第36話 夜の街

 研究所の外には至るところに研究服の人々が歩いており、その中をリリスたちが歩いていってもなんら違和感はなかった。それ以外の服で歩いている人々のほうがむしろ目立つほどである。


 入り組んだ道をいくつも通り抜け、たどり着いたのは研究所があるところとは違う区画だった。そこはリリスも何度かきたことのある場所で、一級、特級の宿が立ち並ぶ宿屋街であり。だがシャンディはそこを少し横切り、さらに違う区画へと入っていく。最初はどこか分からなかったリリスも、露骨な看板が立ち並ぶところへ差し掛かると、ようやく今いる場所がどこか気付いた。


「……っ、シャンディ、ここ……」

「ああ、ごめんね。でも残念ながら目当ての人物はここにいるんだ……」


 思わずシャンディの袖を引くと、困ったような顔でそう言われる。日は少し傾き始めていて、きらびやかな建物の表で女たちが早くも客引きを始めている。どれもこれも美しい女ばかりで、肌色が多く見える衣装をまとっていた。話には聞いたことがあったが、実際見たのは初めてだ。夜が近づくと活気を取り戻し始め、真夜中になると春をひさぐ花たちが次々に美しい花弁を開くところ――花街と呼ばれているところだった。


 シャンディは迷いのない足取りでひとつの建物のドアをくぐる。男ならまだしも、女であるリリスは非常に気後れしてとても入りにくい。だが同じく入りにくそうなネリエに背中を押され、どうにかその店へと入った。


「一番上等な部屋にいる人物に伝言を頼みたい。第七研究所の《アジュール》二人が貴方に会いに来た、と伝えてくれないか」


 シャンディが告げた言葉に、受付の女達は顔を見合わせてざわめいた。いろいろな言葉を女たちがささやきあう中、騒ぎはどんどん大きくなっていく。やがて誰かに呼ばれてきたのか、一人の妖艶な女が出てきた。女たちがさっと道をあけたところを見ると、どうやらこの館の主らしい。


「あの部屋の人に会いたいなら、身分を証明するものを出しなさい。話はそれからよ」

「証ですか。あまり使いたくはなかったのですが。これを」


 毅然とした態度の女主人に、シャンディは渋い顔で懐から懐中時計のようなものを取り出す。どうやら何かの紋章が彫り込まれているらしい。少し離れた位置のリリスにはよく見えなかったが、女主人に顔色がたちどころに変わったのはわかった。


「まぁ、これは――」

「ご納得いただけましたか、ミス・カンタレラ」

「今回は本物の方でしたのね。失礼致しましたわ」


 女主人はシャンディの言葉に頷き、優雅に一礼した。リリスたちのほうへもそれぞれ頭を下げると、振り返ってまだざわめいている女たちを一喝する。


「いつまでお喋りしているの。さっさと自分の持ち場に戻りなさい。この客人たちは私が案内します。下がっていらっしゃい」


 よく通る声でそう言われると、女たちはたちどころに喋るのをやめ、蜘蛛の子を散らすように館の奥へと戻っていった。カンタレラと呼ばれた女主人はもう一度深く頭を下げると、リリスたち三人を館の奥へと導いた。


「あのお方はこの館の最上階にいらっしゃいますわ。ヘパティカに来られてから一週間、ずっとここに居座りっぱなしですの。 貴方たちがあの方を外に引っ張り出してくれるのを期待していますわよ」


 薄暗い廊下をランプ片手に先導しながら、カンタレラはため息とともにそんな台詞を零した。その言葉にシャンディもため息をつき、善処はするつもりではあると暗い顔で返す。部屋に向かう間、交わされた会話は立ったそれだけで、いくつもの階段を上っていく間、誰も口を開くことはなかった。


 いくつの階段を上っただろうか。ようやく階段がなくなり、他の階に比べて豪奢な装飾のされた廊下に出る。薄暗い廊下を迷いなく進んでいた彼女は、やがてゆっくり足を止めると軽く一礼した。


「ここですわ。少しお待ちくださいまし。私が先に言ってあの方に伝えてまいります」

「よろしくお願いします」


 カンタレラはすそを翻し、少しはなれたところにあったドアのほうへと向かった。ノックをして名乗るとまもなく、少し渋みのある男の声が聞こえてきた。入れ、といわれて彼女がドアを開け、ドレスのすそが部屋の中へと消える。しばらくすると大きな笑い声が聞こえ、再度ドアが開かれた。


「お三方様。どうぞお入りくださいませ。大歓迎する、だそうですわ」


 なぜか憂い顔でそういった彼女に、シャンディとネリエも同じ顔つきになった。リリス一人訳が分からないまま、前を歩く二人に従って部屋の中へと導かれる。そこは王宮の一部屋がそっくりそのまま移動してきたように豪奢で広く、一級品の調度ばかりがそろえられた部屋だった。


「では、私はこれにて失礼致します。どうか、ゆるりとおくつろぎ下さいませ」


 三人ともが部屋の中へと入ると、カンタレラは深く一礼し、入れ違いに部屋を出て行った。

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