第33話 研究所(1)

 目が覚めると、なぜかそこは布団の中だった。昨日道端で半ば意識を無くすように寝たにしては随分と疲れが取れている。リリスをこの部屋まで運び、布団へ寝かせてくれたひとは一体誰なのか。そして何よりここはどこなのか。さっぱりわからないまま、リリスは眠くて思い目を瞬かせた。


 ありとあらゆるものが無秩序に積み上げられた、ほこりっぽい部屋。そこに見覚えはないが、既視感はあった。今まで――主に小さい頃に、何度も似たような場所へ両親に連れられてきたことがある場所によく似ていた。


 よく見てみると積み上げられている物の半分くらいが分厚い書物で、その隙間に様々な魔法具が埋まったり転がったり引っかかったりしている。部屋の外から響くのは機械音、爆発音、破壊音、その間に時々混じる人の声。常に魔力に満ちている場所であり、そのような人々の集う場所。そして限りなくリリスを畏怖させる場所だ。


「研究所……!?」


 その事実に気づいた瞬間、今まで頭の中を占めていた眠気が一瞬で吹き飛んだ。なぜ。誰が──そんな疑問だけが頭の中をぐるぐる回る。ここだけは絶対に来るまいと思っていた場所だった。ヘパティカの三分の一を占める研究所地区。そこは大陸一の知識と権力を誇る最先端の魔法研究がされている場所だ。当然、リリスの親戚もたくさん働いているし、それ以外の知り合いもたくさんいる──リリスが魔法使いになれない出来損ないだと知っている、大勢の人が。


 昨日無我夢中で走って、疲れて休もうとしたのがこの地区だったのだろう。そのときは気づかなかったが、今思い出してみれば、夜遅くにしては不自然なくらい明かりがついた建物の数が多かった。それは、不夜地区とあだ名される研究所地区の最たる特徴だというのに、どうして気づかなかったのだろうかとリリスは唇を噛みしめる。いくら混乱していたとはいえ迂闊だった。きっとリリスを知っている人が見つけて保護したに違いない。


 せめて、リリスを見つけたのが親戚でないのを祈るばかりだった。親類であれば、必ず伯父や伯母に連絡がいく。それだけは避けたかった。今、一番会いたくないのがあの二人だったから。


 騒がしい機械音の中、不意に混ざった物音にリリスは敏感に反応した。ドアの開く音のした方へ視線を滑らせ、身構える。物が積み上がった中を抜けてこなければならないため、リリスも相手もすぐには姿を見ることができない。その間を利用してベッドから出ると、素早く体勢を整える。いざとなれば、事を構えてでも逃げ出すつもりでいた。


(さぁ、誰でも来い)


 そうして待ちかまえていたリリスの目にやがて映ったのは、思いがけない人物だった。




「やぁ、リリス。元気にしてるかい?」

「びっくりしたわよー、研究所の前でぶっ倒れてるんだもの。あなたってばどうしたの?」

「シャンディと……ネリエ?!」


 手を振って気の抜けた挨拶をする小柄な青年と、後ろで一つにまとめた茶色の長髪を振りながらあきれた顔をする少女。リリスは二人に見覚えがあった。というより、れっきとした知り合いだ。


「でもその、どうして?  まさかあなたたち……」


 あまりの驚きになかなかすんなり言葉が出てこず、「魔法使い」の契約を結んだのか、という言葉は最後まで言えなかった。彼らはかつてリリスが十三歳までの二年間通っていた「魔法使い」養成学校の同級生である。何かにつけてサーシャ家次期当主のくせに、と陰口をたたかれたり血筋に妬みを受けることも少なくなかった当時、 仲良くしてくれたのがこの二人だ。家の事情でリリスが途中退学させられてからは全く会っていないが、友人と呼べる数少ない人たちだった。


「誠に不本意ながら、君の推測通りだよ。つい最近だけどね。契約したの」

「それはこっちのセリフよ、シャンディ。どこまでも腐れ縁なのよねーこいつと。でもたぶんこれ以上楽な人は見つからないだろうし、契約しちゃった」

「……そ、そう……」


 さらりとのろけも入れられて、リリスはたじたじとなる。最後に別れた時よりも関係が進展してそうで何よりだったが、いかんせんノリが軽い。「魔法使い」の契約は、ともすれば結婚と同義かそれ以上であるくらいに重いものである。まかり間違っても、「しちゃった」で済まされるものではない。きっと二人なりに考えた結果なのだろう。魔法使いの契約を結べないリリスに気を使わせないため、あえてあっさりとした報告の仕方を選んだに違いなかった。


「二人ともここで働いているのよね?」

「うん。卒業してすぐ研究所に入ったんだ。君は途中でいなくなっちゃったから、僕らがどこに行ったのかも知らなかったんだね」

「そうなんだ……」


 二人とも成績優秀でいつも首席を争っていた。「魔法使いウィザード」の契約を結んだのであれば、研究所でなくとも就職先は引手あまただっただろう。きっと、「王宮つき魔法使いロイヤルウィザード」や民間の組織からも引き抜きがあったはずだ。だが、派閥争いや出世にしか興味のない「魔法使いウィザード」たちが大勢いる組織より、ここを選んだのは何とも彼ららしい選択であった。


「そういえばここって何の研究所なの?」

「……ネリエ、言ってもいいと思う?」


 ちらり、とシャンディがネリエをみる。どうやら、込み入った事情があるらしい。だが彼女はあっけらかんとした表情で、彼の杞憂を一蹴した。


「リリスなら良いでしょ。ここは研究所の中でも少し特殊なの。魔法の研究ではあるけど、魔法使いが対象じゃないから」

「どういうこと?」

「君なら知ってるだろ? 第七研究所っていったらある意味有名なとこだしね」

「第七……まさか、妖魔研究所?!」


 こんなところで飛び出すとは思っていなかった単語に驚く。思わず聞き返してしまうと、二人はその反応に笑って頷いた。


「そう。奇人変人の巣窟で、研究対象か研究者のどっちが妖魔かわかんない、っていわれてるとこなんだよねー」

「ま、あたしらも当然そのくくりに入れられるわけだけどさ……」


 さらりと言うシャンディに、大きなため息をついて苦笑するネリエ。確かにリリスでさえ、自分も含まれてるのにそんなあっさり認めちゃうのってどうなのよ、とつっこみたくなった。


「まぁ最近は仕事も増えたしいいじゃないか」

「よくないわよ。まったく、駆除対象の妖魔が増えてきて困るったらないわ」


 重ねてため息をつくネリエの言葉に、リリスはセレスを思い出した。駆除対象の妖魔──きっとその中には彼も含まれているはずだ。大丈夫だろうか。まだ、伯父や伯母とは戦っていないだろうか。三人ともリリスの好きな人たちなので、できれば争ってほしくなかった。


(お願いセレス。私が行くまで、無事でいて)


 ただの願いでしかない儚い望みを胸に、リリスはそっと拳を握り締めた。


「ああごめん、話がそれちゃったね。最初の質問に戻るけど、家の事情で学校を辞めて家に帰った君がどうしてここにいるの?」

「そうよ、いったい何があったのよ? 話してちょうだい、リリス」

「それは……」


 二人の真剣な目を見て、リリスはためらった。シャンディとネリエは真剣にリリスの事を案じてくれている。だからこそ、巻き込みたくはなかった。だが、せっかく助けてくれた友人に何も説明しないままというのも、それはそれで気が引けた。


「ねぇリリス。今日の朝一で君の伯母さんが研究所にきてたよ。君が来てないかって聞かれたから、一応いないって言っておいたけど。何かあるんだろ?」

「セレナ伯母様が……!?」

「名前までは言ってなかったから、誰かはわからないけどね」

「でもセレナ伯母様って名前、あなたから何度も聞いたことあるわね……あら、もしかして言っといた方がよかった?」


 慌てた顔をして聞くネリエに、リリスは勢いよく横に首を振った。リリスが親戚と不仲なのは二人もよく知っていたから、彼らは気を利かせてくれたのだろう。


「言わないでくれてよかったわ。今見つかったら困るから」

「いろいろ込み入った事情があるみたいね」

「僕らも力になりたいと思ってるんだ。話してくれないかな?」


 両手でリリスの手を取って握るシャンディと、心配そうに顔を曇らせるネリエ。それを見て、彼らには話さないでおこうと思った気持ちが揺らいだ。妖魔を研究している二人なら理解してくれるかもしれない。そんな思いに押されて口を開きかける。それでもまだためらいは残っていた。


「話したら二人に迷惑かけちゃうかもしれないもの……」

「今更だよ。君をかくまった時点でもう僕らは立派な共犯さ」

「それに私たちなら力になれるかもしれないわ。妖魔がらみなんでしょう?」

「どうして……まだ何も言ってないのに」

「あなたの伯母様、真っ先にここの研究所にきたの。その上ほかの研究所には寄らずに帰って行ったわ。だからそう思ったのよ」


 あたりでしょ、と微笑むネリエといたずらっぽく笑うシャンディ。本当にこの二人は変わらない。いつも真剣にリリスの話を聞いて、全力で力になろうとしてくれる。大切な親友であり、この上ない理解者。だから、この二人になら話してもいいと思えた。


「実は──」


 そうしてリリスは、家を出た理由から今までの経緯までの話を語り始めたのだった。

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