第101話 孤独と蟲毒
「ここから出ていく?」
来るべきものが来たという思いだ。
ただ、まだ少々早いように思えた。彼の見立てより数年早い。
「出てどうするつもりだ?」
その答えはわかっていた。それほど浅い付き合いでもない。ただの通過儀礼のようなものだった。
「……ゼトのところへ」
「——そんなところだろうな」
数年前から真咲の父、愛居真人が彼の家に何度も連れてきていた異星人の少年ゼト・リッドについても知らぬわけではない。
真咲との関係もだ。
愛居真咲が全力で戦える相手など、もはやこの地球にはいない。
しかし急な話だ。
目の前の少年はまだ13歳。それも二人目の妹が生まれたばかりだった。
――ああ、だからか。
「——もう妹の面倒を見るのは飽きたか」
想人の言葉に、真人の眼に敵意が籠った。
「……そんなことはない」
あえてその反論を嘲笑う。
「言葉を飾るな。血の繋がりはないが、真人は私の弟。お前は私の身内でもある。
お前の考えることなど手に取るようにわかる」
さる名家の私生児だった悠城想人は、遠縁にあたる師、
師は愛居真人の父、塞神降魔の養父であり、当時は父に代わり孫の養育に務めていた彼の手で、兄弟同然に育てられた。
その真人が、また私生児を儲けたというのは皮肉という他ない。
今でこそ真咲は生みの母である
真咲の全身に残る傷はその頃の後遺症だ。
だからこそ、真咲は家族に人一倍の執着していた。
そして真咲ほどではないが、想人自身もまた忌み子として疎まれ、師父に引き取られた過去がある。
それ故に、血の繋がらない甥の境遇を想人は誰よりも理解していた。
「だがつまらないだろう?少し突けば壊れるものの世話を続けるのは」
挑発的な物言いとともに、想人は執務机の上にあったグラスを宙に置いて軽く指で弾く。
それだけで、硝子製のグラスは霧となって消えた。
鬼である甥ほど人外でもないが、悠城想人もまたただの人間ではない。
しかし、それを見とがめるものはいなかった。
ここは悠城想人の執務室。
身内の進路相談として人払いをした室内で、その異様な光景を目にしているのは想人と真咲だけだ。
何かを言いかけた真咲の声を遮るように、想人が言葉を続ける。
「所詮、人間など脆弱なもの。お前にとっては遊び相手にもならん」
「……人間の中では悪いことではない」
「だがお前には何の得にもならない」
真咲の後に生まれた妹たちは二人ともただの人間だった。
師父、罪火の片腕だった鬼人、降魔の血を引きながら、その子孫で鬼の血を継いだのは真咲だけだ。実子である真人もまた人間の力しか持たなかった。
「いっそ殺してみたらどうだ。そうすれば、鬼の力に目覚めるかもしれん。お前がそうだったように」
「……その必要を感じない」
「お前の父は、この提案にyesと応えた」
想人の指先で、霧消していた硝子が再構築され元のグラスの形を取り戻す、その中に並々と茶を注がれた状態で。
例え殺しても、その場で復元、蘇生させるだけの能力が悠城想人にはある。
彼の手にかかれば、真人の娘たちを殺し、その結果を見届けてから、ダメだったら時間を巻き戻すことすら余裕だ。
だからこそ、愛居真人はその話に乗った。
結果は伴わなかったが。
しかし、真咲は逆に殺意すら込めた視線を返すだけだ。
後から痕跡が消せようと、彼は妹たちを傷つけること自体を認めない。
想人は苦笑した。
例え傷だらけのその容姿がどんなに人間離れしていても、その正体が人を喰らう鬼だとしても、愛居真咲は自身の家族と親しい友人を傷つけることを許さない。
これだから、この甥は信頼できるのだ。
そして、仲間を傷つけられないからこそ、外の世界へ、自身と同等かそれ以上の戦える存在を求めて宇宙へ、星海への旅立ちを望んでいる。
「ゼト君の元へ行ったとして、勝てると思うか?」
「俺は鬼だ。戦って、戦って、死ぬまで戦い抜いて、そうして死んでいくのが鬼だ。ゼトのために戦って死ぬならそれでいい」
血に飢えた修羅であり、人の子でもある。
そんな甥の欲求の発露を悠城想人は否定できなかった。
黙っていても、あと数年もすれば、このまま成長すれば愛居真咲の強さはこの地球上で誰の手にも負えなくなる。
強者ゆえの孤独と、今以上の敵を望む心境はよくわかる。
旅立つことを止める理由など、想人には一つしか残っていなかった。
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