第45話 兄弟殺し

「さて、何から話そうか」

セイレーン城にしつらえられた竜皇の自室は簡素なものだ。

元より子供のころから読書と映像鑑賞以外に趣味らしい趣味もない。

軍将として一軍の指揮を執るようになって以降は、軍学の勉強ばかりしているような父だった。

その父グラスオウと今、リュケイオンは一対一で向かいあっている。

6歳になって初めてのことかもしれなかった。

物心ついたころから父は戦場にあり、皇城で母と過ごしていた。

たまに帰ってきては、一緒に城から抜け出して、母に禁止されている、いつもはいけない場所や食べられないものを食べさせてくれることはあった。

だが、父の仕事の邪魔はしてはいけないと、父からやってくる時を除いて、リュケイオンから父のもとに赴くことはほとんどなく、そういう時はやはり父は側近たちと何かを話していた。


「父上が、ご兄弟を殺したという話は本当でしょうか」


だから、今まで聞けなかった話を聞いた。

人前では決してできない話だ。


「さて、兄の話か弟の話か」

……エンダール帝国の侵攻により旧リンドラスが陥落した際、グラスオウは兄王クラックスを助けることなく国外脱出を選択した。

これは当時、剣帝エルディアに勝ち目のない以上仕方のないことだった。

見殺しにしたという判断はついてくるが。

その後のエンダール帝国による王族狩りで、多くの親戚が殺されている。


リンドラス奪還後、権力闘争を嫌ったグラスオウは旧リンドラスの統治を海外留学中で生き残った弟のグルースに任せ、自らはシンクレア王国へ身を引いた。

その弟は復興を始めたリンドラス内での様々な問題を処理できず、わずか3年で再度リンドラスは崩壊。

そのころシンクレアを中心にリューティシア皇国の編成に着手していたグラスオウは、自ら事後処理に赴き、弟の死をもって反乱勢力を打ち倒し、リンドラスの混乱を納め、その所領を手にした。

これもリンドラスを手に入れるために弟を見殺しにしたという批判は免れない。

まだ昨年の話だ。

グルース王の死はリュケイオンにも覚えがあった。


「では、クルマルスの話をしよう」


父はリュケイオンの知らない弟の名前を出した。


「俺の子どもの頃の話は知っているな」

「……不治の病であったと聞いています」

有名な話だ。

リューティシア皇国の成立を演出するために、父の力は神格化された。

生まれながらにして難病を患った王子が、やがて竜の力を得て、小国の王女の助けを受けて、祖国を奪った悪逆非道の皇帝を打ち倒す英雄譚。

作られた虚像だ。

その多くは事実であるが、それを脚色する美談を経て今の父の物語がある。

その虚構と実像を、リュケイオンは母から愚痴交じりに聞かされていた。

本当の父はあんなに恰好よくないのだと。

「病を克服するため、俺は祖父の助けを得て竜の星に至り、そしてその血を与えられた」

「……適合率250億分の1と言われる試練ですね」

「——お前に至っては生まれた時から竜の血ドゥルガディアを引いてるんだがな」

苦笑する父を前にリュケイオンは沈黙する。

その実感がなかったのだ。

城内の人間からは異常とも思われるリュケイオンの身体能力も、まだ六歳の子どもでは彼の知る大人たちの足元にも及ばない。

リュケイオンの知る父とその配下の騎士には、彼と同様に生まれ育ちから規格外の戦士しかいなかった。

その中では竜の血ドゥルガディアも埋没してしまう。

「まあ、ともかく、そうなる前の話だ」


「お前よりもっと小さい頃から12くらいまで、俺はほとんどの時間を王立病院で過ごした。中には同じような境遇の奴がいて、みんないつの間にかそこから消えた」

「……退院したということでしょうか?」

「さあ?死んだのか、治療が成功して出て行ったのかはわからないがな?

それは教えてはもらえなかった。

 ——知ってるやつが消えて、知らない奴が入ってくる中で、俺はずっとそこにいた」

遠い目をして、過去を懐かしむように父は語る。

「消えていった奴の一人に言われたよ。俺は特別扱いだってな」

リュケイオンは答えず、父の話を聞く。

「7番目の王子でも、仮にも王の子だから、俺は優遇されていた。ほかのやつが同じ病気で死んでいっても俺だけは生かされていたし、治療は優先されたし、俺に施す手術の実験に他の奴が使われた。

 ――だから恨まれて、憎まれて、味方はどこにもいなかった」

父の暗い笑いを前に、リュケイオンは沈黙を続ける。


「母からは何度も言われたよ。俺がまともなら、父は俺たちを愛してくれたのに、と。

もっとも父には何十人も妃がいたけどな。

それでも祖父にとっては、俺が唯一の王家との繋がりだった」

グラスオウの従兄弟が切り盛りする父の母の実家、ナフタルス商会は、今やリューティシア皇国経済を支える重鎮だ。

リュケイオンの曽祖父に当たるナフタレン・グラントにとっては、たとえ死に体でも王の血を継いだ孫の存在は、事業拡大に不可欠な存在だった。

「そのうち、母に弟が出来た。クルマルスは健康で、皆に可愛がられて、その影で俺は忘れられていった」

リュケイオンの目が父の視線を追う。


「だから、殺したのですか?」


その言葉を口にするのは躊躇われた。

それでもそれを聞く機会が二度あるとは思えなかったのだ。

「あれは不幸な事故だった」

欺瞞に満ちた父の言葉をリュケイオンは微動だにせずに聞く。

「誰かが、間違えて手の届くところに俺の薬を忘れた。まだ幼い弟が誤ってそれを呑んだ。それだけの話だ」

薬は誰にでも薬だとは限らない。

まして劇薬となれば、まだ身体の出来ていない子どもには猛毒に等しい。

医学の進歩は、それが誰にでも優しいとは限らないのだ。

「弟の死を前に母は、狂って自殺したよ」

ざまあみろ、という声にならない言葉が父から聞こえた。


「そうなった以上、祖父は俺に賭けるしかなくなった」

たとえ弟の死が兄の手によるものだとしても、王家に差し出す娘もいなくなっている以上、ナフタレン・グラントにはグラスオウを糾弾する選択肢はなかった。

それまでと同様に多額の費用をかけて孫を延命させるか、健康体として生まれ変わらせるか。


それが竜公子スオウ=リンドラス・ウォル・グラスオウの始まりなのだ。


「私は、父上のようにはなりたくありません」

その父を前に、リュケイオン・グラストリア・リードは正面から立ち向かった。

「そうだな。お前はそれで良い」

父は否定しなかった。


撫でるように頭の上に置かれた父の手は、優しく、力強くて、それが兄弟を次々に死なせてきた残忍な人のものだとはどうしても思えなかった。

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