになるのよ」


 拳にすがりついたリリスをセレスが抱きしめる。殴られてもなお顔色ひとつ変えず、淡々と言葉を続けるカミーユが告げたのは二人にとって思いもよらないことだった。セレスが瓶の中の目玉と眼の前の男を交互に見る。ここで初めてカミーユはいつもの笑みを浮かべ、言葉を締めくくった。


「アタシがアルライディスより受けた命令はふたつ。青の妖魔に発信機付きの義眼を入れ、隣国の国境まで送り届けること。青の妖魔の目を王宮まで届けること。ここに立ち寄ったのは、一つ目の命令を終えて王宮に向かうついでだったのよ」

「じゃあ、あいつは」

「義眼が馴染むまではしばらくかかるけど、一ヶ月もしたら動けるようになるわ。そうすれば、どこへとなり行けるでしょう」


 カミーユの言葉にしばらくセレスもリリスも言葉を失ったままだった。先程落ち着いた感情が再び心をかき乱す。生きていてほしかったとも、死んでほしかったとも言うことはできない。だが、彼が生きていると知って心の奥底で安堵した。リリスがこれで泣き止む。安堵した理由はただそれだけなのだと自分を納得させて、セレスはカミーユに深く頭を下げた。


「――感謝する。先程は殴ってすまなかった」

「いいえ。アタシたちはアンタたち妖魔を退治する側の人間だもの。恨まれたって仕方ないわ。お礼を言うなら、リリスのお父上とアルライディスに言いなさい。この件について、一番尽力してくださったのはその二人だから」

「お父様とアルさんが……?」


 驚くリリスに微笑んで、カミーユは冷めてしまった紅茶を飲み干した。セレスは「カイヤを助けるのは無理だ」と告げた二人を思い出す。ロイドとアルライディス、第七研究所の人々。それだけの人たちがカイヤを助けるために動いてくれたのだ。多くの人を殺したはずの、たったひとりの妖魔のために。それは、いざというときにセレスが王宮から刃を向けられても決して見捨てはしないという彼らからのメッセージでもあった。


「二人は王宮では最後まで処刑に反対してたし、決定がなされたあとは何とか彼の命を奪わずに済む方法を模索していたわ。藍の魔石はそこまでするならさっさと殺せと言っていたけれどもね」

「あいつは、自分が妖魔であることに執着していましたから」

「そうね。アンタからはあまりそういう感じを受けないけど、藍の魔石にとってはそれが全てだったんでしょう。ある意味酷な話だと思うけど、アンタはそれでも生きていてほしかったって言える?」


 妖魔の力を奪われて自暴自棄になるカイヤと一番長く接したカミーユだからこそ感じることもあったのだろう。その問いかけにセレスはすぐ言葉を返せなかった。自分のアイデンティティをすべて奪われて、それでも惨めに生きたいと思えるだろうか。今の自分が同じ状況に置かれても、セレスはリリスのために生きていける。だが、彼にはそう思える存在すらもいないのだ。たったひとつ親から受け継いだ縁を失い、生きていくことが幸せだとはとても思えなかった。


「どちらも言えない。だが、俺が今こうして生きていられるのはリリスと出会えたおかげだ。たった一人の肉親として……あいつにも、そんなふうに生きる目的が見つかってほしいと思っている」

「セレス……そんなふうに思ってたの」

「なんだかんだ、あいつと俺は似た者同士だからな。俺がリリスを見つけたように、きっといつかあいつにもそんな存在が見つかるさ」


 ゆるりと微笑んで、セレスは腕の中のリリスをそっと抱きしめた。「妖魔」でない別の存在意義をセレスにくれたひと。ふわりと鼻孔をくすぐる甘いにおいは、リリスがネリエにもらったと喜んでいた香油だろうか。くすぐったそうに身を捩る彼女からずり落ちた肩掛けをそっと戻してやりながら、セレスはもう一度カミーユに頭を下げた。


「あーあ。まったくもう、見せつけてくれちゃってさあ。腹いせに、サーシャ家ご当主とネリエあたりに、虚偽報告でもしとこうかしら」

「頼むからやめてくれ……俺の命が危なくなる」

「え? セレス、誰かから命を狙われてるの?」

「お姫様はもうちょっと気をつけなきゃだめよ。男はみんな狼なんだから」

「誤解を生むような言動も謹んでくれ……」


 ひとの悪い笑みを浮かべるカミーユをリリスから引き剥がして、乱暴に扉の方へと押しやる。彼は唇を尖らせながらも、手をひらひらと振りながら部屋をでていった。扉の鍵が閉まっているかをよく確認して、眠たげに目をこするリリスをベッドまで連れて行く。今日はきっと、うなされずによく眠れるだろう。そのことに何より一番感謝をしたあと、セレスはいつも通りにリリスが眠りに落ちるまで彼女の手を握ってやったのだった。

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