第75話 再会(1)

 リリスとセレスが王宮に保護されてから、約半月がたったころ。

 ドアが丁寧にノックされる音が聞こえ、リリスはいつものように扉を開ける。扉の先にいたのは、いつも「調査」のために自分を呼びに来る、顔見知りの女性兵士だった。どうしましたか、と問いかけると、物腰の柔らかな彼女にしては珍しく、緊張した面持ちでリリスへと要件を告げた。


「リリスさま。あなたに、お会いしたいという方がお見えになられています」

「えっと……どなたですか?」

「あなたのお父様の、ロイド・サーシャ様です。アルライディス様とともに来られて、あなたにお会いしたい、とおっしゃっておられまして」

「お父様が……」


 すぐに会います、と返事をすることができず、リリスは言葉を切る。父が自分に会いに来ているということが、にわかに信じられなかった。今まで父が自分を呼んだことはあれど、自ら足を運んで会いに来る、ということは一度もなかったからだ。


 魔法使いの契約を結ぶまで、家には帰ってくるなと言い切った父。その時にはずされた次期当主の印は、アルの手によってリリスの元へ戻り、胸元で凛然と咲いている。リリス自身がそれを身に着ける覚悟を持ち、サーシャ家の上へ立つと決意した証だ。今こそ、胸を張って父と会える。そう思いつつもまだ、リリスにはためらいがあった。


 セレスが普通の人間であったのであれば、きっとためらうことはなかっただろう。彼を選んだことに、後悔や恥といった感情は一片たりともない。けれど、父がどう思うのか。それを知るのが怖かった。もし、彼ではだめだと否定をされてしまったら。当主の印を返せと言われてしまったら。そんな不安な思いに駆られてしまって、すぐに返事をすることができなかった。


「リリス?」


 言葉に窮したまま立ち尽くすリリスを不審に思ったのか、セレスがリリスのほうへとやってきた。その声にふと我に返り、ぐるぐるとよくない方向へといっていた思考が引き戻される。今ここで父に会わない、という選択は許されない。例え父に否定されたとしてもセレスはリリスが選んだ人であり、それが揺らぐことは無い。改めてその気持ちがしっかり自分の中にあることを確認し、リリスは一つ深呼吸をした。


「アルさんと父が来ているらしいの。今から会いたいって」

「顔色があまりよくない。アルとリリスの父親には申し訳ないが、日を改めたほうが――」

「大丈夫、少し緊張しているだけだから。セレスがそばに居てくれるなら、それで大丈夫よ」


 リリスの返答を聞いても、セレスはまだ納得しきれていないようだ。その証拠に眉根のしわは減ることなく、表情は明るくならない。少し間をおいて心配そうに伸ばされた手を両手で包むと、リリスの手へじんわりと温もりが伝わってきた。それだけで緊張でこわばった体の力が少し抜け、手先に温かさが戻る。


 覚悟はできた。もう大丈夫だ。自分にそう言い聞かせ、リリスは戸口でずっと自分の返事を待ってくれていた女性兵士へと向き直った。


「お父様とアルさんは、ここまで来られるの? それとも、どこか別の部屋にい出向いたほうがいいのかしら?」

「アルライディス様が、部屋を用意してくださっているようです。僭越せんえつながら、私が案内させていただきます」

「ありがとう。すぐ出る支度をするわ」


 女性兵士の言葉に、リリスはすぐ身をひるがえしてそのことをセレスに告げ、手早く身支度を済ませる。そうして、父とアルが待つ部屋へと向かったのだった。




 案内をされたのは、リリスとセレスの部屋がある建物の違う階の部屋だった。複雑な飾り彫りを施された重厚な扉の前で止まった女性兵士が三度ほど扉をノックすると、入れ、という声と共に扉が押し開かれた。


「よく来たな、リリス。セレス。元気にしてたか」

「ありがとうございます。アルさん。お久しぶりです」

「リリスはあまり体調がよくない。手短に頼む」

「お前も変わらんな、セレス。心配しなくとも、長くはならない」


 苦笑するアルにリリスが困った顔をして見せる。こんなにも神経をとがらせてピリピリしているセレスを見るのは久しぶりだった。これからリリスの父に会うのだと伝えてからここに来るまでの間、ずっとこの調子だ。リリスが傷つくようなことを言われないか心配してくれているのだろう。それは理解できるのだが、いかんせんとげとげしさが過ぎる。


「リリス、そんな不安げな顔すんな。こいつの仏頂面と無愛想はもとからじゃねーか。お前の父親に初めて会うから、緊張してるのさ」

「……アルライディス。適当なことを言われては困る」

「惚れた女の父親に会うんだ。初めてなんざ、そんなもんだろ」


 突然突拍子もないことを言い出したアルは、全面的に不服そうなセレスの頭をわしわしとかきまわし、ニカッとわらう。まさかそんな、と疑わしげにセレスの顔色を窺うと、彼は眉間にしわを寄せて、隠し事を全て暴かれた子供のような、むくれた表情をしていた。セレスがこんな顔をするときは、たいてい隠そうとしていた感情を見破られた時だ。どうやらアルの指摘は思ったよりあたっていたらしい。彼も緊張するのだ、とリリスの頬が緩むと、セレスはふいっとそっぽをむいた。


「さあ、セレスの不機嫌の理由がわかったところで、お前ら中に入れ。ロイドがお待ちかねだ」


 いたずらっ子のような表情をさっと引き締めたアルは、先ほどとはうってかわってきびきびとした声音で二人を部屋の中に招き入れた。そっと足を踏み入れると、床にはふかふかのじゅうたんが敷き詰められている。小さな窓にかかった、細かいレースのカーテン。ガラス張りのテーブルと、向かい合わせにおかれた革張りのソファ。一級品の家具で飾り立てられた部屋は、まるで王宮の一室がそのままそっくり移動してきたかのようだった。


「リリス。よく来たな」

「……ロイド様。久しくお目にかかります」

「そう固くなるな。今はサーシャ家当主としてきているのではなく、お前の父親としてこの部屋にいる」


 久しぶりに聞く父の声。その言葉に、反射的にリリスは深く頭を垂れる。当主としての父に相対するときのその動作は、家を離れた今でも体にしみついていた。その声も、姿も、最後にあったときと変わらない。リリスから次期当主の証を取り上げ、相手が見つかるまで帰ってくるなと言い放った父。あの時は、あくまでもサーシャ家当主としての態度を崩すことなかった。けれど『今は当主としてではなく父として会っている』という言葉に、リリスは大きく目を見開いた。


 今まで、ロイドに対して「父」として相対したことはあっただろうか。記憶を手繰ってみても、ちっとも思い出せはしない。物心ついた時から、ロイドは「当主」であり、リリスは「次期当主」としての行動を求められていた。「父」と呼んで甘えることが許された時など、一度もなかった。


「魔法使いとしての契約を結ばねば、サーシャ家の人間に非ず、と。何度助けを求めるお前の手を振り払ったことか」

「……おとう、さま……」

「そうやって厳しく接することが、お前のためになる。そう思ってやってきたが、お前には随分と辛い思いをさせた。今まで、すまなかったな」


 父の言葉に、リリスの瞳からほたりと涙がこぼれ落ちる。これは、夢なのだろうか。自分がずっと欲していた言葉を――父からも、愛されていたのだということを言ってもらえるなど、信じられなかった。ずっと、できそこないの娘として失望され、あきれられていると思っていた。


「私はまだ、お父様の娘でいてもいいのですか……?」


 思わずするりと口から出た言葉。ずっと心の中でロイドに問いかけては、答えを得ることをあきらめていた。もしも、否定的な答えが返ってきたら。そのことが怖くて、のど元まで出そうになる言葉を飲み込んで、父の言われるがままに行動をしていた。けれど今なら聞ける。すがるような思いを込めて零した言葉に、ロイドはすこしばかり目を見開いたのち、力強く返答した。


「今も昔も、そしてこれからも。ずっとお前は私の娘だよ。リリス」

「お父様……!!」


 そこまでが限界だった。伸ばされた手に吸い寄せられるように、リリスはロイドのほうへと駆け寄る。肩を抱き寄せられ、ぎゅっと抱きしめられるその幸せを、リリスは生まれて初めて感じた。父からこんなにも優しく頭をなでてもらえるのだと、初めて知った。その喜びをかみしめて、ロイドのぬくもりに縋り付く。こうやって、父に抱きしめられたかった。存在を認めてもらいたかった。生まれてきてよかった、リリスが娘でよかったのだと、そういわれたかった。


「――本当に、よく頑張ったな」


ロイドのその言葉で、リリスはやっとすべてが終わったのだと悟った。家を出てから今までの出来事が、走馬灯のように思い出されては消えていく。長い長い旅路の、終わり。ようやく自分は未来に向かって足を踏み出せるのだと、リリスはそう思った。自分一人だけではなく、セレスと共に歩む、未来へと。

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