第41話 約束
「もう少し良いやり方があったんじゃないの?」
「……と、言われましても、こちらとしても楽な橋を渡っているわけではありませんよ」
姉と兄の会話を聞きながら、リューティシア第三皇子ライフォン=ライガット・フェリアス・グラストリアはその少し後をついて歩いていく。
その横には同い年の甥のデイル=ディルファン・グラム・ヴァリエ―ルの姿があった。
「ナーベリアで片を付けるのが一番楽だったのは確かですが、それでは根本的な問題が解決しません」
「……問題を先送りにするだけって言いたいんでしょ。それはわかってるけど」
元リューティシア第一皇女サリア、現在は軍将バルドルの妻となったサリア・ヴァリエール夫人は弟の言葉に口を尖らせた。
その様子に、第一皇子リュクス=リュクシオン・セイファート・リードは肩をすくめる。
論争を繰り広げながら姉たちの足は止まることがなく、まだ8歳のライフォンとデイルは無意識に歩調を速めた二人に慌てて追いすがっている。
長兄である竜皇リュカ=リュケイオン・グラストリア・リードの政務室を離れ、四人は今セイレーン城の長い回廊を歩いている。
回廊は自動制御の浮遊通路で四人を運んでいるが、その上をさらに自らの足で四人は歩く。それは焦りの表れでもある。
「これは内戦です。長引けば他国、そうでなくとも従属国家群の介入を招く」
「そうなる前にすべてを終わらせて、その後の混乱も防ぐ。
……一回で全部は欲張ったものね」
「成功すれば最大の効果。最小でも反勢力の殲滅までは行えます」
「そんなに全部上手く行くわけ?」
「我々が負ける可能性もあるんです。その効果の有効性を見極めつつ選択をしなければならない」
「最悪、あの子が死ぬわけね」
「……一番の最悪は、あの子が他国に逃げ出すことです。この国に侵攻する大義名分を与えかねないわけですから」
リュクスは姉との会話を切り上げる。
不満げに引き下がったサリアの姿に、ライフォンは一つの予感があった。
「姉上たちは、ティルア姉さまがこうなることをご存じだったのですか?」
その言葉に、二人が同時に振り向く。
親子ほど年の離れた姉と兄の見下ろす視線にライフォンは思わず身を固くした。
その横で、デイルは平然としている。そのあたりは父バルドルによく似ていた。
「……あの子が生まれる前からね」
苦々しげにサリアが小さく吐き捨てるように答える。
「僕が、姉さまと代わってあげられたら」
「その時は、私は容赦はしません」
ライフォンが思わずつぶやいた言葉に容赦ない返事が返った。
見上げるライフォンを次兄リュクスの冷ややかな目が見返す。
「ティルアには戦闘力はありません。あの子はただ祀り上げられるだけの存在でしかない。……貴方とは違って」
冷淡に、酷薄な言葉がライフォンを打つ。
「ティルアや僕にはスウォルやライと違って武人としての才能が有りません。僕たちは誰かの支持なしには人を動かせない」
「……そんなこと、兄上は立派です!」
「この歳で人の上に立てるなんて普通じゃ無理ですよ。僕には兄上のような人並外れた何かはない。ただ父と母の子であるというだけです」
宰相補佐という重責にあり、摂政を務めた兄を、今は竜皇となった兄の側近を務めながら、リュクスはその劣等感を吐露する。
この場には彼の兄弟しかいない。
皇族という血縁の価値を除けば、弟のスウォルと同様に自分はそれ以上の存在ではないという自覚がリュクスにはあった。
「貴方には騎士以上になれる素質がある。それは戦場で指揮が取れるかもしれない存在だということです。
あそこにいるのがティルアではなく成長した貴方なら、私は決して助けようとはしないでしょうね」
この場には彼の兄弟しかいない。
血の繋がらない姉と、自分より恵まれた素質を持つ弟と甥を前に、リュクスはその妬心を吐き出した。
ライフォンは答えない。
ただ、兄の目をずっと見返していた。
「——兄上が貴方にその名を与えた意味を理解することです」
兄の政務室を離れ、姉のサリアに誘われた部屋でライフォンたちを迎えたのは、リュクスの実母である第一王妃シリル。
そしてライフォンの母である第三王妃ティルトだった。
向かい合って座っている母たちの、ティルトの膝の上にはまだ四歳の妹のティカが座っている。
「あにさま!」
その言葉が、誰を指しているのはわからない。
彼女にとっては血縁上は甥のデイルも兄だ。
ひとまずは最年長の兄のリュクスが手を振って応えた。
「あなたも戻ってきたのですか」
「ひとまず小休止です」
意外そうなシリルの声に、リュクスは苦笑気味に答えた。
そこには、先ほど弟へ向けた顔とは違う。
穏やかな表情を浮かべた礼儀正しい第一皇子の姿だ。
自分を偽ることにかけて、リュクスを上回るものはいない。ただ一人の兄を除いて。
「……だからといって、ライを虐めるのはおやめなさい」
そしてそんな息子の内面を見抜けない母ではない。
偽装に失敗してリュクスは顔を掻いた。その横腹を姉のサリアが肘で突く。
「それで、リュカはなんと?」
「……兄上からは、姉上のご助命を戴けると約束していただきました」
ライフォンの言葉に、そうですか、とシリルは小さく答えた。
その隣で、ティルトが娘の頭を撫でた。
予想通りというような反応に、ライフォンは既視感を覚える。
「——母上もご存じだったのですね」
その言葉に、シリルは静かに頷いた。
口元の皺が小さく震えるのが見えた。
「ティルアが生まれる前から、私たちは、いえ、リュカはこうなることを考えていました。これは避けられないことだと。
……私はこうならないようにと願っていましたが、残念です」
自分の名前の意味をライフォンは知っている。
母シリルに頼まれ、兄であるリュケイオンが実母のティルトが生んだ子に名付けたのだと。姉と自分の名前を付けたのは兄であると。
その理由をライフォンは深く考えたことなどなかった。
自分が兄と争うことなどないと思っていた。姉のティリータが兄と争うことなど考えたこともなかった。
歳の離れた兄のリュケイオンは、物心ついた頃から病に伏せがちだった実の父の代わりに面倒をみてくれた、ライフォンにとってはもう一人の父のような人だった。
ライフォンはようやく理解した。
自分が兄に陳情に行ったことの意味を、兄にとっても母にとっても、これはすべて織り込み済みの行動だったのだと。
ただ、自分を安心させるために、母は自分を兄のもとに行かせたのだ。
「昔ね、まだティルアがお腹の中にいたころ」
そう、母が言った。それまで静かにライフォンの様子を見守っていたティルトが話し始める。
「陛下に言われたの。あの子はいつか争いのもとになるって」
「……それを直接言うあたりがなんとも父上だというか」
それを聞いて12歳のリュカが頭を抱えたのを今でも覚えている。
リュケイオンが皇都に召喚される少し前、父もまた一度皇都に帰還していた。
その時の会話だったのだろうが。
「陛下は、正直な人だから」
自分が利用することを堂々と相手に宣言するのは、父グラスオウの昔からの流儀だという話はリュカも聞いたことがあった。
「もうすぐ自分の子どもが生まれるって時に言うことでしょうか?」
「……父様って変」
「ヘン!」
リュカとともに話を聞いたサリアとリュクスも唱和する。
「でも、仕方ないのかな……私が、私は古代王朝の末裔だから」
その事実を突きつけられて10年の月日が流れた。
母が亡くなった後、その苦しみを分かち合った父も2年前の皇都襲撃で命を落とした。
彼女の家族は今はもうここにしかいない。
「そんな血に縛られることに何の意味があるというのです」
その葛藤を、彼女の義理の息子は容赦なく切り捨てる。
この中では誰よりも母の血統というものに苦しんできたリュカにその理屈は通用しない。
「血筋なんて、何の価値があるというのです」
「そうだよ!」
リュカの言葉に、リュクスが続く。
「……その子が悪いことに巻き込まれないようにみんなで守るの」
その声は小さく、しかしはっきりとサリアは母に向かって宣言する。
「そうだよ!」
姉の言葉に、リュクスが続く。
「兄さまと、姉さまと僕で妹を守るの!」
リュクスが胸を張った。
「僕、お兄ちゃんだから!」
兄と姉の手を取って、今はまだ一番下の弟は満面の笑みで宣言する。
サリアはゆっくりと弟の手を握り返す。
その反対側で、リュカは勝手に手を取った弟の手を振りほどくこともできず、しかし握り返すこともできずに固まっていた。
「……殿下、私もですか?」
この中で一番、まだ見ぬ妹と敵対する可能性を理解しているリュカは弟の、そして未来の主君の言葉に素直に応じることは出来ない。
「兄さま!これは命令なのです!」
一度手を放し、格好つけて突きつけられたリュクスの指に、リュカは観念するしかなかった。
その手を握り返し、リュカは笑顔を作る。
「……皇子殿下の意志に従います」
リュクスの笑顔につられて、ティルトもまた笑顔で大きくなったお腹を撫でる。
少し、お腹の中で動いたような気がした。
「お兄様、頑張りましょう」
サリアにも微笑みかけられて、リュカは引きつった笑みを浮かべる。
形だけは、きれいな笑顔を。
「約束ですよ!」
屈託のない笑顔とともに四人が手を取り合って丸い輪を作る。
リュカが今ほど母の、シリルの助けを欲したのは初めてだった。
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