第39話 先触れ

「お願いします。貴方だけが頼りなのです」

眼前の姉から告げられた言葉に、リューティシア皇国第二皇子スウォル=グラスレイ・リンドレア・スウォルツは吐きかけたため息を何とか我慢した。

目の前の立体映像板に映る姉の真摯な顔は真剣そのものと言った姿で、内心でうんざりしながらスウォルは言葉を選ぶ。

「……姉上、ご自分が何をしているか、お分かりですか?」

その言葉にも、姉は真剣な眼差しで頷いた。

「このまま、兄上の暴虐に屈するわけにはいきません。誰かが声を上げ続けるひつようがあるのです。私が――」

リューティシア皇国第二皇女ティリータ=ティルテュニア・リンドレア・スウォル。

内心を隠して応対する弟に対し、彼女は自らを偽ることを知らない。

「貴方と騎士団の助力があれば、私たちはまだ戦うことが出来るのです!」

今や反乱勢力である旧フェレス復興派の旗頭となった姉を前に、スウォルは周囲に従う騎士たちの視線を感じながら無言で対応する。

「貴方以外は皆シンクレアに囚われの身となっています。今はあなただけが頼りなのです」

「……保護ですよ。今は非常時です。

 ――誰のせいだと思ってます?」

スウォルの冷ややかな言葉にもティリータは動じない。

いや、気づかないのだ。彼女は自分の立場に気づいていない。

自分が家族の敵に回ったのだと。母や兄弟姉妹を敵に回したのは自分自身だという自覚がないのだ。

自分が正しい立場にいるのだと思っている。

姉にとっては人質に取られていると思われている家族は、スウォルの立場では兄に保護されているに過ぎない。

立場が変われば見方が変わる、敵味方も変わる。

そのことに姉は気づいていない。

「あなたは!あの男の残虐さがわからないのですか!?」

「——よく理解していますよ。姉上以上に……ね」

あの男……もはや姉にとって、長兄は兄ですらないのだ。

「兄上と貴方——どちらを敵に回すかなど自明の理です」

兄に逆らえば殺される。その恐怖を感じる以上、スウォルに竜皇と戦うつもりはなかった。

スウォルはもはや姉に対する侮蔑の意を隠す気もなくなった。

自分たち家族は、王城においては第一王妃シリルを母と、第一皇子リュクシオンを兄として構成されていた。

そして戦場に立つ父スオウと、長子のリュケイオンを長兄として家族として今までやってきたのだ。

それが家族の決まり事だった。

その兄を、リュケイオンを兄ではないというならば、同じ父を持っていたとしてもティリータを姉だと扱う必要もないのだ。

「……私はまだ死にたくないので、ね」

スウォルはその右手を振り上げ、無言で通信の打ち切りを告げる。

通信士が後ろ手に頷き、光量子波エーテル通信を断絶する。

最後まで何かを叫んでいたティリータの姿を映すことなく、立体映像板は途中でその像を断ち切った。


「——ま、及第点ですな」

通信を打ち切ったスウォルの後ろから、居丈高な声が降った。

振り向いたスウォルの視線の先にいるのは、声の主である第七炎戒師団団長ガルバー=ガド・バリオン・キンバー。

長身のスウォルよりさらに一回り大柄な巨体に、国内有数の軍事知識の頭脳を備えた皇国内最高位の武将の一人。

このカルパリア国境線の防衛を任ぜられた第七師団団長を務める超光速騎士にして軍将である。

スウォルが今立っているのは、リューティシアと国境、銀河を隣接する銀河国家サルベニアとの隣接惑星系、軍事惑星カルパリアの基地司令部だった。

惑星どころか、中核となる恒星含む惑星系そのものが要塞化した巨大軍事基地である。

フェレス復興派の蜂起と同時に、国際関係が一番不安定な隣国サルベニアの侵攻を警戒した兄、リュケイオンの命により、スウォルは竜皇の名代としてカルパリアに派遣されていた。


「バカな人です」


スウォルは語気を強めて言った。

半ばは演技だが、本心でもある。

姉のティリータにしてみれば、スウォルとともに国境に派遣されたシンクレア騎士団と、国境守護を任じられていた第七師団を味方につけようと考えたのだろう。

だが、スウォルにしてみれば護衛につけられたシンクレア騎士も、第七炎戒師団も兄、リュケイオンの配下である。

スウォルが何をどうしようと、彼らがただ送られときただけの名ばかりの代理人に従うはずもなかった。


「これは仮定ではなく、明白な事実の確認ですが、私が姉上に同意したらどうしていましたか?」

スウォルは周囲を固める騎士たちに問う。

スウォルの護衛につけられたシンクレア騎士たちは思わぬ質問に硬直した。

「——手足をもぎ取って陛下の元へ送り返しますな」

「……そうなるでしょうね」

その中で、ガルバーだけが即答する。

かつては第一龍装師団に属し、初代団長ザルクベイン、そして次に団長代行を務めた兄、次代竜皇リュケイオンのもとで戦っていた男だ。

反逆者の処分などは慣れたものだ。


「貴様!殿下に何と言うか!」


予想通りの返答を意に介さないスウォルに対し、その護衛に付けられた騎士の一人が反発する。

次の瞬間には、その騎士から手足が消滅し、胴だけになった。

床に投げ出された胴から繋がった首から悲鳴が上がり、他の騎士が慌てて助け起こす。

「その殿下と話している。邪魔はしないでほしいものだな」

ガルバーがわざとらしい仕草で首をすくめた。

護衛の騎士隊長ランツェンが何かを言いかけ、そして押し黙る。

何を言っても、次の瞬間には自分が床に転がるだけだ。

第二皇子スウォルの護衛に抜擢された12人の騎士全員が光速騎士だったが、誰一人ガルバーの剣閃を見た者はいなかった。

超光速騎士と光速騎士の間には大きな隔たりがある。その差を埋められるのは光速騎士の中でも上位の者だけだ。

ようやく光速域の兆しが見えてきた、まだ16歳のスウォルには何の痕跡も感じることは出来なかった。

一般的にはスウォルですら天才と呼ばれる域にあるが、兄であるリュケイオンは15歳で目の前の超光速騎士ガルバーに勝ち、第一師団の指揮権を名実ともに手にした怪物だ。

自分がその兄のようになれるとはスウォルには思えなかった。


「——名代?私が兄上の代わりに派遣されるのですか」

「まあ、形式上——というか。あくまでパフォーマンスに過ぎません。

 国境警備は各方面軍に任せて大丈夫、と兄上はおっしゃっているので……。

 内戦に対して、国境の守備も意識している、ということを国の内外に示す必要があるというだけです」

フェレス復興派の蜂起から数日。

竜皇の即位式に合わせて集まっていた他の家族や来賓同様に惑星シンクレアに留め置かれていたスウォルは、竜皇からの呼び出しを受けた。

政務室に呼び出されたスウォルを待っていたのは二人の兄の姿。

いつものように長兄の隣で政務資料を手に仕事を進めている次兄からの呼び出しだった。

次兄のリュクシオンとは同じ母を持つ間柄だが、正直なところ勉学の鬼とも呼べる実の兄より、戦場から時々帰ってきては遊んでくれた長兄のリュケイオンの方が馴染みやすかった。

その兄は、次兄に話を任せて別の仕事をしていた。

リュケイオンが摂政につき、リュクシオンが補佐についてからこの数年はよく見る二人の姿だった。

戦が起きようとなんだろうと、片付けるべき仕事はいくらでもあるのだ。

「——私などが行って役に立つのでしょうか?」

その返答は、恐れたのではない。

ただ自分がまだ騎士訓練校の学生でしかないという自覚がスウォルにはあった。

自分が兄たちのようになれるかどうかの自信がなかった。

「……まあ、行っても行かなくても特に支障はありませんね」

「言われた通りただの見世物パフォーマンスだ。特にやることがなくて困ってるというなら、行ってもらいたいところではある」

次兄の言葉を受けて、長兄が言葉を継ぐ。

長兄が指先で光学資料を弾き、空中を飛んできた資料をスウォルは受け取る。

「カルパリアの……第七炎戒師団、ですか」

惑星の位置と派遣された師団の性質は知っている。

皇国軍の基礎知識として騎士訓練校で最初に叩き込まれるものだ。

「——怖いか」

「……第七師団長について、あまり良い噂を聞きません」

「——まあ、そうだよな」

次弟の不安を、リュケイオンは笑い飛ばした。

兄にとってはよく知る配下。

スウォルにとっては未知の危険人物だ。

「褒められた人柄ではないと聞きます。兄上は、ガルバー殿を信用できるのですか?」

「……妹に背かれた俺が、誰かを信用できるかな?」

ふざけ半分に混ぜ返されて、スウォルの背すじに冷たい汗が流れる。

これは内戦なのだ。もはや誰がいつ裏切るかを、そうでないのだと信用する術などない。

それが家族であったとしても……。

「——お前は俺に勝てると思うか」

「まさか、考えるまでもありません」

「——つまりそういうことだ」


スウォルは大きくため息をつきながら眼下で倒れ伏した護衛騎士の姿を見下ろして、そして手を下した男を見上げる。

「仮にも陛下の命で派遣された騎士です。扱いは丁重にお願いしたい」

何とかそれだけを言った。

その言葉を言うのに全霊を込めた。

「——では次から気を付けることにしましょう」

第七炎戒師団長はこれまたわざとらしく肩をすくめた。

その後ろで、彼に斬られた騎士が同僚の手で救護班に引き渡される。

この男は、相手がいかなる立場であろうとも遠慮も配慮もしない。

ただ彼我の力の差に忠実なのだ。

だから、リュケイオンはガルバーを信用している。

自分がそれ以上強者である限り、決して背かない男なのだと。

その力がスウォルにはない。

いつかは勝てるかもしれないと願っても、それがいつになるかはわからないのだ。

その時、不意にスウォルは思い出した。


「そういえば、カーディウス将軍が討たれたそうですね」

「……ええ、討ち取ったのは殿下とさほど歳の変わらない辺境民だとか」

嫌味な言い方だった。

「マナイ……マサキと言いましたか」

光学資料を中空で開き、情報に目を通す。

愛居真咲。

碧海の大国、フォルセナにて黒獅子の称号を受けた青年だ。

銀河標準齢で自分よりわずか二つ年上で、超光速騎士で軍将級の戦力を持つ男。

わずか半年前に星海に現れた新星の剣雄。

自分よりはるかに格上の、そして兄リュケイオンや従兄のゼルトリウス公子と同様の、突然変異の超天才戦士。

まったく、自分の回りには超人しかいない。

上を見れば、キリがないのだ。

「あなたなら、勝てますか?」

その中での精一杯の反撃だった。

「さて、どうですかな?手合わせするには機会がないでしょうが」

平然とガルバーは受け流す。

相手が軍将級の戦士となれば、彼とて無事ではすまない。

まして軍将カーディウスは、かつてはガルバーと同じリューティシア有数の超戦士だった。

だが、無意味な仮定だ。ガルバーには竜皇に背くつもりはなく、対決する必要もない。

それでこの話は終わりだ。

自分は、ここで飾りの国境防衛という任を演じるしかないのだとスウォルは諦めた。


「そう焦らずとも、殿下は身の程というのをわきまえておられる。

 ――私の知る限り、ずいぶんマシな人材と言えるでしょうな」


ガルバーの息子たちが聞いたら耳を疑うだろう励ましの言葉は、しかし、スウォルの心には届かなかった。

その数日後、手足を切断された騎士は治療の甲斐なく亡くなった。

再生封じの魔剣で斬られた傷は、生半可な解呪処置ではどうにもならない。

一息に首を撥ねなかったのは痛みと苦しみを与えるためだ。

少しでも彼の気に障ったものを許すことなどなかった。

だが、それでガルバーを咎めるものはいなかった。

カルパリア軍事基地は第七師団の領域だ。

その中の首領であるガルバーに勝てる者など、ここにはいない。

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