第76話 再会(2)

 ひとしきり泣いたリリスがようやく落ち着きを取り戻し、部屋に暖かい飲み物と甘味が供されたのは、再会から半刻ほどたったころだった。

 その間居心地が悪そうに、なかばアルの陰に隠れるようにして息をひそめていたセレスは、ロイドの視線を受けて居住まいを正す。サーシャ家当主はリリスを傍らに座らせると、青年のほうへと向き直った。


「君がセレスか。半妖魔、と聞いたが」

「ええ、そうです。初にお目にかかります、サーシャ家当主、ロイド殿」

「クレスティリアの息子か……なるほど、よく似ている」


 深く頭を下げるセレスの顔を上げさせ、じっとロイドは見つめる。やがて口端に笑みを浮かべ、目の色と口元がそっくりだ、と付け加えた。


「母を……ご存じなのですか」

「ああ、よく知っているよ。学院の同級生だったからね。とてもはねっかえりで、気が強くて、一度決めたことは絶対に曲げない……とても、美しい人だった」


 昔を懐かしむような、温かな口調でセレスの母の人となりをロイドは語った。ただの同級生の知り合い、で片付けるには親しげな口ぶりだった。私とネリエやシャンディのような関係だったのかしら、とリリスは想像をする。そうして、もっと父の学院時代の話を聞いてみたいな、と思った。


「おまえ、一度も勝てなかったもんな」

「アル、そういう余計なことは言わなくていい」

「勇気を振り絞って告白したのに、あっさりふられた初恋の──」

「今すぐ黙らんと、その減らず口を一生あかないようにしてやるぞ」


 えっ、と固まるリリスをしり目に、アルはさらにぺらぺらと学院時代の話を披露していく。場の空気を凍らせるほどの低い声と、威圧をするロイドに胸ぐらをつかまれ、ようやく彼は口を閉ざした。

 降参降参ごめんなさい、と悲鳴を上げながら床に崩れ落ちたアルに苦笑しながら、大丈夫ですかと声をかける。あとでこっそりいろいろ聞いてみよう。そうリリスは決意して、場がしばらく落ち着くのを待った。


「……話がそれたが。セレス、君はリリスと契約を結んだんだったな」


 こほん、と小さく咳払いをし、場を仕切り直したロイドはそう問いかけた。はい、と居住まいを正して頷くセレスに、そんなに固くならずともよい、と彼は肩をたたき、言葉を続ける。


「リリスは、サーシャ家始まって以来の魔力の持ち主だ。それゆえ、今まではその魔力を扱いきれるものがおらず、誰も契約を結べずにいた。いずれ魔法使いたちを束ねなければならない当主でなければ、もう少し自由な生き方もできたのだろうか。そう思い、私は彼女から次期当主の印を外したのだ」


 ロイドが語りだしたのは、リリスが旅に出ることになった経緯だった。初めて聞く父の真意に、リリスは小さく息を呑み、琥珀色の瞳を見開く。

 お前はもうサーシャ家の者ではないという烙印を押され、一族を追放されるが故のことだと今まで思っていたことが、実はそうではないと知った驚きと。父がそんな風に自分を思いやってくれていたのだという、嬉しさ。その二つがないまぜになり、リリスの胸の内でぐるりと渦巻く。


 ああ、自分は愛されていたのだ、ということをようやく知ることができた喜びは、何にも変えがたい贈り物だった。


「だが、結局それは彼女をさらに苦しめることになってしまった。こんなふうにリリスが笑顔を見せてくれるようになったのは、君のおかげだな。改めて、父としてお礼を言おう」

「いえ……俺もまた、彼女に救われた身ですから……」

「ああ……そうだったか。失礼ながら、報告を読ませてもらったよ。魔法使いの契約で死に瀕した魂を繋ぎ止めるなど、前代未聞の荒技だぞ」


 さすがは我が娘、とおかしそうに笑うロイドと、失敗してたら二人とも仲良くあの世行きだったな、とセレスの背中を叩くアルを見比べて目を白黒させながら、セレスは青ざめた顔でこくりと頷く。ただ褒められたリリスはとても嬉しそうにはにかんだ笑顔を見せていたので、何とかそれを見て気持ちを落ち着けた。


「──ときに、今日私がきた本題なのだが……君たちの処遇が決まった」


 その言葉に、部屋の全員がロイドへと視線を向けた。先日、ネリエが話していた時は、決して良い方向に入っていなかった話だ。どうか、悪い方にはいきませんように。祈るようにぎゅっと手を握りしめて父の言葉を待つリリスを、そっとセレスは抱き寄せる。

 大丈夫。きっと良い方向に行く。そんな気持ちを込めてリリスを抱く手に力を込めると、少しだけ握りしめる手の力が緩んだように見えた。

 そんな二人の緊張した様子を見やりながら、落ち着いた様子でロイドは言葉を重ねていく。


「王宮は魔族嫌いが多くてね。反逆の目は芽吹く前に積むのが定石だ、とほざく頭の固い連中を説得するのに時間がかかってしまった。王の口添えもあって、なんとかセレスの身元をサーシャ家で保証することで、処分は免れたよ」

「お父様……ありがとうございます……!!」

「寛大な措置に、感謝します」


 リリスとセレスはロイドの言葉を聞き、大きく頭を下げる。だが、良い知らせなのにもかかわらず、ロイドの表情は明るくない。それに最初に気づいたのは、アルだった。ロイドがなかなか言葉を継がない理由を察したのか、苦り切った口調で彼の代わりに口を開く。


「──その処分の条件は、青の妖魔を……カイヤを、処刑することか」


 その言葉に、部屋の空気が凍り付く。やはりそうかと嘆息したセレスの傍で、色をなくした顔でリリスが首を振った。


「嫌です……カイヤを犠牲にして自由の身になるなんて、出来ません……!」

「無理だ。彼は……人を殺しすぎた。我々に身柄を拘束された時点で、どちらにせよ処分される運命だっただろう」

「そんな……!!」


 リリスの言葉をばっさりと切って捨てたのは、アルだった。その場で殺処分されなかっただけ、寛大な処分だったと言える。そう言われて、リリスは二の句が継げなくなった。彼が言うのだから、本当にそうなのだろう。なにより彼自身がそうやって何人もの妖魔を手を下してきたのだ、と察するには十分なくらいに、アルは厳しい表情を浮かべていた。


「なにか、助ける方法はないんですか」

「変な気を起こすんじゃねえぞ。助けたのがバレた瞬間に、お前らも反逆罪で一族郎党牢屋行きだ」

「でも……!!」


聞き分けろ、と諭すアルの声は泣いているようだった。ロイドもアルも、カイヤを殺したいわけではない。それどころかきっと、限界まで反対をしてくれたはずだ。そのことがわかるからこそ、リリスはそれ以上何も言うことが出来なくなってしまった。


 どうして、と声無く涙を零す少女の肩を、セレスがそっと抱き寄せる。泣いていても仕方がないのに。強く立って、何が出来るか考えなければならないのに。そう思っても、リリスは涙を止めることが出来なかった。




 一週間後。二人の元へ小さな封筒が届けられた。差出人不明の封筒の中に手紙はなく、入っていたのは切り取られた髪が一房だけ。

 丁寧に糸で束ねられ、魔力を封じる紙に包まれたそれは、セレスの髪によく似た銀色をしていた。



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