第42話 ライガット・フォンハイム

リューティシア皇国、皇都惑星シンクレア。

その中心にある皇城セイレーンの王宮庭園で、大きな悲鳴が上がった。

悲鳴を上げて侍女たちがその身を遠ざける中で、リュカはその拘束から逃れようともがいた。

「テメエ!もう一度言ってみろ!」

怒号とともに体が掴み上げられる。

怒りに燃える目を前に、リュカの目もまた怒りとともに睨み返す。

「貴方に、殴られる覚えは!」

「なら、さっきの言葉は取り消せ!」

その言葉に、頭がかっとなった。

「何度でも……母が誰だか知らないけど、勝手に私を産んで、迷惑だと言ったんです!」

言葉も半ばに、身体が大地に叩きつけられる。

光速騎士の力の前では、6歳の子どもではひとたまりもない。

死んでいないのが不思議なくらいだった。

その程度には、相手にも理性はあるということだ。

「竜撃隊が――ッ!」

母が誰だかは知らないが、仮にも自分は竜皇グラスオウの子なのだ。父直属の配下と言えど竜撃隊に危害を加えられるいわれはなかった。

さらに口を開きかけたリュカの頭が、上から掴む手で地面に叩きつけられる。

何度も、何度も。

何度目かの応酬の末に、その足にリュカは噛みついた。

「ライフォン殿、もうおやめください!……リュカ!」

母の、いや、もう母ではない人の、シリル王妃の悲鳴が届く。

光速騎士を止められるのは光速騎士だけ。

だが、今の彼女にその力はない。

重いお腹を押さえ、何とか声を振り絞るのが精いっぱいだ。

「誰か、誰か来てください!親衛隊を止めて!」

王妃に代わり、側にいた侍女たちが悲鳴を上げて散り散りになる。

口でしがみ付いた足から蹴り飛ばされ、庭園の露石に叩きつけられる。

母が用意してくれた料理も、庭園にしつらえられたテーブルも、何もかも巻き添えにしてリュカの小さな身体が撥ねた。

ぶっ、とリュカが口の中から折れた歯ごと血を吐く。

歯はすぐに生え変わる。父から受け継いだ竜の血だ。

桁違いの再生力と身体能力が、まだ6歳のリュカには備わっていた。

それも光速騎士の前には児戯に等しい程度の能力でしかない。

竜撃隊隊長の怒りを受けて、何とか死なずに済む程度の力だ。

それも、長くはなかった。

すでにライガット・フォンハイムの目には怒りしかない。

リュカの無意味な抵抗は相手の怒りに火を注ぐには充分だった。


「——そこまでだ。ライ」


振り上げられた手を横合いから別の手が抑える。

「止めるなスオウ!」

竜皇グラスオウ=リンドレア・ウォル・グラスオウはその手を放すことなく、片手でその動きを制する。

超光速騎士を前にすれば、光速騎士としては上位のライフォンであっても容易に抵抗は出来ない。

「……すまない。リュカのことは俺に任せてくれ」

喉の奥から絞り出すようなスオウの声に、舌打ちとともに、ライフォンは唾を吐いた。

仮にも王宮庭園で許される所作ではないが、すでにせっかく再建された王宮庭園は惨憺たる有り様だ。それを咎めるものはここにはいない。

竜撃隊隊長ライフォン=ライガット・フォンハイム。

今や燃えるような赤い髪と目に怒りを宿す暴虐の化身。

彼こそが本来、皇家を守る親衛隊士なのだから。

ようやく、光速騎士が、そしてセイレーン城の警備士である超音速騎士が自動警備兵ドロイデンを引き連れて駆け付ける。

その時にはすでにライフォンの姿はなかった。

スオウは空いた右手を上げ、駆け付けた騎士たちを制する。

「——何も言うな。ライには頭を冷やす時間が必要だ」

庭園の惨状を前に固まった騎士たちは、竜皇の言葉に反駁を封じられる。

自動警備兵ドロイデンが警備士の指示に従って、散乱した庭園の片づけを始めた。


「——リュカ!」


悲痛な叫びがスオウの耳を打った。

大きなお腹を抱えて、浮遊椅子から立ち上がったシリル王妃=セイル・シルフィード・ファルクレアが庭園に転がったままの息子を助け起こす姿が見える。

そうして差し伸べられた救いの手を、リュカは叩き返した。

「……嘘つき」

座り込んだまま、母の手を弾き、その顔を見ることなく、呪詛のようにその言葉は放たれる。

リューティシア第一皇子リュカ=リュケイオン・グラストリア・リード。

いや、自分がそうでないことを悟った子どもは、見上げるその目に燃えるような怒りを称えて母を、今日まで母だと思っていた女性を睨みつけた。

「リュカ、私は……」

「——嘘つき!」

リュカの腰の後ろから生えた二本の尾が、それでも自分を抱きしめようとした母、シリルの両手を拒絶する。

自分に向けて撃ち払われる二つの鞭に、シリルは反射的にそのお腹を守って下がった。

その隙を縫って、三本目の尾が庭園の水晶づくりの床に突き立ち、リュカの身体を持ち上げる。

折りたたまれていた背中の二対四枚の翼が、その小さな身体より大きく開き、リュカの身体が宙に浮いた。

――竜の血ドゥルガディア

父たる竜皇グラスオウが賢者の竜から受け継いだその力は、父以上の形で幼いリュカの身体に顕現している。

誰もが父とのつながりを認める一方で、リュカには母、シリルから受け継いだものは何一つなかった。

水晶のような流れる髪も、碧玉のような瞳も、白磁の肌も、何一つ似ていない。

どこまでもリュカはスオウに似て、それが当たり前だと思っていた。

――今日までは。

今は燃えるような赤い髪と目に怒りを宿す我が子が、自分を見下げる姿に身を震わせながら、シリルはそれでも一歩、足を踏み出した。

それを拒絶するように、リュカの身体が後方に流れ、空中庭園の縁に足をかけた。

「……待って」

消え入るような母の声を背に、リュカの身体が庭園から飛び降り、広げた翼が羽ばたいて眼下の城下町の高層建築の中に消えていく。

本来、外からの侵入者だけではなく、内側からも不可視の多層結界で守られているはずのセイレーン城の防衛機構は、その小さな脱走者の姿を感知しなかった。


「——リュカ!!」


庭園から身を乗り出すように叫ぶ妻の身体を、スオウはゆっくりと抱き留め、引き戻す。

このまま落ちても、城の制御結界が受け止める以上、彼女の身体に危険はなかったが、それでも身重の身には何もないのが一番だ。

「リュカは、俺が引き受ける。今は身を休めてくれ」

納得できない王妃の頭を撫で、何とかなだめようとしながら、スオウはその視線を上空へ巡らせる。

城の天守閣、その頂上に、登楼に身を隠しながら、遠巻きに自分たちの姿を眺める赤い男の姿があった。

ライガット・フォンハイム。

彼女と同じ赤い髪と目を持つ兄の姿。

「……わかってるよ」

口の中で、スオウは小さく答える。

スオウの視線に気づいたのか、ライフォンの姿は壁の向こうに消えた。

どんなにリュカを怒っても、殺そうとまで怒っても見捨てられず、見放せない。

それを未練だと咎めることはスオウには出来ない。

彼にとっては、妹の忘れ形見なのだから。


あの日から、シリルがまだ何もわからない小さな赤子の母になってから、すでに5年の月日が過ぎた。

今までの歳月が積み上げてきた偽りの家族の形は、彼女の中に宿った新しい命によって脆くも崩れようとしている。

リュカが自分を産んだ母のことを知る日が来たのだ。

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