第13話 宿屋スノードロップ

 魔法都市ヘパティカ。そこはセルビアの誇る随一の魔法都市であり、第二の王都といっても差し支えない大きさを持つ都市である。ヘパティカにはセルビア各地、そして大陸各地から「魔法使い」ウィザードやそれを志すものたちが集まり、修行や研究に明け暮れる。 ここに集う者たちはみな競って「魔法使い」の真髄を極め、真理を手に入れようと日々研鑽を積む者たちばかりだ。


 リリスが足を踏み入れた日も、ヘパティカは多くの「魔法使い」と旅人たちで溢れかえっていた。門から入ってきた人たちでごった返す大通りをしばらく歩き、都市の右側にある宿屋街へ向かって歩いていく。宿屋街は宿の等級に分かれて区画を分けており、リリスが歩いているのは中級の宿が集まる区画だった。


「ええと、確かここら辺だったはず……」


 記憶を頼りに宿屋の看板を確認しながらリリスは歩く。探しているのは、スズランの描かれた看板だ。数年前、父とヘパティカに立ち寄ったときには特級宿に止まったため、中級や下級の宿がある区画は近づくことすら許してもらえなかった。見慣れぬ看板が立ち並ぶ宿屋からその看板を探し出すのはなかなか難しく、リリスは何度も同じ道を往復してはあたりを見回す。


 根気強く探していくうち、ようやくリリスは区画のはずれにひっそりと佇む宿屋を見つけた。表看板にはスズランの花、そしてその下に宿屋の名前「スノードロップ」と飾り文字で書かれている。話に聞いていたとおり見つけにくい宿屋だと苦笑しながら、リリスは一階にある酒場に足を踏み入れた。


 来るものを拒むようにひっそりと佇んでいた建物の中とは思えないほど、中は音楽と人々の笑い声であふれていた。陽気な人々が笑い踊りあう中を抜け、酒場兼宿屋の主人が座るカウンターへと向かう。どこからともなく料理のいい匂いが漂ってきた。


「すみません。しばらくこの宿に泊まりたいのですが……」

「おや、可愛い娘さんだねぇ。この宿の話はどこからお聞きになったのかな?」

「各地を旅する伯父から聞きました。ここにくれば、料理と情報は絶品だと……」


 カウンターでどっしりと構える恰幅のいい主人に話しかけると、人のよさそうな笑みを浮かべた主人はにこやかに返事をくれた。心の奥まで見透かされてしまいそうな深い鳶色の瞳に見つめられ、リリスは少し緊張した面持ちで言葉を紡ぐ。ふた呼吸ほどその答えに沈黙した主人は、すぐに大きな手を差し出した。


「いい伯父さんをお持ちだな。お嬢さんの気が済むまで滞在するといい。 部屋はそこらの中級宿と変わらないが、料理と情報の質だけは保証しよう。ようこそ、わが宿スノードロップへ」


 にこやかに微笑む宿屋の主人から鍵を受け取る。宿泊を許されたことに安堵したリリスはようやく表情を崩し、深々と主人へ頭を下げた。


『この宿は中級だが、料理は絶品、集まる情報の量と質はどこよりも確実、だからいつもヘパティカに来たときにはここへ泊まる』 ──そう教えてくれたのは、帰ってくるたびに各地の話をたくさんしてくれるルディだった。中級宿は流浪の「魔法使い」を多く受け入れるため、各地の情報が集まりやすいのだという。


 だが同時にそのことを利用し、ここが宿屋と酒場のほかに情報屋を営んでいると知る者はほんの一握りだ。そのうえ、情報がほしいものは、宿屋の主人に認められなければならない。宿の主人の信用を勝ち得たものだけがその情報を買うことができる。そうリリスは伯父から聞いていた。


 まだ思い出すとつらいが、今はそのことを教えてくれた伯父に感謝した。カウンターをあとにし、酒場の隅の席へ座ったリリスは料理を運ぶ女性へと声をかけた。


「シチューとパンを一つずつください」

「はいよ。しっかり食べなよ、あんたかなり細っこいからねぇ」

「ありがとうございます……」


 しばらくして、いつも食べるよりだいぶ多い量のシチューとパンが運ばれてきた。最近ようやく春めいてきて昼間は暖かくなったとはいえ、夜はまだ冷え込む日が多い。野菜がたっぷりと入れられた温かいシチューは体を芯まで温めるのに最適だった。座っている場所は暖炉の火からは遠かったこともあり、ふかふかのパンと湯気が立ち上るシチューは本当においしかった。


 たくさん歩いた所為もあってか、シチューを無事全部食べ終えるとあっという間に眠気が襲ってきた。酒場で寝てしまわないように、早々に切り上げて宿屋の三階へと上がる。主人のいう通り質素な作りの建物で、部屋もあまり広くはないものの、とても清潔感のあるところだった。


「さぁ、早く寝なきゃ。明日はやることがいっぱいあるんだから」


 少しかたいベッドの中へともぐりこみながら、自分へ言い聞かせるようにそうつぶやく。心地よいまどろみの中へと誘われ、すぐにリリスは深い眠りの中へと落ちていった。

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