第43話 失われた時の中で


こみ上げた嗚咽を、何とか我慢した。

鳴るお腹を押さえ、そのまま座り込んだ。

清流のせせらぎが、目の前から聞こえてくる。

「これからどうしよう」

その言葉を聞くものは誰もいない。

衝動のままに住処を飛び出して、リュカはどうしようもなくなっていた。


リューティシア皇国第一皇子リュカ=リュケイオン・グラストリア・リード。

神威大戦後、蒼海に戦乱をもたらしたエンダール帝国剣帝エルディアを討ち果たした英雄スオウ=リンドレア・ウォル・グラスオウの息子。

母はその妻となったシンクレア王女シリル=セイル・シルフィード・ファルクレア。

今日まで、そう信じていた。

その自分の立場に疑問を抱いたのは、母に子どもが出来てから。

無邪気に弟か妹が生まれるのだと喜んでいたリュカは、やがて身の回りの大人たちの態度がよそよそしくなっていることに気づき始めた。

その違和感は次第に大きくなり、生まれてくるのが弟だと判明した時に、それは確信に変わった。

皆、自分より弟の方を気にし始めているのだと。

誰に聞いても、その理由を教えてはもらえなかった。


「お腹、空いた」

徐々に日が落ちようとしている。


結局、リュカの疑問に答えたのは母、シリルだった。

人払いをして、二人きりで告げられたのは、母が本当の母ではないという事実。

自分を産んだ母親は、すでに亡くなっていて、シリルが母の代わりを務めていたという告白だった。

その事実は、うすうす気づいていたとしても、リュカに受け入れられるものではなかった。

泣いて、喚いて、怒って、また泣いて。

何を言ったのか、よく覚えていない。

その内に、人が集まって……最後に何を言ったのかだけは覚えている。


そんな人は知らない。

顔も名前も知らない人は、自分の母でも何でもない、と。


その直後、横合いから殴り飛ばされたのだ。

竜撃隊隊長ライフォン=ライガット・フォンハイム。

父、竜皇グラスオウの側近、親衛隊長である男は、リュカとはそれまでほとんど関わろうとしてこなかった。

彼がなぜああも怒ったのか、今のリュカにはわからなかった。


「お家に……帰りたい」

もうすぐ日は暮れる。

帰りたい、帰りたいのに。

母に言ったことは全部覚えている。

どんな顔をして帰ればいいのだろう。


「とりあえず、これ食ってから考えたらどうだ」


横合いから投げかけられた言葉に、リュカは膝にうずめていた顔を上げる。

「父上……どうして」

そこにいたのは父スオウ=リンドレア・ウォル・グラスオウだった。

超光速騎士である父はその気になればこの星のどこにでも一瞬で出現する。

「——お前を探しに来た」

絶対、嘘だ。

リュカはそう確信した。

困ったような笑顔で、広げた両手の指の間に持てる限りの串焼きを挟んでいる父の姿に、自分を探しに来たような様子は感じられない。

現に、今も口をもぐもぐさせている。

「……食うか?」

ひょい、と無造作に差し出された串を、リュカは受け取った。

お腹が空いて仕方がなかったのだ。


早々と5本目の串に食いついた息子の姿に少し呆れながら、スオウも残された串肉にかぶりつく。

城下町でお気に入りの串焼き屋で買ってきたものだ。息子だけに食べさせるのは勿体なかった。

自分にもそれほど暇や余裕があるわけではないのだ。

次食べられるのはいつになるのか。


持ってきた串焼きをあっという間に食べきって、親子は河原で佇む。

都市郊外にある川は、整理された都市内と異なり、計算された緑地ではない。

惑星連結で星の全てを制御されていると言っても、細部まで詰めるのは不可能だ。

厳密に制しようとすれば、その揺り返しがどこで生じるかわからない。

魔導科学は高度であっても万能ではないのだ。

目の前の川が夕日に赤く流れるのを眺めていたリュカの前に、一つの写真が差し出された。

「……これは?」

「俺の家族だ。……家族だった」

父の言葉に、リュカは目の前の水晶の中に浮かび上がった立体映像に目をやった。

中心に立つのは父スオウと座ってる見知らぬ女性。

緋色の髪と金の瞳を持つ女性は、今の母のように大きなお腹を抱えて微笑んでいる。

向かって左に立っているのはリュカも知っている竜撃隊隊長ライフォン。

父も、彼も今より若い。

「この人が、私の母なのですか?」

「……そうなる」

そして右側には知らない三人の家族の姿があった。両親と今の自分と変わらない年頃の男の子。

いや、その中で一番大柄な男性には見覚えがあった。

今は亡き父の祖国、旧リンドラス最強と謳われた軍将グランザム=グラストリア・グライゼン・ザムド。

父にとって異母兄に当たる人物だ。

父がリュカに与えた名前の持ち主だ。

残るは彼の妻と息子なのだろうと検討をつける。

そうした先に残っているのは、竜撃隊隊長ライフォン。

中心に座る実の母より濃い赤髪の青年。

「ライフォン殿は……」

「お前にとっては伯父に当たるな」

父の苦笑に、ようやくリュカは彼が激怒した理由に思い至ったのだった。


「エンダールが侵攻してきて、俺たちは負けた。俺も兄も、エルディアには傷一つつけられなかったのさ」

超光速騎士に覚醒し、軍将の位にあったグラスオウと、その兄グランザム。

軍将二人をしてもエンダール帝国の超神速騎士、剣帝エルディアには手も足も出なかった。

星海七大星剣。

神をも超える全宇宙最強の騎士の力をグラスオウはその身で思い知り、後に蒼海の軍将たちを糾合してエルディアに挑むことになる。

「兄は命と引き換えに、俺たちを軍団ごと脱出させた……国の外にな」

国内に残って帝国の侵略に抵抗する、という選択肢はなかった。

勝てるはずのない相手に、そんなことは無意味だったのだから。

「……笑え。俺もライも、お前たちを見捨てて逃げたんだ」

自嘲する父を前にリュカは何も言わなかった。

直接目の当たりにしたことは少なくとも、父と竜撃隊隊長の強さを学んでいるリュカに、父が足元にも及ばない戦士がいるなど想像もつかないことだった。


「神威大戦を挟んで、俺たちがリンドラスに帰ってきたときには、残されてたのはお前だけだった。

 ——義姉上も、グラスもお前たちを守って死んだと聞かされた」

「……私の母も、ですか?」

「帝国の王族狩りは熾烈だったらしくてな」

――その父もまた、帝国に勝利した後、エンダール帝国の皇統を根絶やしにした。

今残っているのは、エルディアと伯母の間に生まれた従妹のエリンシアだけだ。

血で血を洗うとはよく言ったものだ。

「お前を見つけた時、シリルが母親代わりになると言ってくれた」

「……母上が」

「まあ、散々反対されてたんだがな。正直、俺も上手く行くとは思ってなかった」

「私の母は……母上だけです」

投影水晶を持つ手が震えた。

罪悪感はあっても、今日知らされたばかりの人を、母と思う気にはなれなかった。

「凄いよな。俺にもお前たちは本当の母子に見えたよ。

 ——だから、いずれ話すとしても、それまでは黙っていようと決めた」

「……ライフォン殿は?」

「まあ、納得はしてなかったけどな。お前とはなるべく関わらないようにしてた」

今までは。

それでも、譲れないものはあるのだ。

彼にも、自分にも。

「私の母は、母上なんです」

「……そうだな」

父は、否定しなかった。


「じゃあ、帰るか」


何気ない父の言葉に、リュカは凍り付く。

帰りたい、帰りたいのに、昨日までのようにはもう帰れないから。

「……母上に、なんと謝ればよいのでしょうか」

「今の言葉を、そのまま伝えればいいさ。ライには俺が言っておく」

それでいいのだろうか。

「でも、私は……」

「それとも、これに言わせるか?」

父が手にしたデバイスをこれ見よがしに振りかざす。

何の変哲もない多目的デバイス。だれでも持ち歩いているようなものだ。

これには録音機能もある。

父が、先ほどまでのやり取りを隠れて記録していたとすれば……。

反射的に伸ばした手は、父がデバイスを頭の上に掲げたために虚しく宙をきった。

「——卑怯です!」

「なら、母には直接言え」

退路は断たれた。

元から父がその気になれば力づくで連れ帰ることなどたやすいことなのだ。

む、と押し黙ったリュカをしり目に、スオウは城へ向かって歩き始めた。

そうなれば、リュカはついていくしかないのだ。


片手でデバイスをお手玉しながら歩き去るスオウの後を追って、リュカは小走りにその後を追う。

その目でひたすらに上下を舞うデバイスの動きを追いながら。

次の瞬間にはデバイスは逆の手に持ち替えられ、後ろから飛びついたリュカの身体は、頭から地面に突っ込んだ。

「甘い甘い」

嘲笑う父を、リュカは睨みつけた。

その目を意に返さず、父はまた歩き出す。

追って来いと言わんばかりに。

結局、城に帰り着くまでリュカは何とかデバイスを奪い取ろうと試み、失敗を繰り返したのだった。

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