第34話 研究所(2)
「ああごめん、話がそれちゃったね。最初の質問に戻るけど、家の事情で学校を辞めて家に帰った君がどうしてここにいるの?」
「そうよ、いったい何があったのよ? 話してちょうだい、リリス」
「それは……」
二人の真剣な目を見て、リリスはためらった。シャンディとネリエは真剣にリリスの事を案じてくれている。だからこそ、巻き込みたくはなかった。だが、せっかく助けてくれた友人に何も説明しないままというのも、それはそれで気が引けた。
「ねぇリリス。今朝、日も昇らないうちから君の伯母さんが研究所にきてたよ。君が来てないかって聞かれたから、一応いないって言っておいたけど。何かあるんだろ?」
「セレナ伯母様が……!?」
「名前までは言ってなかったから、誰かはわからないけどね」
「でもセレナ伯母様って名前、あなたから何度も聞いたことあるわね……あら、もしかして言っといた方がよかった?」
慌てた顔をして聞くネリエに、リリスは勢いよく横に首を振った。リリスが親戚と不仲なのは二人もよく知っていたから、気を利かせてくれたのだろう。
「言わないでくれてよかったわ。今見つかったら困るから」
「いろいろ込み入った事情があるみたいね」
「僕らも力になりたいと思ってるんだ。話してくれないかな?」
両手でリリスの手を取って握るシャンディと、心配そうに顔を曇らせるネリエ。それを見て、彼らには話さないでおこうと思った気持ちが揺らいだ。妖魔を研究している二人なら理解してくれるかもしれない。そんな思いに押されて口を開きかける。それでもまだためらいは残っていた。
「話したら二人に迷惑かけちゃうかもしれないもの……」
「今更だよ。君をかくまった時点でもう僕らは立派な共犯さ」
「それに私たちなら力になれるかもしれないわ。妖魔がらみなんでしょう?」
「どうして……まだ何も言ってないのに」
「あなたの伯母様、真っ先にここの研究所にきたの。その上ほかの研究所には寄らずに帰って行ったわ。だからそう思ったのよ」
あたりでしょ、と微笑むネリエといたずらっぽく笑うシャンディ。本当にこの二人は変わらない。いつも真剣にリリスの話を聞いて、全力で力になろうとしてくれる。大切な親友であり、この上ない理解者。だから、この二人になら話してもいいと思えた。
「実は──」
そうしてリリスは、家を出た理由から今までの経緯までの話を語り始めたのだった。
「『青の妖魔』の双子に遭って魔力を食われなかったうえに、弟のほうに二度も命を助けられたですって?! 信じられないわ……」
「あの弟妖魔が、ね……まぁ少なくとも兄がしたというよりは信じられるかな」
話を聞き終えた二人はそう言ったきり、黙ってしまった。相当衝撃が大きかったのか、難しい顔をしたまま考え込んでしまう。先に口を開いたのは、先ほどネリエより冷静な分析をしていたシャンディだった。
「君は弟の本名を聞いたんだよね?」
「ええ。ちゃんと聞いたわよ。名前の由来も教えてもらったから、間違いないと思うわ。ついでにお兄さんのほうも教えてもらったし」
「そこまで話したのか……」
問いかけたシャンディがさらに驚愕した顔で呟く。ネリエも同じような表情で言葉をなくしていた。どうしてそんなに驚くのか、リリスにはさっぱりわからない。二人の顔を交互に見ると、少しためらってから真剣な顔でネリエが口を開いた。
「あのね、妖魔が本名の意味をあかすのは特別なことなの」
「特別?」
「そう。名前の意味を理解するということは、その妖魔の魂を手に入れるのと同じなのよ」
「魂……それって……」
名前の意味をあかして魂を渡す。リリスはそれに似た儀式をよく知っていた。普通、それは人間同士の間で行われるものだ。リリスがどうしても手に入れられなかったもの──「
「魔法使いの契約は妖魔とも結べるわ。でも人間同士とは方法が違う。人間の場合なら真名をあかして契約を結ぶでしょ? 妖魔は契約者に名前の意味をあかすのよ」
「契約って……でも私は……」
「したでしょう? 仮契約。妖魔との仮契約の場合は名前をあかさなくてもいいの。ただし出来るのは一度限り」
「二回以上できないの?」
「出来ないわ。条件がそろえば別だけど」
「条件?」
ネリエの言葉にリリスは記憶をたどる。そういえばあの時、セレスはたしかに仮契約を結ぶと言っていた。人間同士で結ぶ契約に「仮契約」というものはない。妖魔だからこそできる契約、ということなのだろう。一つ一つ説明を整理しながら飲み込んでいくリリスに、ネリエはゆっくりとした口調で答えを返した。
「条件は三つあるわ。まず、互いの名前を知っていること。妖魔は名前の意味を、人間は真名をあかしていること。一度目の仮契約を済ませていること。全部がそろった上でもう一度仮契約行為を行えば、それは本契約を結んだことになるの」
「本契約……」
そこまで聞いて、リリスは二人が驚いた意味をやっと理解した。もうほとんど本契約の条件はそろっている。あとはリリスが真名をあかせば条件はすべてそろう。セレスはどんな思いで自分に名前の意味を話したのだろう。もし、ほんの少しでもリリスが彼の傍に残るチャンスをくれていたのだとしたら――ただのうぬぼれかも知れない。それでも、彼との繋がりがまだ残っている。そのことが何より嬉しかった。
(彼にもう一度逢いたい。顔を見て声を聞いて、話したい。彼を──死なせたくない……!!)
「セレスを救いたいの。伯父様と伯母様にセレスが退治されるなんて嫌。私、どうしたらいいの……?」
「リリス……」
泣きそうな顔で二人を見上げると、彼らも同様の表情をしていた。ネリエもシャンディも、きっと自分の想いを理解してくれている。だからこそ、その方法がわからないのだ。
重い沈黙が落ちる。リリスはただ唇を噛みしめることしかできず、零れそうになる涙を必死にとどめていた。どんなことだってする。それが、リリスにできることならば。
(お願い──どうか、あの人を救う方法を教えて)
その沈黙は、永遠にも感じるほどに長いものだった。どれほど重苦しい空気が続いただろうか。口を開いたのは、何か決意したような目をしたシャンディだった。
「リリス、僕たちは君の力になりたい。でも方法がわからない。だから、君をある人のところへ連れて行く」
「シャンディ、まさか──」
「それしか思いつかないんだ。この話なら彼《・》も動いてくれるかもしれない」
「でも……!!」
ネリエはシャンディの言い出したことを理解しているらしい。彼女の口振りから、何か危険な賭けであることは理解できた。それでも少しでも可能性があるならば、リリスの答えは一つだった。
「シャンディ、その人のところに連れて行って」
「いいんだね? 危険な賭けだよ」
「そうよリリス、あなた──」
「ありがとう、ネリエ。心配してくれているのでしょう? でもいいの。私は少しでも可能性があるならそれにすがりたい。だからシャンディを信じるわ」
思わずのばされたネリエの両手をとって、リリスはぎゅっと握りしめた。直に伝わってくる手の震えから、どれだけ彼女が自分を心配してくれているのかがわかる。それでもリリスは後に引けなかった。
もう決めたのだ。彼を救えるなら何でもする、と。傍に居られなくてもいい。彼が人間ではなく半妖魔であっても関係ない。ただ彼に生きていてほしいと思った。たとえそれが大好きな伯父と伯母と敵対することになったとしても、リリスはセレスを選ぶ。そうした決意の中でようやく気づいた。リリスがセレスに抱く気持ちの名前──初めて知る、その感情を。
「私──セレスのことが好き。好きなの……!!」
溢れる感情を抑えられず、ぼろぼろと涙を零すリリスをネリエがそっと抱きしめた。やがてつられて泣き出してしまった彼女をリリスも抱きしめ返した。背中に感じるぬくもりは彼女の優しさだ。リリスはそれがとても嬉しかった。
抱き合う二人の背中を優しくとんとんとたたいてくれたのはシャンディだった。見れば、彼の目もかすかに潤んでいる。学生時代の頃は、リリスとネリエのどちらかが泣いていると、好きなだけ泣けばいい言っていつも泣き止むまで傍にいてくれたひと。今でも変わらず力になってくれる友人たちに、リリスは今一度深く感謝した。そうして、二人の好意に甘えて泣けるだけ泣いてしまおうと目を閉じたのだった。
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