第38話 今、ここにあること
「——入れ」
政務室に響いた控えめなノックの音に、リューティシア竜皇リュカ=リュケイオン・グラストリア・リードは専紋書類へ署名する手を置いて答えた。
その傍らには、同じく専紋書類の確認と整理を行っていた異母弟の第一皇子リュクス=リュクシオン・セイファート・リードの姿もある。
扉を開けて姿を現したのは二人にとって意外な人物ではなかった。
「……ライか、どうした?」
リューティシア第三皇子ライフォン=ライガット・フェリアス・グラストリア。
今は亡き先代竜撃隊隊長ライフォンの名を与えられた先代竜皇グラスオウの四男であり、第三王妃ティルトの第二子である。
長兄であるリュケイオンの竜皇即位に伴い、第四皇子から第三皇子へ昇格したばかりの8歳(地球人年齢換算)の少年だった。
現在30歳(地球人年齢換算)のリュケイオンとは親子ほど歳の離れた弟である。
続いて、元第一皇女サリア、現在は第三師団副長バルドルの妻となったサリア・ヴァリエール夫人と、その長男であるデイル=ディルファン・グラム・ヴァリエールが姿を現す。
縁戚上は叔父と甥の間柄であるが、ライフォンより2つ下のデイルは、ライフォンと一緒に行動していることが多かった。
「――兄上、お仕事中、お邪魔をして申し訳ありません」
政務机に座ったままの長兄と次兄に対し、正面に立ったライフォンは直立して緊張した声を上げた。
「構わないさ。ティルがやらかしてからこっち、ロクに話もできてないからな」
軽く言い放った言葉に、第二皇女ティリータと同じ母を持つライフォンはさらに身を固くする。
意地の悪い、と無言でリュクシオンがリュケイオンの横顔に目をやった。
「その姉上のことで、兄上——いえ、陛下にお願いがあってやってまいりました」
「——話せ」
座ったまま鷹揚にリュケイオンはその懇願を受ける。
「この戦が終わった後、姉上のご助命をお願いしたいのです」
その異母弟からの提案は、全く意外なものではなかった。
隣にいたリュクシオンも平然としてライフォンの後ろに控えているサリア夫人とデイルに目を向けている。
「ずいぶんと気の早い話だな。まだ戦は終わってもいないが・……」
政務机に足を投げ出し、リュケイオンは大げさに両手を広げて見せた。
芝居がかっているのは承知の上だ。
表向きは血も涙もない皇と思われていても、家族の前では多少、羽目を外したくなる時もある。今がそうだ。
「兄上……いえ皇国軍はすでにナーベリアで勝ち、ベルガリアでの勝利によりフェーダー銀河系の各惑星も降伏を宣言しています。もはや勝敗はついたも同然です」
8歳にしては冷静な観察眼だと内心で冷ややかな評価を下す。
「……その判断力が連中にあればな」
「姉上には軍事の知識はないでしょうけど、ウォールド軍将以下それがわかる方はフェレス解放軍にもいるのではありませんか?」
どうだかな、とリュケイオンは嗤った。
「我々はまだ負けておりません!」
フェーダ貴族のまとめ役であるライド・シュテルンビルド・アドルスティン伯爵が熱弁をふるう姿に旧フェレス解放軍の首座に付くティリータは気圧されていた。
「ナーベリアで戦力を失ったとはいえ、現在もフェレス解放軍は健在。第三重征師団はほぼ無傷で残っています。この惑星フェザリアに対して、皇国軍が侵攻して来るとしても我々はまだまだ戦うことが出来るのです」
シュテルンビルド伯爵の叫びに、フェーダ貴族たちの叫びが唱和する。
「我々がここで戦い続けている限り、今は静観している諸国も我々に理解を示すものも出てくることでしょう。ここで退くわけにはいかないのです!」
シュテルンビルド伯爵の怒声に、ティリータはただ言われるままに頷いた。
その横で控える第三重征師団団長ウォールド、そして副長のバルドルがそれに冷ややかな態度を隠そうとしないのにも気づかない。
(……ここで退けばこいつらには破滅しか残っていないからな)
自分たちには無関係とばかりにウォールドはフェーダ貴族たちの狂騒を他人事の世に眺めている。
今の惑星フェザリアにいるのはフェーダ貴族だけではない。
次代竜皇リュケイオンの即位に不満を持つ皇国内の反勢力に属する者たちが集結している。
いや集まるように誘導されたのだ。他ならぬ竜皇の差し金である。
ここにいる彼らは竜皇リュケイオンが、妹のティリータ皇女を釣り餌にしてまとめて釣り上げたものたちだ。
公国への欲望、野心、嫉妬。彼ら自身の欲求により、彼らはティリータ皇女のもとに自らの意思で集まった。少なくとも本人たちはそのつもりだった。
彼らには最初から救いも退路もない。あとはまとめて刈り取られるだけである。
残された彼らが生き残るためには必死に戦うしかないのだ。
「……では尚更、姉上の助命をお願いいたします。姉上は、彼らに祭り上げられたにすぎません!」
声を荒げて、ライフォンは長兄に詰め寄る。
その動きを右手で制し、リュケイオンはその目を後ろに控えている甥のデイルに向けた。
「ディル、なぜバルがお前と母を置いて行ったかわかるか?」
「——陛下が勝利した場合、私と母が父の助命を願うためです」
正解、と隣でリュクシオンが無言で小さく頷く。
父親に似て、緊張の色一つ見せずに淡々とデイルは言葉を紡ぐ。
「逆にティリータ様が勝利した場合、父が私と母の助命を乞うことになります」
今は敵対する親友の息子の返答にリュケイオンは満足げに頷いた。
どちらに転んでも妹と甥には助かる道がある。そうなるように手配したのだから。
その様子に、サリア夫人は逆に不満げに義兄を睨みつけた。
「そうやっていつも悪だくみにあの人を巻き込むから」
「——ああみえて、あいつもノリ良いんだぞ?」
途中で話をそらした兄と姉のやり取りをあっけにとらえながら、しかしライフォンは兄が言わんとすることを察していた。
「私が姉上の助命をお願いに来るのも、兄上の予想通りだったのですか?」
「……カーディウスが死んだ」
弟の言葉に応えず、リュケイオンは遠くを見た。
その視線の先に何を見ているのか、それは誰にも分らない。
「これ以上、身内の血を見たくはない。俺がそう言う理由には充分だろう?」
その言葉ではまるで……。
「カーディウス将軍は、そのための生贄だというのですか」
「……望んだわけじゃない。結果としてそうなっただけだ」
吐き捨てるように言い放つ兄の姿に、ライフォンはこれ以上の言及を諦める。
兄とカーディウス将軍の関係をライフォンは知らない。
言葉として師弟関係にあったことは知っていても、それがどれほど深い繋がりであったのかを知らなかった。
カーディウスがリュケイオンに仕えていたのは、もう何年も前の話なのだ。
「時に将は兵を死地に送ることになる。必要なのは、その死を最大限活用することだ。そう、カーディウスに教わった」
だから兄は、弟の懇願を聞き入れ、師の命と引き換えに姉を助命するのだ。
ライフォンは、これ以上兄に何も言うことは出来なかった。
それまで、無言で控えていたリュクシオンに促され、ライフォンは、そしてサリアとデイルもまた退出する。
その姿に目を向けることもなく政務机に足を投げ出したまま、リュケイオンは虚空を見ている。
少しばかり政務を中断しても問題はないはずだった。
少し、死者に手向ける時間を割いてもいいはずだ。
「——ライ」
部屋を出ようとするライフォンの背中に、兄の声が届く。
足を止めたライフォンを置いて、サリアとデイルが次兄に先導されて先に退出していく。
「お前の名前の意味を覚えているか?」
無言でライフォンは頷いた。
かつて皇都を守り抜いた勇者の名前だと言われた。
父にとって兄のような人だったと聞いた。
兄にとって、一番の後悔だと聞かされた。
それが全てだ。
兄が、自分にその名を与えた意味をライフォンは知っている。
自分と妹のティカが、姉と同じ母から生まれたことの意味を知っている。
今、姉が置かれている境遇は、順序が逆なら自分が立っていた場所なのだ。
そしていつか自分が立つかもしれない場所なのだ。
「——俺に、お前を殺させてくれるなよ」
その言葉を背負って、ライフォンは部屋を後にする。
そして、政務室に残っているのはリュケイオンだけになった。
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