第44話 皇家の子
「では殿下、本当によろしいのですな?」
投げかけられた言葉に、リューティシア皇国第一皇子リュカ=リュケイオン・グラストリア・リードは静かに頷き、目の前に差し出された書類に署名した。
まだ6歳の子どもながら、物心ついたころからシンクレア式の技法を叩き込まれたその手は流麗にその名を書き記す。
その手際の良さは、古くからのシンクレア貴族であるセイローム・ジュナスも認めざるを得なかった。腹立たしいことに。
シンクレア王家の血を引かないというのに、皇家の子として相応しい振舞いを見せる子どもに内心怒りを抱いていた彼にとって、リュケイオン皇子は目障りな存在でしかなかった。
だが、それももはや関係のないことだ。
彼にとってはようやくやってきた初舞台である。
署名された専紋文書を受け取り、その内容を高らかに宣言する。
「非公式ではありますが、本日をもってリュケイオン殿下の皇位継承権は消失いたしました。
これはこの場にいる皆さまが証人となり、竜皇グラスオウ陛下の認可するところとなります。そのことをどうかご確認ください」
その言葉に、議場に居並ぶ武官、文官たちは誰も何も言わなかった。
セイレーン城の会議室は100を超える皇国上層部の幹部、貴族たちによって埋め尽くされている。
本来、これは極秘の取り決めだったのだが、噂を聞きつけたものたちが我さきと集まった結果、これほど大規模な話となってしまった。
それほどの重大事であった。
リューティシア皇国は、エンダール帝国に滅ぼされたリンドラス公国を始めとしたいくつもの国家が、亡きリンドラスの第七公子であった成龍軍将グラスオウを皇として統合、再編された新興国である。
その母体となったのは王妃シリルの出身地である惑星シンクレアを中心とするシンクレア晶国だが、再統合とその後の周辺国家との侵略戦争を経て10倍以上の巨大国家へと変貌していた。
その中で、グラスオウの第一子であり、
現在のグラスオウに従う多くの家臣にとっては、リュケイオンの実母の存在は問題ではなく、シリル王妃とリュケイオンの母子関係が良好なこともあり、今まで問題視されたことはなかった。
一方で第二子に当たる王妃シリルの産んだばかりの第二皇子リュクス=リュクシオン・セイファート・リードは、皇夫妻の世子であり、貴族を中心としたシンクレア出身者にとってはリュクス皇子の方が世継ぎとして望ましい存在である。
当初よりリュケイオン皇子の存在を疎ましく思っていたシンクレア貴族たちにとっては望んでいた事態。
そしてそれ以外のグラスオウに従っていた者たちにとってはその思惑は様々だ。
だが、当のリュケイオン皇子自身がそれを望み、父たる竜皇グラスオウもまたそれを容認していたとなれば、内心では反対をしていても誰も何も言えない。
そのグラスオウは議場の中央席にて、署名を終えたリュケイオン皇子、いや皇籍を返上したリュケイオン公子の隣で無言で座っている。
その無言の圧力の前に、議場に押し掛けた者たちもまた無言であった。
無数の声なき視線が竜皇とその息子に集まり、しかし親子は動じた様子もなかった。
「——リュカ!」
大きな音を立てて、会議室の大扉が開く。
竜皇父子に向けられていた視線が、扉から現れたシリル王妃に向けられる。
王妃もまた無数の視線をものともせずに議場を縦断し、中央席に足を踏み入れた。
その目に見据えられ、セイローム・ジュナスは気圧される。
「——これはどういうことです?」
「……ひ、妃殿下、この度は――」
「——貴方には聞いてません」
抗弁しようとしたところを容赦なく切り捨てられ、セイローム・ジュナスは小さな悲鳴を上げて引き下がる。
王妃の視線の先にいるのは彼ではなかった。
「どういうことなのですか?」
冷たく、重いその言葉を竜皇グラスオウは正面から受け止めていた。
「アルミニアとの取り決めだ。こちらから親善大使としてリュカを留学させることになったという話はしているはずだがな?」
先日から、アルミニア公国よりリューティシアが引き起こした拡大戦争へ仲裁、事実上の警告が来ている話はシリルも知っている。
しかし
「継承権の剥奪などという話は聞いていません」
「今すぐにことを構える気もないが、アルミニアとの関係がどう転ぶかはわからん。
その時、リュカがどう扱われるかもな」
「ですから、内々の取り決めとして、私の継承権を返上させることにいたしました」
平然とリュケイオンは父の言葉に続いた。
いざとなれば、父が自分を見殺しにするという話に。
「表向き、私はこれからも父上と母上の子として扱われることになりますが、リュクシオン殿下が成長された後には正式に継承権を返上いたします」
「貴方は!」
まだリュクシオンは生まれたばかりなのだ。
話を決めるには早すぎる。
そう言おうとしたシリルの言葉に、リュケイオンが先手を取る。
「私は、兄弟で争うなどしたくはありませんから」
兄を見捨て、弟を殺し、ただ一人の権力者へと登り着いた男。
兄弟殺しの流血皇。
そう呼ばれる父の隣で、まだ6歳の子どもは静かに微笑んだ。
母のそれ以上の反駁を封じるように。
「大丈夫ですよ母上」
「私は、父上と母上の子です。これからもずっと」
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