第14話 噂話

 次の日。 ぐっすり眠れて疲れもとれ、リリスが軽くなった足取りで一階の酒場まで下りていくと、 まだ朝だというのにそこは人でごった返していた。


「大変だ!」

「またあいつが出た」

「今度はロータス方面の街道らしいぞ……!」


 何やらやけに騒がしい。酒場にいる人の全部が宿の客というわけではなく、ほかの宿からここへやって来た者もいるようだった。


「あの……何かあったんですか?」

「あったんだよ! また『青の妖魔』が出たのさ」

「青の妖魔……?」


 近くにいた男に聞くと、顔をしかめながら彼は答える。『青の妖魔』が何を指すのかよくわからないリリスがきょとんとした顔していると、親切に説明を付け加えてくれた。


「あんた知らないかね? 青い目をした妖魔のことさ。性質の悪い妖魔で『魔力を与える者』を襲う凶悪なやつらだよ。月が隠れた夜に襲ってくる妖魔で、最近ここいらの街道に現れては悪さをしていたんだが、今度はロータス方面へと向かうレシティア街道に出たらしい。今朝ヘパティカ近くの道でやつに魔力を食われた少年の亡骸を発見した魔法使いがここへ来てるんで、俺たちも情報を聞きに来たってわけだ」


 青い瞳をした妖魔──その話を聞いて、不意に思い出されたのは先日出会った男のことだった。だがあまりに馬鹿馬鹿しい想像に、そんなことがあるわけがないと自分の考えを否定する。そんなリリスの思考を一瞬にして停止させたのは、男が言った次の言葉だった。


「なんでも、少年が死ぬ直前の記憶を魔法で読み解いた魔法使いがいたんだ。そいつが言うには『美しい青い目に、銀糸のような髪をした妖魔』が少年を殺したらしい。だから、また『青の妖魔』が出たって俺らは騒いでるのさ」


 リリスの心臓がどきりと飛び跳ねた。美しい青の瞳、銀糸のような髪。 それはまさに山賊に襲われている自分を救い出してくれたあの男に間違いなかった。この大陸に住む人間たちの髪や目は茶色か黒、もしくはリリスのような金色が多く、銀髪や青眼の者はほとんどいない。だからリリスは確信がもてた。『青い妖魔』はあの男のことなのだ、と。


 受け入れがたい真実に、リリスは息が詰まりそうになった。リリスを山賊の手から救い、泣いている自分をやさしく抱きしめてくれたあの男が妖魔だったなど、信じたくはなかった。


(誰よりもやさしい声音をしていたのに、人を襲って魔力をすする妖魔だったの……?!)


「お、おい、嬢ちゃん、なんか顔色が悪いみてーだが大丈夫か?」


 その場へ崩れ折れそうになったリリスを見て、男があわてて声をかけた。呆然としながらも、足に力を込めてリリスはなんとか体勢を立て直す。ここでぼうっとしているわけにはいかなかった。


「その妖魔が出たところ、詳しくわかりますか?!」

「へ? いいや、俺にはわかんねぇよ。聞くならあそこにいる魔法使いか、ここの宿屋の主人に聞きな」

「ありがとうございます!!」


 困惑する男に頭を下げてから、リリスは部屋の端にいる宿屋の主人のほうへと向かった。宿の主人は、先ほど到着した「魔法使い」の一行のリーダーらしい人物と話し込んでいる。彼らの話が済むまで待つのがとてももどかしい。なかなか終わらない話にじれったさを感じつつ、リーダー格の男が離れていくとすぐにリリスは主人に声をかけた。


「あの……聞きたいことがあるんです!」

「おや、おはよう。君は昨日のお嬢さんか。いきなり私のところへ来たかと思えば、どうしたんだい?」

「私に『青の妖魔』が出た場所を教えてください!」


 あまりに必死の形相をしていたのか、リリスの声に振り向いた主人は一瞬目を丸くした。妖魔に狙われる対象である『魔力を与える者』のリリスが『青の妖魔』の居場所を教えろと言ってきたのだから、無理もない。その行為は、無防備な子羊が自ら狼の穴に出向くようなものだった。


「なぜわざわざ危ないところに行くんだい? あなたは『魔力を与える者』だろう、お嬢さん。いや、リリス・サーシャさん、とお呼びしたほうがいいかな」

「どうしてそれを……?」


 主人の言葉に今度はリリスが目を丸くする番だった。昨日、宿に泊まるときに名前は偽名を書いたはずだ。主人は、どうやってリリスの名を知ったのだろうか。


「実は、私の古くからの友人にサーシャ家所縁の者がいるんだがね。とても陽気なやつで、あなたと同じ琥珀色の瞳をした男だ。そいつはヘパティカに来ると、いつもここへ泊まりに来ては私と酒盛りしながら晩を明かす。いつも聞かされるのが、彼の可愛い姪っ子の話でね」

「それって……!」

「君がやってきたとき、すぐにわかったよ。君はルディにとてもよく似ているから」

「そうだったんですか……」


 優しく微笑む主人にリリスは納得して頷いた。リリスと伯父が似ている、というのはよく言われていた。実際、父のロイドと伯父のルディはいとこの関係にあるため、似ているのも不思議ではない。子供のいない伯父はそういう理由もあり、特にリリスを猫可愛がりしてくれていたのだった。


「じゃあ、話に戻るよ。どうして君はその情報を知る必要があるんだい?」

「どうしても言わなきゃ駄目……ですよね」

「ルディの姪っ子を危ない目にあわせたとなっちゃ、彼に怒られるのは私だからね。けれど、君も大人だ。相応の理由があって私に情報を求めるのだろう? だから、情報を渡すのは君の話を聞いてからだよ」


 言い渋るリリスに主人はきっぱりと言い切る。そこまで言われると、ヘパティカに来るまでの経緯を話さなくてはならないだろう。そう覚悟を決めたリリスは、王都を出てから先程話を聞いたことまで全てを隠さずに話した。


「──それで、君は自分を助けてくれたその男が本当に妖魔だったのかどうか、確かめたいんだね?」

「そうです。だから、私に妖魔が出たという場所を教えてもらえませんか?」

「そうだねぇ……」


 難しい顔をして主人が唸る。危険なことはリリスも承知していたが、それでも確かめたい気持ちが強かった。


「お願いします、教えてください」


 何度も懇願を繰り返すリリスにとうとう根負けしたのか、やがて主人は渋々ながら頷いた。


「わかったよ、教えてあげよう。ただし、ひとつ条件がある。それを守ると約束するならこの情報を教えよう」

「守ります! だから教えてください!」


 力いっぱい頷くリリスに、主人はある条件とともに妖魔が出た場所を口にする。それを聞いたリリスは何度もお礼を言い、急いで酒場を後にしたのだった。

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