第74話 夜明けと始まり(2)

「――セレス。リリスと仲良くするのはいいけれど、人前ではもうちょっと節度を持ってね」


 しばらく様子を見守っていたネリエが、こほん、と咳払いをしてセレスにくぎを刺す。リリスが嫌がっていないので見守るつもりにしていたが、それにしても何かと接触が多い。リリスもぽやっとしていていまいち気づいていない様子なので、ここで一つ言っておいたほうがいいと思ったのだろう。シャンディはというと、セレスがんばれ、というような生温かい目で成り行きを見守っていた。


「ネ、ネリエ……! これはそのね、あの……!!」

「リリスはちょっと黙っててね」

「えええ……!!」


 セレスに矛先が向き、状況を察知したリリスがあわてて弁解する。だがネリエに一刀両断されて、あっというまにしおしおと黙り込む。当のセレスはというと、涼しげな顔でふむふむと頷いていた。


「要するに、人のいないところならばいいのだろう。こちらとて見境なくやっているわけではない。お前たちなら、リリスもそこまで気にしないだろうと思ってだな……」

「人のいないところでも! 節度は持ちなさい!!」

「人前では、といったのはネリエだろう」

「言葉のあやよ!! いい? リリスにちょっとでも無理をさせてみなさい。アルにいいつけて、すぐに部屋を二つに分けてもらうからね!!」


 はい、セレスの負け。少しだけ笑いを含んだシャンディの声で、不毛な二人の争いは決着がついた。言いくるめられたセレスは眉をぎゅっと寄せ、不服そうな顔でまだ何か言いつのろうとしている。だが傍らの少女をちらりと見やると、それ以上言葉を継ぐのをやめた。


「……わかった。人前ではしない。節度も持つ。だから部屋は分けるな」


 リリスとひと時でも別々にされること。特に、夜に離れ離れにされること。それだけは絶対に避けなければならない。そう断言できる明確な理由がセレスにはあった。

 ネリエは知らない。リリスが夜になるとうなされ、セレスの手を求めて泣くことを。

 大丈夫、もう何も怖いものはない。離れ離れにはならない。俺はここにいる――そう何度も言い聞かせて。涙をぬぐってやり、何度も抱きしめて、そうして少女はようやく束の間の眠りを得る。


 最近はうなされる回数も少しずつ減ってきている。日中ずっと一緒に過ごした日は、穏やかに眠る日も増えてきた。だが二人別々に取り調べに連れていかれたり、セレスだけ連れていかれた日が特にだめだった。

 だから、セレスはこの少女を一人で眠らせるわけにはいかないのだ。


「ふうん。リリスの事だけは本当に聞き分けがいいのね」

「俺が人の世にとどまるのはリリスのためだけだからな」

「……はあ。あなたのお兄さんもあなたくらい聞き分けがよかったらねえ……」


 ネリエが額に手を当て、わざとらしくため息をつく。揉めに揉めている王宮だが、題材はセレスとリリスの処遇だけではない。一緒に保護されたセレスの兄、カイヤの処遇もまた王宮をにぎわせているものの一つだった。


「こちらのほうはもっと風向きがかんばしくないね。今のところ、第7研究所が“研究対象として保護する”と言って何とか生命維持ができている状況だ」

「でもそれじゃあ、研究所から一生出れないんじゃ……」

「そうだね。もともと“青の妖魔”としては登録されている。セレスもそうだけど、人に害をなした“青の妖魔”は駆除対象になる。いったん人間につかまってしまった以上、もう一度解放することはかなり難しいんだ」

「そんな……」


 誰よりも妖魔としてのプライドを大切にしていて、すごく不器用な生き方しかできないひと。きっと籠の中では生きていけない。彼はそんな状況で、生殺しのまま生きていくことは選択しないだろう。そうリリスは直感的に感じていた。心を通わせて会話をしたのは、ほんのわずかしかない。けれどその短い時間の中でリリスが感じ取った彼の気性は、セレスは言わずもがな、ネリエやシャンディも理解しているものだったらしい。だから余計に処遇が難しいんだよ、と困り切った顔で告げられた。


「今は暴れたり逃げ出したりしないよう、行動抑制の腕輪を付けて第7研究所の一室にいてもらっているよ。定期的に最低限の魔力付与は行っているから、飢餓感で苦しむこともない」

「……たぶん、もってあと2週間ほどだと思うが……」

「今度逃げたら、もう私たちも“保護”できなくなるわよ」

「確実に追手がかかる。そうなれば、この国では生きていけないだろうね」


 しん、と沈黙がその場に落ちる。誰もが口をつぐみ、目を合わそうとはしなかった。王宮で処分が下るのが先か、カイヤが檻を破って逃げ出すのが先か。どちらにせよ、彼にとって良い処遇ではない。いっそこの国の外まで逃げてくれれば、あるいは。この場にいる誰もがそう願ったけれど、みな口に出して提案をすることはなかった。


「……とりあえず、あなたたちはまず他人の事より自分のことを心配しなさいな」

「そうだよ。特にセレス。きみも他人事じゃないんだからね」

「わかっている。だからこそ、取り調べにも全面協力をしているんだ。これ以上はどうにもできないな」

「セレス……」


 少しだけ語調を強めて言われた言葉に、リリスが不安げに瞳を揺らした。知ってか知らずか、絡められた指に力がこもる。セレスと離れ離れにされる不安や怖れを、彼女は必死に表には出さないようにしている。だが、セレスには嵐の前の海のように打ち寄せては砕ける感情がひっきりなしに伝わってきていた。


「心配するな、リリス。どれだけ行動に制限がつけられようとも、俺がお前のそばにいることだけは誰にも邪魔させない。それだけは、決して。だから安心しろ」


 かすかに震える体をそっと抱き寄せて。己の体温が伝わるようにぎゅっと、それでいて体がきしまぬよう優しく抱きしめる。決してそばを離れない。その決意が伝わるように。誰にも自分たちを離れ離れにはできないのだと、リリスにわからせるように。

 その気持ちが伝わったのだろう。少しだけ不安が薄らいだ瞳を見つめて、セレスは優しく微笑む。己よりも大切な、なににも代えがたい花。ようやく見つけた己の生きる意味を、人間ごときの横やりで失うつもりはさらさらなかった。




「……ネリエ。言ってる傍からああだけど、あれはいいの?」

「仕方ないじゃない。悔しいけど、今リリスを一番安心させられるのは、あの男なのよ」


 リリスとセレスがくっつきあっているそばで、苦虫をかみつぶしたような表情ですねるネリエを、シャンディが苦笑しつつ慰めていた。いつもリリスを慰める役割はこの大人びた少女の役割だった。けれど何ものにも代えがたい半身をリリスが見つけた今、その役割はセレスのものとなりつつある。ネリエもそれは理解をしているし、手放さないといけないことはわかっている。ただ、納得するのにはまだ時間がかかるのだ。


 そんな少女をいとおしげにシャンディは見つめながら、そうだね、と同意をしてやった。まあ、僕はいつだってネリエが一番だけどね。そう付け加えると、少女は一呼吸置いたのち、くるりとそっぽを向いた。それが照れ隠しだということは、ずっとネリエのそばに居続けてきた青年が一番よく知っている。


「……さらりと恥ずかしいこと言ってんじゃないわよ、おばか」


 消え入るような声で、けれど少しだけ嬉しそうにつぶやかれた声に、シャンディはうれしそうにうん、と頷いた。

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