第五章 真朱の日没は宴の始まりを告げる
第30話 懐かしいぬくもり
うっすらと目を開けると朝日がまぶしい。ずきずきと痛む頭を動かして辺りを見回すと、ベッドの脇でこちらを見つめる人と目があった。
「おはよう。目が覚めたんだね」
「また泣きそうな顔してどうしたの。相変わらず泣き虫ね、あなた」
「ルディ伯父様とセレナ伯母様……!!」
本当に二人が自分の元へきてくれたことが信じられず、名前を呼ぶので精一杯だった。感情があふれてきて言葉にならず、泣きそうになるのを必死でこらえる。宿屋の入り口で再会できたのは夢ではなかったのだ。
「ほら、泣くんじゃないわよ。しっかりしなさい」
「伯母様……わたし、わたし……!」
(まだ私はこの人たちの元に戻ることが許されるの……?)
すがるように伯母へ抱きつくと、昔と変わらない温もりがリリスを包む。甘い柑橘の香りに、涙がこみあげた。
「馬鹿ね。もう約束を忘れたの?」
「わ、忘れてない……っ」
「だったら何があっても信じていなさい。私たちはどんなときでもリリスの味方よ」
力強く言い切る伯母に、ようやく泣き顔だったリリスの顔がほころんだ。幼い頃に二人が誓った約束──たとえ何があっても、自分たちだけはリリスを嫌いになったりせず味方でいる、と。
幼いころのリリスは、親の過剰な期待に応えようと必死だった。同時に、人に嫌われることを極端に恐れる子供でもあった。だから、幼い頃の約束はぐずる子供をなだめるようなものだと思っていた。
(まだ、わたしをみてくれる人がいた……)
そのことが嬉しかった。何より嬉しいはずなのに──それでもどこか、胸の奥に空虚な穴が空いている。本当なら何よりも嬉しいはずなのに、素直に喜べない。理由はわかっていた。だが、リリスはあえて考えないふりをした。
そうしないと、心が壊れてしまう。この気持ちを自覚してしまったら最後、もう後戻りできなくなってしまいそうだった。
「リリス?」
「なっ、なんでもないの!」
「何にもないはずがないわ。だってあなた、今にも泣きそうだもの」
「え……」
心配そうにのぞき込む伯母に断言されて、初めてリリスは自分が今どんな顔をしているのか自覚した。気づけば一粒、二粒と涙が白いシーツを濡らしていた。
「わたし、泣いてるの……?」
悲しくなどない。二人との再会は何より嬉しいはずだった。それなのに、涙はリリスの気持ちを無視して滑り落ちていく。
(わたしは、かなしいの?)
その問いかけに答えるように、また目から二粒の涙が落ちた。
「それは『青の妖魔』に関することかい?」
「どうしてそれを……?」
「ランディから聞いた」
「ちがうわ。セレスは『青の妖魔』じゃないのもの」
伯父の問いかけにリリスの体がこわばった。ランディ、というのは宿の主人だろう。伯父と仲が良いといっていたから、これまでの経緯を伯父に話したはずだ。リリスの答えに、二人は顔を見合わせて不思議な顔をした。
「『青の妖魔』でないというなら、あなたの心を悩せているセレスは何者なの?」
「『青の妖魔』の双子の弟なの。悪い人じゃないのよ」
「──そう。わかったわ。あなたの言葉を信じましょう」
「ありがとう……伯母様」
リリスは自分の言葉が聞き入れられたことに安堵する。伯母は優しく頷いてから、ポンポンと布団を叩いた。
「さぁ、お喋りはこのくらいにしておきましょう。ずいぶんと顔色が悪いわ。横になりなさい」
「大丈夫よ、わたし……」
「だめだ。少し眠りなさい。そうすれば、気分も落ち着くだろう」
二人に言いくるめられ、ためらった後にリリスは小さく頷く。再び布団の中に潜り込むと、やさしく頭をなでてくれた。その手は別れ際に自分の頭を撫でてくれた手に似ていて、苦しかった心が少しだけ和らぐ。残っていた疲れの所為もあってか、リリスはすぐに眠りの淵へと落ちていった。
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