第31話 急変


 その夜。けたたましくドアがノックされ、スノードロップの宿の主人、ランディはたたき起こされた。夜更けにこんな起こし方をするのは大馬鹿者――いや、伯父馬鹿者といったほうがいいだろうか、兎にも角にも一人しか思いつかない。ランディは安眠妨害をしにやってきた友人を、とびきり不機嫌そうな顔で迎え入れた。


「ランディ、大変なんだ。リリスが宿を飛び出してどこかへ行ってしまった!」

「それはまたなぜ……あなたたちの任務の話でもした、とか?」

「直接言ったわけではない! あの子は偶然聞いてしまったんだ……っ、それで……!!」

「それはまた……ドジを踏んだものだね。どうしてそうなったのかを最初から聞かせてもらおうじゃないか」


 ランディは親友を罵倒したい気持ちを抑え、落ち着き払った態度で答える。ルディオはひどく狼狽した声でそれまでの経緯の説明を始めたのだった。




 真夜中に近づいたころ。ひどく疲れ切った顔をして、ルディオとセレナはスノードロップに用意された部屋へと戻ってきた。遅くまで外出していた二人は椅子に座り込んでから深いため息をつく。今まで出かけていたのは、ここにくるための理由作りとして引き受けた任務をこなすためだった。


 しばらく二人は何もいわずに椅子へ身を委ねていた。重苦しい沈黙が部屋を包む。ややあって先に口を開いたのはセレナの方だった。


「……ねぇ、どうしたらいいのかしら……」


 暗い響きを含んだ言葉がぽつんと部屋に響く。昼間、本当はリリスに伝えなければいけない事実があった。だが、今の彼女の状態ではとても伝えられる内容ではなく、もう少し後でと先延ばしにしていたのだ。


「あの子にどうやって伝えたらいいの? 私たちの任務のこと──」

「落ち着きなさいセレナ。今リリスは情緒不安定な状態だ。あの子が落ち着いて話を聞けるようになったらありのままを話そう……」


 表に出た激情を隠そうともせず、ルディオを見上げるセレナに、ルディオはあくまで落ち着き払って答えた。


「ありのままって……だって、私たちは……!」


 ルディオの答えにセレナは先の言葉を継げなくなった。王から与えられた任務。それは──。


「私達は民が王へ要請した“討伐任務”を受けて来た。『青の妖魔』を倒しに」


 あとを継いだルディオの言葉にセレナがうなだれた。リリスは大きな誤解をしている。だが今その誤解を正してしまえば、彼女の心は壊れてしまうだろう。


「……あの子はわかっていないわ。『青の妖魔』が何を指すべき言葉なのか……」

「ああ。昼間の口振りからすれば、兄の方だけをそうだと思いこんでいるようだね」


 その言葉にセレナは深いため息をついた。本来、『青の妖魔』とは魔力を喰らう妖魔の中で、人に害をなして討伐対象にされた妖魔に付けられるものである。決して、ある一人だけを指すわけではないのだ。


「……今回倒すべき『青の妖魔』は二人いる。銀髪青眼の双子の半妖──幾度となく魔力を喰らうために人を殺していることから『青の妖魔』と認定された。 我らは速やかにこれを退治しなければならない」


 ルディオが紡ぐ言葉の内容は、彼ら二人が王から受けたものだった。民が幾度となく要請を出したことから、王が事の重大さを認識して早急に下した任務だ。「王宮付き魔法使い」ロイヤルウィザードである二人にとって、それは絶対に果たさなければならない王の勅命任務である。だがリリスを取り巻く状況を知ったことで、それは二人に重くのしかかってきていた。


 娘同然の姪の願いと王の勅命任務を天秤に掛けなければならないなんて──こんなことになるなら小賢しい理由作りなどせず、職務放棄して真っ直ぐリリスの元へ駆けつければよかった。まだそのほうが、どんなに楽だったことだろう。一度任務を引き受けてしまった今となっては、安易に職務放棄することさえ難しくなっていた。


「リリスは……あの子は弟の方の“青の妖魔”を愛してしまっているのよ……!」

「待て、まだそうと決まったわけじゃないだろう。あの子から話を聞いてみないことには──」

「あの子の目を見ればわかるわ! もう決めてしまっているのね、自分のすべてを委ねてもいいと思える人を」

「セレナ……」

「――それを、私たちが殺さなければならないのよ!」


 どんっ、と目の前の机が拳で叩かれ、悲痛なセレナの叫びが部屋に響く。その言葉に何か返そうとルディオは椅子を蹴立てて立ち上がった。だがどうすることもできず、ぎゅっと拳を握りしめることしかできない。やるせない思いが込められたその言葉に、返せる言葉が見つからなかった。彼女が叫んだことは、事実以外の何物でもなかったのだから。


 机に振り下ろされた拳を震わせるセレナとその場に立ち尽くすルディオの間に沈黙がおりる。二人は次の行動も言葉も見つけることにできないまま、その場で動けないでいた。


 幾瞬かの後――重苦しいその空気を動かしたのは、部屋の外でかすかに床が軋む音だった。はっ、と顔を上げた二人は目を見合わせ、まさかという思いを抱いてドアに向かう。急いで飛び出すと、目の前には身をすくませて二人を見つめる人影があった。信じられないといったようにその表情をこわばらせ、よろよろと後ろへ後退ずる。二人と一人の間で、一瞬時が止まった。


「……っ」


 時を動かしたのは、彼女が身を翻して廊下をかけていく動作だった。小柄な人影がパタパタという音とともに階段を下りていく。


「リリス……!」


 叫んだセレナの声も制止力にはならず、人影はあっという間に階下へ消える。あわてて追いかけるものの、宿の外へでるドアをでたときにはもう、どこにも人影はなくなっていた。







「……という訳なんだ。頼む、あの子の行きそうな場所を教えてくれないか?!」

「まったく、どこまででも私の苦労を増やしてくれる人だね……」


 ランディは聞き終わると大きなため息をついた。本当に、なんてことをしてくれたのだ。あの娘が行きそうな場所はその気になればいくつでもあげられた。おおかた、馬鹿正直にあの半妖魔のところにでも行ったに違いない。いつもならこんな馬鹿馬鹿しい親子喧嘩モドキには首を突っ込まないたちなのだが、今はあの娘に逃げられては困る。


 あの娘は大切な人身御供なのだ。だから、逃げた人質を、この手に取り戻すぐらいの手伝いはしてやろうと思った。


「いいよ。私についてきてくるといい。彼女が行きそうなところを案内してあげよう」

「すまん、恩に着るぞランディ」

「いえいえ、借りはきっちり返してもらうたちだからね。頼んだよ」

「……お前って本当に性格悪いよな……」

「お褒めに預かり光栄だよ」

「褒めてねぇ……」


 ランディは軽口を叩きながら二人を伴って部屋を出る。もしも自分がやろうとしていることをルディオが知れば、きっと彼は自分に心を許してはくれなくなるだろう。もちろん、今はまだ尻尾をつかませないつもりではある。だがいつか自ら化けの皮を脱いで、彼の前に本当に自分をさらす日が来る。そのことにどこかさびしさを覚える自分がいて、まだまだ自分も甘いのだと感じた。


 軽口を交わしながらランディは願う。願わくば、もう少しだけこの関係でいたい、と。早く案内しろとせきたてられて小走りになりながら、ランディは叶えられる望みの薄い願いに笑う。それは、ランディがある願いを望み続ける限り、かなわないことだったから。


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