第32話 展覧席から
眼下に広がる草原に、小さく写る格納庫から黒い影が飛び出してきた。
「お、出て来たぞ」
頬杖をつきそれを眺めている楽しそうな竜皇グラスオウの声に、幼子を抱いたシリル王妃が小さく身を震わせる姿に、ティルト=ラース・フェリシア・ティルテュニアは不思議な感覚を覚えていた。
一年前から友だちになったリューティシア皇国公子リュカ=リュケイオン・グラストリア・リードからは両親の話はよく聞いていた。
実の子ではない自分を大切に育ててくれた方だと、シリル王妃への尊敬の念をリュカ公子はよく語った。
「王妃殿下には、感謝の言葉もありません」
そう語るリュカの姿には、言葉を選んだ、本心ではない感情が透けて見えていた。
ティルトはそれを、リュカと王妃の距離感だと感じていたが、その感じ方は逆だったようだ。
王妃は本当に、リュカ公子を大切に思っている。
そう思えたのだ。
「魔竜騎ドルガ、ですか」
事前に資料は渡されていたが、元から軍学に疎いティルトにはわからないことの方が多い。
眼下で立つ装機が、最初に惑星シンクレアに降り立った時に見た龍王機ベルセリオスと同じ形で、白の王機と真逆の黒い機体である。
その程度の感想しか持てなかった。
草原の上で、魔竜騎は飛んだり跳ねたりを繰り返し、時に止まって、また動く。
準備体操をしているようだ、とティルトは感じた。
「よくあることなのでしょうか?」
漠然とした問いに、竜皇は穏やかな目を返した。
血も涙もない冷酷非情の竜皇、というアルミニアでの評価が嘘のようだと思える。
「リュカくん、いえ公子殿下くらいの年齢で、装機に乗り込むことはよくあることなのでしょうか?」
その目に緊張して、言葉遣いに気をつけながらティルトは言葉を選んだ。
アルフォース王の保護下で多少の貴婦人修行の手ほどきは受けたが、彼女自身は市井の生まれ育ちだ。貴族らしい振る舞いとは無縁な存在だった。
物心ついた頃からシンクレア式の儀礼を繰り返し教え込まれたリュカ公子の方が、よほど洗練されている。
「あれくらい子どもの頃から遊びで乗りこなすのはよく聞く話だが、実戦参加というのはまずない話だな。まあ、皆無ではないが」
膝の上で手を組み、あえて突き放した言い方をする竜皇の言葉の意味することに、ティルトは気づく。
「戦争に連れて行かれるのですか?」
「あれ自身が望んでいることだからな」
まだ公子は8歳の子どもなのだ。
応える竜皇はティルトの反発を面白がる口調だった。
隣で、ティルトの父、カート=カーランド・ラースがはらはらしながら見守っている。
兄弟殺しの流血皇とまで言われている男だ。親娘の保護を確約されたとはいえ、どこで機嫌を損ねて処罰されるか知れたものではなかった。
改めてティルトは周囲を見回す。
今彼女たちがいるのは、展覧船レフィーナ号。
惑星アルミニアから惑星シンクレアへ来た際に乗っていた宇宙船スィーフィード号の姉妹船だ。
その下部に設えられた展覧席から、透過した床を通して草原に立つ黒い装機を見下ろしている。
席から正面の立体映像では、3次元的に観測された装機の接近映像が投影されていた。
リュカ公子が装機の試乗を行う、と竜皇夫妻直々に見学に誘われて、父と共に言われるままに着いてきただけだった。
非公式の身内だけの催し、と聞いていたが、展覧席には多くの軍人たちが詰めかけていた。
仮にも竜皇の息子となれば、それだけ注目を集めるのだ、とティルトは実感を持つ。
単に前日に泊まり込みで食事会に参加したついでに見学しているのが大半だ、とは夢にも思わなかった。
竜皇が語る身内の枠の広さを彼女が知るのはもっと後の話である。
「ああ、珍しい人が来たな」
竜皇の声に、その視線を追って、ティルトも目を向けた。
展覧席の端にある転送機から、4人組の家族連れが出てくるところだった。
黒髪の長い妙齢の女性と、その夫らしい騎士。その間に挟まれるように小さな少女と、そこから少し離れてティルトと同じくらいの年の少年騎士がついてきていた。
その家族は、少女が先頭で先導するように竜皇夫妻の元に訪れる。
「やあ、よく来たね。エリシャ」
軽い口調で少女に声をかける竜皇の言葉にティルトは戦慄した。
「竜皇陛下。本日はお招きいただき、誠にありがとうございます」
まだ少し舌足らずに聞こえる声とともに、少女が一礼する。
背筋を伸ばして元気に挨拶する姿に、シリル王妃も明るく声を返した。
「姉上もお元気そうでなによりです」
続いて黒髪の貴婦人にかけられた言葉に、ティルトの疑惑が確信に変わる。
その言葉に、婦人は身を守るように、お腹を左手で隠して、ゆっくりと返礼をする。
「ご無沙汰しています。竜皇陛下」
ひどく、隔意のある言葉だった。
一刻も早くここから立ち去りたいと、彼女の全身から叫び声が上がっているようにティルトには感じられた。
「お身体の具合はよろしいのですか?」
シリル王妃がゆっくりと立ち上がり、婦人の側による。竜皇の視線から彼女を、彼女のお腹の子を隠すように。
その様子に、竜皇は静かに笑った。冷たい笑みだった。
「お前が姉上を連れてくるのも珍しい」
「言い出したのはエリンシアだ」
傍らに立つ年配の騎士に語りかけ、端的に返されて、なるほど、と竜皇は鼻で笑った。
「お前はまだ知らないだろうが、ティルト嬢だ」
突然、話を振られティルトは慌てて立ち上がった。
そんな彼女に、竜皇は大柄な騎士を後ろ手に指す。
「こちらはザルク。このリューティシア最強の軍将だと言っていい」
「は、初めまして!」
立ち上がった勢いそのままに、頭を下げたティルトに男は興味を示さない。
「あー、すみません。団長、こういうの全然わからない人なので」
その少し後ろから少年騎士がぱたぱたと手を振って、軽く笑いながら応える。
男はティルトを見下ろし、そしてすぐに興味を失って、王妃に伴われて離れた席に移動する妻子の元へ向かっていった。
そのあとを追って、ごく自然に少年騎士も去っていく。
シリル王妃も婦人の隣に座って彼女を介抱しているので、竜皇の側にはティルトと、父カートが残された。
「今の方、スノーフリア様ですか?」
「そうだ。俺の姉スノウ、スノーフリア・フリード・リンドレアとエルディアの子、エリンシア」
わかっていたつもりの回答を返されて、ティルトは鼻白む。
蒼海制覇を企み、超銀河に戦乱を巻き起こした元凶ともいうべきエンダール帝国。
その最後の皇帝、剣帝エルディアに嫁いだのが、今は亡きリンドラス第四王女スノーフリアだった。
その後、エンダールが侵略戦争を仕掛ける中で、リンドラスは滅び、他にも多くの星々がエンダール帝国の支配下に置かれた。
神威大戦後、エンダール帝国と反エンダール連合の戦力バランスは大きく崩れ、集結した軍団、そしてグラスオウを始めとする数十人もの軍将と、剣帝エルディアとの戦いが繰り広げられ、エルディアは討ち取られた。
星海七大星剣。光速を超え、超光速を超え、神速をも超える宇宙最強の超神速騎士。
その称号の一つである剣帝を備えた蒼海最強の騎士、エルディアを前に次々と軍将が討たれ、引き下がる中、最後まで戦い続けたのが、竜皇グラスオウの右腕である神速騎士、剣臨軍将ザルクベイン・フリードだった。
いかに蒼海超銀河最強の戦士といえど、反エンダール連合の精鋭たちの猛攻の前に、最後は敗北を喫したのである。
蒼海に残された全軍を上げてたった一人を討ち果たすという、蒼海に住む人々に、剣帝、星海七大星剣の力と恐怖を思い知らせながら。
エルディアの死後、エンダール帝国は崩壊。
近隣諸国による割譲と報復により、今はもう半ば消滅している。
その戦後処理の過程で、エルディアの妻だったスノーフリア皇妃は、異母弟のグラスオウに保護された。
まだ幼い娘エリンシア姫と、お腹の中の第二子と共に。
保護された後も、剣帝の妻子だった彼女たちへの報復を求む声は止まなかった。
戦後、リューティシア皇国を立ち上げたばかりのグラスオウは、竜皇として先頭に立ってその声を受け止め、姉を守ることになる。
そんな中で、スノーフリアは剣帝の血を引く第二子を出産する。
死産だった。
夫の死と、その後の怨嗟の声を受けての心労が祟ったのだと噂される中、もう一つの噂もまた生まれた。
竜皇が、剣帝の息子は将来の脅威になると判断して姉の子を死なせたのだ、と。
噂の真偽は定かではない。
竜皇自身は否定も肯定もせず、噂に関して語ることはなかった。
だが、その後に竜皇が剣臨軍将ザルクベインの妻としてスノーフリアを配したことで、この疑惑は確信的に語られることになる。
前夫を殺した男の妻として再婚させる。
尋常の采配ではなかった。
無論、竜皇にも理由はある。
先の大戦における重罪人の妻子としてこの後を生きるより、英雄の妻子として過ごさせたい、というのが表向きの理由だった。
そして、剣帝の血を引く娘を他人に利用させないためには、彼が一番その人柄を信頼できる軍将ザルクベインに姉を預けるのが一番だと判断したのだ。
剣臨軍将ザルクベインは、剣帝エルディアとの戦いで神速騎士へ覚醒したリューティシア皇国最強の戦士である。
権力や栄光といった余事にはまるで興味を示さない男で、ただ竜皇の命令を受けて戦場に立ち続けている男だ。
人柄らしい人柄もなく、食う寝る戦う以外にすることもなく、軍団長の座にありながら、全てを傍らの少年騎士、天才軍師アディス=アディール・サーディンズに任せて、ただひたすら戦場にて剣を振るう男。
そんな男にあてがわれたスノーフリア母娘への同情の声は高まり、報復を望む声は徐々に下火になっていった。
そこまでが竜皇の狙い通りだった。
血も涙もないと言われる竜皇は、彼なりに姉を大切に思っていたのだ。
グラスオウにとっての誤算は、むしろザルクベインの方だった。
戦場にしかいないはずの男は、意外なほど、軍務がないときは夫婦に与えられた屋敷で過ごすようになった。
もとより公的な行事に参加する男ではなく、誰かの訪問を受け付けるような男でもない。
罪人たちの集団である第一師団を率いる軍団長は、人々からは敬遠されていた。
スノーフリアも静かに過ごすことを望んでいたから、夫婦は誰からの干渉も受けずに暮らしていた。
戦場でそうであるように、それでも時折訪れる二人への客は、同居人である少年騎士アディスが対応した。
剣帝の娘のエリンシアは、物心ついた頃から共に暮らしている男を父と思い、同居している少年を兄と慕って育っていった。
その間に、二人の間に何があったのかはグラスオウにもわからない。屋敷の周辺に監視兼護衛はつけていたが、姉たちの内面に踏み込ませるような真似はしなかった。
やがてスノーフリアは3人目の、そしてザルクベインにとっての1人目の子を身篭った。
グラスオウにとっての嬉しい誤算だった。
優しい顔をしている。
ティルトの目にはそう映った。
竜皇の前から逃げるように、お腹の子を遠ざけるように、展覧席の離れた席に座っているスノーフリア婦人を横目で追うグラスオウの視線は、姉の子を死なせた男のものには見えなかった。
噂は嘘だったのだ。そう感じた。
竜皇が、ティルトの視線に気づき、ティルトは慌てて誤魔化した。
「い、一番強い軍団長さんまで見に来るなんて、リュカくん、注目されているんですね!」
言葉だけが勢いよく飛び出して、竜皇は静かに正面の立体映像に映る我が子の装機に視線を移す。
準備運動を終えた機体に、複数の装機が向かい合って立っていた。
ティルトは与えられた光学資料から、この後の試乗演習の予定を確認しようとして、続く竜皇の言葉に凍りついた。
「まあ、せいぜい囮程度には役に立ってもらわないとな」
「お、囮って」
「あの子にはたしかに才能はあるが、まだ戦場では役には立たないさ。とはいえ、敵には真っ先に狙われるからな」
思わず聞き返したティルトに竜皇はなんでもないことのように応えた。
「今のところ、あれがどの程度動けるのか、動けないのか、それを全員が知っておく必要がある」
そのために、この展覧席には軍団長級の戦士たちまでが、リュカ公子の試乗式に集まっているのである。
「どうして、そうまでして戦争に参加させたいんですか」
抑えたつもりの声に、強い非難が混じっていた。
ティルトの後ろで父、カートが真っ青になる。
竜皇は動じなかった。
「これが、あいつにとっての野望の第一歩だからな」
グラスオウのその言葉は、その意味に反して、とても優しく聞こえた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます