第79話 塞都アコナイト(2)

「はじめまして、ロイドのご息女。私はイロン・ロムド・サーシャ。当主スティールの名代として参りました」

「わざわざのご足労、痛み入ります。お会いするのは二度目ですね、イロン様。私の次期当主披露式でお目にかかって以来でしょうか」

「……おや、覚えていただいておりましたか。我々も有名になったらしい」


 髪と同じ茶色の眉を少しだけ跳ね上げて、イロンが笑う。リリスが彼らのことを覚えていたのは意外だったらしい。彼がそう思うのも無理はない。当時、リリスは挨拶の口上を覚えるのすらおぼつかない、小さな子供だった。二人と言葉を交わしたのもほぼ父で、リリスはただそれを見ていただけである。


「して、そちらの方があなたのお相手ですか。半妖魔……とお聞きしましたが」

「お初にお目にかかります。セレスと申します」

「ふむ……最低限の知性と礼儀はわきまえた方でしたか。魔石を狙って手段を選ばず攻めてくる輩よりは多少言葉が通じるようですね」


 こげ茶色の瞳がじっとセレスを品定めするように見据える。なかなかにとげのある言い方だが、事前にリリスから実情を聞いていたセレスは黙って小さく頭を下げた。イロンはというと、おそらくセレスが言い返すと踏んでいたのだろう。先ほどよりさらに意外そうな顔をして、面白いとつぶやいた。


「こちらの挑発にも乗ってこないとは、よほど飼い馴らされているようだ。まるで躾のきいた犬ですね」

「ここであなたに噛みついても、何の利もありませんので。犬は犬なりに考えているんですよ」

「……少しはモノのわかる妖魔らしい。いいでしょう、まずは第一関門クリアです」


 ついてきなさい、と踵を返してイロンは歩き出した。感謝の言葉を述べるリリスの言葉に返事もせず、さっさと歩いていく彼の後ろを慌てて二人は追いかける。『まずは第一関門クリア』という言葉に、あとどれだけの関門があるのだろうと少し憂鬱な気分になりながら、リリスはセレスとともにルルド・サーシャ家当主が住まう屋敷の門をくぐったのだった。




 その屋敷は、町の北部にある崖の上にあった。濠と城壁に囲まれたその建物は、小さな城と言っても差し支えないほどの大きさだ。鎧城ルーヴェ・デラの名を戴くにふさわしい堅牢な屋敷こそ、スティールをはじめとするロムド・サーシャ家の人間が住まう場所だった。入り口は濠に渡された数か所の跳ね橋のみで、動かすには体に埋め込まれた特殊な魔石が必要になる。この跳ね橋の仕組みはスティールが考案したものだということで、彼らがいかに防衛に苦慮しているかがうかがえた。


「――動作開始アルセキュア


 橋の前で手をかざしたイロンの言葉とともに、巨大な跳ね橋がゆっくりと降ろされる。あまり重さを感じさせないつくりの石橋だが、ほかの城壁などにも使われているところを見ると、防御に適した材質らしい。珍しいものばかりでリリスがきょろきょろとあたりを見回していると、あまりよそ見はされませんよう、と注意の声が飛ぶ。まだまだ信用されているわけではないらしい、と気を引き締めて、そばにぴったりとついて離れないセレスとともにリリスは橋を渡った。


 門をくぐり、建物内に入って最初に案内されたのは小さな客間だった。外観とたがわず、内部も継ぎ目のない石壁でできており、どこか冷たい印象をうける。まるで石牢のようだという感想を抱きかねない部屋は、壁に貼られたいくつものタペストリー、温かみのある色のテーブルクロスやベッド、柔らかなオレンジの光を放つランプによって、かろうじて緩和されていた。


「あまり女性をもてなすのに適した場所ではないかもしれませんが、どうかご容赦を。城主の趣味ですので」


 まるで思考を読んだかのように言い添えるイロンに少しばかりばつの悪さを感じつつ、リリスはお招き感謝しますと頭を下げた。隣できまりが悪そうにリリスと同じ動作をしたセレスを見るに、彼が抱いた印象も同じようなものだったらしい。なにかあればドアの外に使用人が控えておりますから、と言い残し、イロンは部屋から出て行った。スティールに報告をしに行くのだろう。彼の報告次第で、リリスたちがスティールに会えるかどうかが決まる。どうか会えますようにと祈りながら、リリスはそっとベッドに腰を下ろした。


「セレス、我慢してくれてありがとう。おかげでここまでは来られたわ」

「俺は大丈夫だ。過去にはもっとひどい言葉を吐いた人間もたくさんいる。お前が気にすることじゃない」

「大丈夫かもしれないけど……傷つきはするでしょう。ほかの人の前では平気な顔を装ってもいいけれど、私の前では取り繕わないでね、セレス」


 お願い、とそばに来たセレスを少女が見上げる。お前は自分のことを棚に上げて人の心配ばかりするな、と苦笑しながらうなずかれて、リリスはそんなことないと頬を膨らませた。セレスがリリスを選んだことで、彼が本来受けるはずのなかった中傷を受けることが何より嫌なのだ。自分が粗末に扱われるのならどれほどでも耐えられるが、同じことを彼がされるのは少しばかりも我慢できなかった。


「俺はリリスがいつ噛みつくか、というほうがひやひやしたが」

「もう……! 私だって、頑張って我慢したのよ」

「そうだな、あともうちょっと言われてたら俺より先に噛みついてたな」


 くく、とセレスが喉の奥で笑う。二人で旅をする間、半妖魔の青年が人間から差別を受けるたび、真っ先に抗議の声を上げていたのはリリスのほうだった。青い瞳を持って生まれるのは、妖魔の血が混ざったものだけである。それは、多かれ少なかれ妖魔と接する機会の多いセルビア国の人間であれば子供でも知っている知識だ。妖魔とは人間を襲うものである、という定義が根付いた国で、妖魔の血が混ざったものが受け入れられるのはひどく難しい。そのことをリリスはこの旅で改めて再認識せざるを得なかった。


 旅の間、奇異な目で見られるだけならまだましで、宿には泊まるな、町に立ち入るな、という扱いを受けることも多かった。王宮付き魔法使いがその身を保証する。その正式な証明書を見せて初めてしぶしぶ受け入れられるという状況にリリスはいつも納得がいかない様子で、二人きりになってからセレスに謝罪の言葉を並べるところまでがいつもの流れだった。


「ほら、そんな額にしわを寄せていないで、これでも食べろ」

「むぐ……ありがとう……」


 しかめ面をするリリスの口にぽん、と放り込まれたのは、少し前の町で買い求めた砂糖菓子だった。「金平糖」と呼ばれるそのお菓子は、落っこちてきた星を拾い集めたような可愛らしい見た目である。どの味にするか決められないリリスを見て、セレスが全部の味をひとつずつくれと言ってしまったので、荷物の中には六つほど小瓶が収められている。舌の上でそっと転がすと、優しい甘みと酸味が口の中に広がる。レモン味だ、と顔をほころばせると、セレスはうなずいてもう一つ金平糖をリリスの口へと運んでくれた。


「お前がそうやって笑ってくれるなら、俺は誰にどれだけひどいことを言われても気にしないし、許せるんだ。だから俺のそばで笑っていてくれ、リリス」

「……わかったわ、セレス。ずっと、あなたのそばにいる。時々ちょっと怖い顔になるかもしれないけど、笑顔も頑張るわ」

「ありがとう、リリス。俺は今までずっと一人で生きていたし、ずっとそうやって生きていくつもりだった。人とのしがらみなんて、うっとうしいものだと思っていた。でも、こうしてお前と一緒に生きていけるのが、今はとても楽しいんだ」


 嘘偽りのないまっすぐな目で、セレスは幸せを嚙みしめるようにリリスへと告げる。そっと手を重ねられて、そこからもふんわりと温かいセレスの感情が流れ込んでくる。ああ、本当にそう思ってくれているのだ。そう実感できて、リリスは私も、と言葉を重ねた。


「私も同じ。ずっと一人で生きていくのだと思っていたけれど、今は毎日朝を迎えるのが楽しみなの。あなたに出会う前はモノクロのように味気なかった世界が、実はたくさんの色で溢れているんだってわかったのよ」


 そうやって語るリリスの眼は、きらきらとした輝きに満ちていた。セレスと一緒なら、どんなことだって乗り越えられる。どんな苦難だって乗り越えてみせる。そう決意を新たにして、リリスはそっと隣に座る青年の方へと頭をもたせかけた。いっぱい頑張っていてえらいな、と髪をなでてくれるセレスのぬくもりを感じながら、やがてうつらうつらと船をこぎはじめる。何かあったら起こすから。そう耳元でささやかれた言葉にぼんやりとうなずいて、リリスは眠りへと落ちていったのだった。

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