第78話 塞都アコナイト(1)

「ご報告いたします。ご息女リリス様とセレス様の挨拶回りの旅は、非常に順調だそうです。今日にも、塞都アコナイトへ到着される予定です」

「報告ご苦労だったな。下がっていいぞ、エヴェル」

「は。ご用があれば、また何なりとお申し付けを」


 ロイド付きの従者エヴェルは一礼をして、部屋から退出していく。その後ろ姿を見送って、ロイドはほっと息を吐いた。


 本当であれば娘の挨拶回りに現当主として一緒に付き添ってやりたかったのだが、王宮付き魔法使いとしての仕事が忙しく、その要望は叶えられなかったのだ。魔法国家セルビアの王宮付き魔法使いを束ねる三大将軍の一人ともなれば、なかなか長期の休暇は取れない。リリスは元気にやっているだろうか、と今日何度目かわからないため息をついて、ロイドは書類の束に向き直った。


「ここまではみな分家の中でも温厚なものたちばかりだったが、アコナイトの分家当主は一筋縄ではいかないやつだ。無事に終えられるといいが……」


 花都ハイドランジアのレート・サーシャ家、水都プランタインのハイナ・サーシャ家、森都エルムのホルフ・サーシャ家、古都クリプトメリアのレーヴ・サーシャ家。レートとホルフ、レーヴは当主をすでに引退したロイドの父と世代を同じくする者たちが当主を務めており、ハイナの当主は研究に没頭する毎日で本家の動きにあまり興味を持っていない。そのためリリスの挨拶回りは非常に順調だった。だが五つ目の都市はそう簡単にはいかない。そんな予感がロイドにはあった。


 塞都アコナイト。そこに居を構えるのは、国境防衛を一任されているロムド・サーシャ家の一族である。当主は「鋼鉄の魔法使い」スティール・ロムド・サーシャ。防御・補助魔法に優れた使い手で、本来であれば強い力を得ることはできないはずの攻撃魔法にも秀でる両刀遣いだ。彼は、アコナイト随一の天才と謳われる「魔力を使う者ウィザス」で、実弟イロンと契約を交わしている。


 急逝した両親の代わりに三十二歳でスティールが当主となって以来、二十二年間一度もその堅固な壁は他国に破られていない。王からの信頼も篤く、部下からも大変慕われている名将だが――。


「以前スティールについて話したことをリリスが覚えているといいが……」


 どうか五つ目の挨拶回りも無事終わりますよう。祈りを込めてアコナイトのある東の方角を見やりつつ、ロイドはうずたかく積まれた書類の処理を進めていったのだった。





 ひゅう、と荒路に風が吹く。赤茶けた山肌を風が撫でるたび、土埃が舞う。マントの襟を口元まで引き上げて土埃を吸わないようにしながら、山間を抜ける二人の旅人がいた。細い山道を進むと、やがてひらけた見晴らしの良い場所に出る。見下ろすと、遙か下に街が広がっていた。


「あそこが塞都アコナイトか……」


 旅人のひとりがその景色を見て感心したように呟く。なぜ要塞の都市と呼ばれているのか、その形状を見れば一目でわかる。すり鉢状の谷間の底に広がる街は、四方を山で囲まれていた。城壁を築かずとも、街は山に阻まれて容易に進軍できないような作りになっている。まさに分厚い壁でおおわれた堅固な城のような都市だった。


「──塞都アコナイトはね、魔石の産出が盛んなの。ここだけで国内流通している魔石の半分をまかなっているんですって」

「魔石か。通りで不思議な魔力に満ちている土地だ」

「貴方の名前の魔石もここでたくさんとれるのよ」


 旅人の少女はそっと目を伏せて、あなたのお兄さんの名前の石もね、と付け加えた。坑道から運び出されるトロッコにはうずたかく黒い石が大量に積まれている。何の変哲もない石に見えるその塊は特殊な方法で精製され、純度を高めて魔法具として加工されるのだ。


「セレスタイトとカイヤナイト、か。一度、本物を見てみたいものだな」

「魔力をあまり蓄積していないものなら装身具にも利用されるみたいだから、アコナイトに着いたら市場をのぞいてみるのはどうかしら」


 目をきらきらさせて、言外に市場へ行ってみたいと訴える少女に旅人の男は苦笑しながら頷く。ここでも色々見て回ろうな、と言ってやると、マントの下で少女は嬉しそうにはにかんだ。何があるかな、セレスの瞳と同じ色の石があったらいいな、と鼻歌交じりに呟き、上機嫌で歩き出す少女の後ろを追いかけながら、男もまた街の方へと歩き出したのだった。




「この都市に妖魔は入ることが出来ません。それが決まりですので」


 アコナイトに入ることを希望する旅人は、全て南門の門番に手形を見せ、身分を証明しなければならない。その決まりに従い、ふたり分の手形を差し出したセレスに告げられたのは、そんな無情な言葉だった。


「ちょっと待って下さい。この人は、サーシャ家が身元を保証しています。それなのに中へ入れないなんておかしいです」

「そうは言われても、決まりは決まりですので」


 リリスがいくら説得を重ねても、門番の意見は覆らなかった。それがルールなのだと言われても、納得できるはずはない。一度うつむいて言葉をなくしたリリスは意を決して顔を上げ、門番に一つ言葉を託した。


「ならば、ロムド・サーシャ家のスティール様へご伝言を。『サーシャの百合が、鋼鉄の壁を砕きにきた』と」

「なっ……あなたは、あの方に宣戦布告でもするおつもりですか?!」

「そうでもしなければ、妖魔嫌いのあの方は私やセレスに会ってはくれないでしょう。門前払いが関の山です。違いますか?」


 落ち着き払ったリリスとは対照的に、門番は酷く慌てていた。「鋼鉄」とは、そのままスティール、イロン兄弟のことを指す。その二人の「壁」を砕きにきた、と言えば、文字通り戦いを挑んで勝ってみせると宣言したも同然である。


 彼らは非常に優れた護り手である一方で、戦うことがすごく好きな「魔法使い」なんだ、と語ってくれたのは父だった。遙か昔、まだ魔法学院に入る前にサーシャ本家で行われたリリスのお披露目式。そこに集った分家当主たちの紹介をしてくれたロイドの言葉を、リリスはよくよく覚えていた。


「……わかりました。スティール様へ、その言葉をお伝えしましょう。その代わり、どうなっても知りませんよ」


 最終的に折れたのは、門番の方だった。誰か伝令をと人が呼ばれ、慌ただしく紙に書き付けられた言葉が運ばれていく。その様子をただ見守るしかなかったセレスは、変なところで好戦的になる少女を不安げに見つめていた。


「こんな荒っぽいまねをして大丈夫なのか……?」

「ごめんなさい、セレス。スティール様はね、人間以外の人種を大変嫌っているお方なの。この都市の特性上、魔石を欲して集まるのは人間だけじゃないから……でもね、最終的にはきっとわかって下さる方だと思うの」


 だからね、力を貸して頂戴。そうリリスに言われて、セレスはためらいつつも大きく頷いた。彼女がそうやって言うのであればきっと、何か考えがあるのだろう。そう自分を納得させて、大きく息を吸う。遅かれ早かれ、どこかで戦闘になる。その心構えをしておかなければならなかった。


 スティールの元へ伝令が送られて数刻の後。軍靴の音を響かせて、リリスとセレスの待つ部屋のドアをたたいたものがあった。スティールに言われて二人を迎えにきたと告げたのは、イロンと名乗る男だった。

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