第77話 出発の朝

 初秋の風が爽やかに空を渡る朝。魔法都市ヘパティカの門の前には、旅装の二人を見送る影があった。


「それじゃあ、体に気をつけてね」

「落ち着いたら、必ず連絡をちょうだい」


 心配しないで、と明るく告げたリリスの肩をそっと抱き寄せ、セレスはネリエとシャンディに深々と頭を下げた。

 この二人には感謝してもしきれないほど世話になった、としみじみ思う。彼らと、見送りにはきていないもう一人の男の助力がなければ、セレスはリリスとこうして一緒にいることは出来なかっただろう。


 アルにも、世話になったと伝えておいてくれ。そう頼むと、二人は揃って苦笑した。なんでも三日ほど前、唐突に『俺は旅に出る!』と言って出て行ったきりなのだそうだ。もともと一年の半分以上は研究所におらず、今回滞在していたの期間もかなり長い方だったらしい。そもそもひとところに留まれない性分なのよ、と零すネリエに、まあいてても仕事が増えるだけだしちょうど良いんだけど、とシャンディが言い添えた。


「君たちはこれからも定期的にうちの研究所に来るんだから、きっとまたそのうち会えるよ」


 たぶん絶対その時期狙って帰ってくるだろうし。そう諦めた目つきで呟くシャンディに、セレスとリリスは声をそろえて笑った。


 セレスはサーシャ家が身元を引き受ける事と引き換えに、条件付きでリリスのパートナーとして傍にいることを許された。その条件は三つ。セレスがリリス以外の魔力を喰わぬよう、枷をはめること。その枷の調整のために、必ず半年に一度は妖魔研究所へ出向くこと。そして、国外へ出ないこと。つまりは、一生王宮付き魔法使いの監視下の元で暮らすことが条件なのである。


 リリスははじめ、セレスに枷を着けること大変嫌がった。セレスのことになると途端聞き分けの悪くなる親友をなだめ、とっておきの格好いいアクセサリーにしてあげる、と説得したのはネリエだ。女子二人であれやこれやと協議を重ねた結果、その枷は琥珀色の小さな宝石をはめ込んだシルバーリングになり、今セレスの指にはめられている。婚約指輪みたい、と密かに二人がはしゃいでいたとシャンディから聞いたセレスは、リリスへ似たデザインの指輪を贈るべきだろうか、と目下悩み中だ。


「……そろそろ、出発しないとね。日が暮れるまでに、パトリニアの街へ着かないといけないんでしょ」


 そうネリエに促されて、リリスは東の方を見上げる。門まで来たときはまだ建物の陰に隠れていた太陽は、すっかり昇りきっていた。

 パトリニアの街はヘパティカと花都ハイドランジアの間に位置する宿場町だ。旅の行程を決める際、セレスがいるので山小屋や野宿でも構わないとリリスは言ったのだが、親友二人とセレスに即却下されてしまった。綿密に組まれた行程はちょっと過保護過ぎないかとは言い出せないまま、決定事項となっている。


 二人はこれから二か月の間、セルビア各地を巡る旅に出る。目的は、セルビアの主要都市に屋敷を構えるサーシャ家の分家筋へ挨拶に行くためだ。花都ハイドランジア、水都プランタイン、森都エルム、古都クリプトメリア、塞都アコナイト。

 この五つの都市に散る分家の各当主に認められて初めて、リリスはサーシャ家次期当主としての資格を得ることができる。父ロイドからはもう少し落ち着いてからでも構わないと言われていたが、リリス自身がすぐに行きたい、と望んだ。


 最大の目的は、サーシャ家にくすぶる不安と不満に種を早期に取り除くことだ。

 「サーシャの百合」は、本家の人間にのみならず分家の人間に出る可能性も等しくある。サーシャ家はそうやって魔法に秀でた人材を保ってきた。つまりそれは弟妹たちのように、リリスを次期当主として認めないサーシャの人間には「血の誓い」を受ける権利が平等にある、ということだ。挨拶に訪れたさきで儀式を請われる可能性もゼロではない。その危険性を理解していても、今が最善の時期だとリリスは判断した。


 ただでさえ長い間魔法使いになれなかった次期当主候補がようやく魔法使いになったのに、分家筋に挨拶に来ない。それは、人々の不安を更に大きくさせることになりかねないと思った。リリス自身が理由で当主には不適格だと言われるならまだ耐えられる。だが不安と不満が膨らめば、いつセレスを理由に糾弾されるかわからない。だからこそ今行くべきなのだ。


 ロイドとセレスにそう主張すると、はじめは渋い顔をしていた二人もやがては納得した。リリスがそうしたいならば、と言うのが二人の意見だった。強固に反対をされたらどうしよう、とひそかに危惧していたリリスはほっと胸をなで下ろしたのだが、実は誰にも打ち明けていない理由がもう一つあった。それは──。


「……セレス、私のわがままを聞いてくれてありがとう。私ね、セレスと一緒に旅が出来るのがすごく嬉しいの」


 突然はにかんだ笑みを浮かべながらそう告げたリリスに、セレスは虚を突かれたように固まった。またこの子はのろけてばっかりいて、と温かい目で見つめるネリエとシャンディに見守られながら、改めてリリスは胸の内を打ち明ける。


「セレスと一緒のものを見て、感じて、そうやって同じ時間を過ごせたらいいなって思ったの。お屋敷に帰ったらきっと、とても忙しくなってしまうから」

「挨拶巡りを今のうちに、と言ったのは、そう言う訳だったんだな」

「もちろん不安を抱いている人たちに安心してね、って言いに行くのが一番の目的よ? でもね、その、もうちょっと二人で一緒にいたいなあ、って思って……」


 だから、これから二ヶ月よろしくお願いします。そう言われて、セレスは返事の代わりにリリスをそっと抱き寄せ、絹糸のように柔らかく艶やかな髪にそっと口づけた。それは奇しくもまた、セレス自身も望んでいたことだったから。


「──セレス、いくらリリスと二人旅だっていってもね、絶対に手を出すんじゃないわよ?」


 良い雰囲気の所をぶち壊して悪いんですけどっ、と言う前置き付きで飛んできたのは、ネリエからのお小言だった。慌てふためくリリスを片手で静止して、もう一回言っておきますけどね、とネリエは据わった目でセレスの方へにじり寄る。隣のシャンディに助けを求める視線を送っても、僕には無理だよとすげなく首を振られ、セレスはなすすべがなくなった。


 いくら相思相愛で魔法使いの契約を結んでいるからって、そんなのアンタにはまだまだ早いのよっ、と威嚇されるように言われて、セレスは大きくため息をつきながら頷いた。どこかげっそりしているセレスに、リリスは不思議そうな顔をする。なぜ彼は、それはもう何百回も聞いた、みたいな顔をしているのだろうか。


「お前に言われなくとも散々念押しされてる……ロイドさんからはわかっているだろうねって睨まれるし、ルディオさんにはまだ嫁にやるとは決まってないって泣かれるし、セレナさんからは泣かせたら承知しないわよって言われたし……」


 こんな各方面から抹殺されることがわかっててそんなことできるか、とやけっぱちで呟くセレスの肩を慰めるようにたたいたのはシャンディだった。君も色々大変だね。そう慰めの言葉をかけたシャンディは、顔を真っ赤にして怒るリリスと、それをなだめるネリエに気付かれないよう、セレスの懐へ小さな小箱をそっと滑り込ませた。


「君に頼まれてたものだよ。出発までに間に合って良かった」

「恩に着る。礼はまた改めて」


 深く頭を下げたセレスに、そんなの良いよとシャンディは首を振った。リリスが幸せになってくれるのが、僕は一番嬉しいんだ。そう微笑んでシャンディはリリスとネリエの会話に入っていく。その後ろ姿を見つめ、必ず幸せにする、とセレスは胸の内で呟いたのだった。





「――さて、僕らも仕事に戻りますか」


 幸せそうに手を繋いで旅立っていった友の背中を見送り、シャンディは傍らの少女に声をかけた。ぐす、と鼻をすする姿は出来るだけ見ないようにしてやりつつ、そっと肩に手を回す。いつもなら外で何してるのよっ、と鉄拳が飛んでくるのだが、今日は特別に許されたらしい。三ヶ月後の次期当主拝命式、楽しみだね。そう呟くと、ハンカチ代わりにされている肩のところで頷く気配があった。


「そろそろカミーユも研究所に戻ってくる頃かなあ。無事に藍の魔石を隣国へ送り届けられてたら良いんだけど」

「妖魔も裸足で逃げ出す研究好きの変人よ? どっちかって言うと、魔石の方を心配した方が良いんじゃない? 今回の任務も大喜びで引き受けてたし」


 すっかり泣き止んだネリエの言葉に、シャンディは吹き出した。こっちもあの二人に良い報告が出来るといいね。きっと、できるわよ。そんな風に言葉を交わした後。ネリエとシャンディは顔を見合わせて笑い合い、研究所までの道を歩き始めたのだった。

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