第19話 力を望むもの

『お前たち自身の意思で、自分の主人を選べ』


竜皇リュケイオンの宣言を、第一龍装師団、第13分艦隊旗艦グライゼルの艦橋で分艦隊司令ヴォルツ、艦長のクラーケンとともにともにウェルキス=ウェリオン・キンバー・ストルは聞いていた。

第13分隊装機団隊長にして、龍装師団戦略補佐官を兼任するウェルキスは、実働部隊長というだけではなく、艦隊司令に次ぐ13分艦隊の第二指揮権を持つ士官である。

まだ実戦経験が浅く、若手士官に過ぎない彼にとっては重すぎる役割であった。

竜皇の会見は短い時間で終わり、その様子は、その発言のすべてがリューティシア皇国内に発信される。

フェーダ銀河にいる龍装師団での受信は、超空間通信を使用してなお100時間ほどの時差があるが、逆に言えば、一千万光年をわずか100時間で伝播するのだ。

全てを見届けて、ウェルキスは大きく息を吐いた。

「ずいぶんとお疲れだな、御曹司」

その後ろについていたドルバン兵長がからかう。

確かに、虐殺に手を染めていた時より、竜皇の会見の方がずっと緊張していた。

「流石に……もしこの件で我々の責任を糾弾する流れになったらどうするかと不安でした」

ウェルキスの考えすぎ、というわけではなかった。

彼らは知らないが、現実に側近のマイルが竜皇へ進言している。リュケイオンは応じることはなかったが。

その言葉にヴォルツ司令とクラーケン艦長もウェルキスに目を向ける。

「ワシらほどリュカ皇に便利に使える駒は他にありませんぜ。考えすぎでさあ」

老蜥蜴人はあっさりと言い放ち、司令と艦長も頷く。

その言葉に、ウェルキスは思わず肩の力を抜いていた。

「信じているんですね、陛下を」

無思慮にその言葉を放ったウェルキスに、彼の正気を疑うような三人の視線が突き刺さった。

13分艦隊司令官ヴォルツ、バド人の蛸のような頭部がウェルキスに向けられ、龍装師団立ち上げ当時からのたたき上げの戦闘指揮官は若い士官に言い聞かせるように告げる。

「——逆らえば、死ぬんだぞ」

それは、かつてリュケイオン直属の部下として戦場を駆けた龍装師団の古参全員の共通認識である。

その実感は、ウェルキスにはまだなかった。


「——補佐官殿」

と、グライゼル艦長クラーケンがあえて階級でウェルキスを呼ぶ。

その言葉に目を向けたウェルキスに、狼の顔を持つ獣頭の艦長は鼻先でそこを指し示した。

ウェルキスの視線はその場所、グライゼルの艦橋、司令席の下部に設置されている戦術予報士たちの情報集積所に向けられる。

そこに、彼の知る彼女の姿はなかった。

ルクセーラ・アロン・シャッテ。

ルシェルの愛称を持つ戦術予報士の新人で、ウェルキスの婚約者。

ああ、とウェルキスは深くため息をついた。

今回の殲滅作戦で精神治癒が必要なのは前線で直接手を下した兵士だけではなかった。そこに関わったすべての兵に対処が必要なのだ。

必要ないのは、今回の作戦以前より龍装師団に携わっていた兵士だけだ。

「……すみません。席を外します」

司令官たちに一礼し、ウェルキスは艦橋を離れる。

その背中を見送り、師団古参の三人はお互いに顔を見合わせた。

「……タフだな。思っていた以上に」

「来たばかりの時は、すぐ逃げ出すと思ってたんですがね」

クラーケン艦長の言葉に、ドルバン兵長が横目で答えた。

結局、ウェルキス自身は作戦終了後の精神治癒を形通りに行っただけで、他の新兵と違って活き活きとしている。

虚勢というわけではなかった。

ウェルキスはごく自然に、虐殺に加担した自分を受け入れていた。

いや、殻を破ったというべきだろうか。

「――あの男の息子だからな」

ヴォルツ司令はかつての上官の人を人と思わぬ言動を思い出してかぶりを振った。

良い上官だとは口が裂けても言うことが出来ないが、桁外れの力とそれを自負し、使いこなすだけの才覚に恵まれた男だった。

ウェルキス自身はそんな父親とは見た目も振舞いもまるで似ても似つかない青年だが、何かが似ている。

その中に潜む狂気とも言うべき何かが、だ。

そしてそれは、彼らの中にもある。

「期待外れの出来損ないだって言ってましたがね」

「——あの化け物の理想通りの子など会いたくもないがな」

「あの男基準の出来損ないが、我々にとってどうかという話だ」

ドルバンの言葉に、ヴォルツとクラーケンが返した。


艦橋を降り、船員の居住区画に足を踏み入れたウェルキスは、そのまま真っ直ぐに目的の部屋にたどり着いた。

彼女の居室は、艦橋にほど近い位置にある。正確には戦術予報士2人の相部屋だ。

交代制で勤務する彼女らは、そのローテーションに従って共同生活を営んでいる。

「ルシェル、いませんか?」

部屋を尋ねたウェルキスを迎えたのは、その相方の戦術予報士の女性士官だった。

彼女は、部屋の奥を振り向いて指し示し、そのまま部屋を出ていく。

慰めてあげて、という声がすれ違いながら聞こえた。

気を利かせたのだろう。

だが、ウェルキスは部屋に入れなかった。

「来ないで!」

部屋の奥から、寝台の上で毛布に隠れたまま彼女が叫ぶ。

ウェルキスは、部屋の入口に足を踏み入れたままの姿で止まった。

ルシェル=ルクセーラは部屋の隅に向いたまま、震えて動かない。

これが普通の反応だろう、とウェルキスは平静だった。

自分でも、自分が信じられないほどに今の、そして少し前に自分の行ったことを受け入れていた。

「次の寄港までに、貴方の除隊手続きを取ります」

その言葉に、ルシェルは隠れたままビクリと身を震わせた。

「貴方は、ここにいるべき人ではなかった」

わかっていたことだ。

ずっと前から分かっていたのに、ずるずるとそれを先延ばしにしていた。

それでも側にいてほしいのだと、望んでしまった。

こんなところに来た自分を追ってきてくれたことがうれしかった。

それだけを言い残して、ウェルキスは部屋に背を向けた。

「……どうして」

部屋の奥から聞こえるその声に、立ち去ろとしたウェルキスの脚が止まる。

「……どうして、あんなことを……」

消え入りそうな声で、ルシェルが嘆く。

首だけで振り向いて、ウェルキスは冷たく言い放った。

「第一師団に求められた役割とはああいうものでしょう」

どこまでも、平静にウェルキスは答えている。

「私も、貴方も、それを理解してここにいたはずです」

理解はしていた。昨日までもそうだった。

ただ、そのことを実感していなかっただけだ。

その光景を目の当たりにして、その場で実際に手を下して、どう感じるかはまた別の話だ。

「……あなたは、あんなことする人ではなかった!」

喉を割くような叫び声に、はは、とウェルキスは乾いた笑いを漏らした。

確かに、昨日までの自分はそうではなかったかもしれない。

だが——


「それは誤解です。

 ——私は、ずっとこうなりたかった。」


ぞっとする様な目をして、ウェルキスは彼女を見返す。

彼女は、その目を見ない。決して振り返らない。

「覚えていますか?貴方と私が子供のころ、私はずっと兄たちに見下されていた」

こくり、と寝台の毛布が動く。

「そして貴方はこう言ってくれた。私は兄たちとは違う、と。だから私が、貴方の相手に選ばれた」

静かな笑い方だった。

ただ、目だけが笑っていない。だから、ルシェルは決して見ようとしない。

「でもね……私も兄たちと同じなんですよ」

ウェルキスの言葉は止まらない。彼は彼女に話をしているわけではなかった。

「ただ、力がなかった。父や兄たちのように、好きに振舞っても誰も何も言わない。そんな力が私にはなかった」

だから、ウェルキスはおとなしくしていた。

父にも兄たちにも目を付けられないよう、静かに、何も言わずに過ごしてきた。

誰からの恨みも買わないように、誰にも傷つけられないように、周りの人と合わせて生きてきた。

彼女はそれを優しいと言った。

「でも、私も本当は、父や兄のように振舞いたかった。

 何をしても、誰にも文句を言えないような存在になりたかった」

だから、ウェルキスは別の道を選んだ。

勉学という形で、軍政官となる道をだ。

彼にはその適性があり、才能が有り、そしてそれを形にするための努力が出来た。

兄たちのいない分野で自分が上に立つために、必死だった。

だが、それでも、それで諦められるわけがなかった。

「ずっとそんな力が欲しいと思っていた」

自分にも、この手で他人を踏みにじるだけの力が欲しいと。

だから、帰国が決まった後、すぐに皇国軍への入隊手続きを取った。

それを父に見とがめられたのは予想外のことで。

父の手で第一師団へ推薦されたのは、意外なことではなかった。

「私自身に力がないというなら、それを扱える立場になりたいと思っていた」

一番の誤算は、そこに彼女がやってきたことだ。

リューティシア皇国における貴族としての責任感と使命感に溢れた彼女は、軍人として働くならどこでも同じだと言った。

第一師団がそうでないことを彼女は知らなかった。

いや、知っていて、理解しているはずなのに、その実感を持たなかったのだ。

ウェルキスがそうであったように。

だから――

「できれば、貴方を無傷で返したかった」

こうなる前に、彼女を説得するべきだった。

頭ではわかっていたのに、ウェルキスにはできなかった。

未練があった。

彼女に、自分の理解者であった人に側にいてほしいと思っていた。

「もっと早くこうするべきでした」

ウェルキスの権限なら、彼女を第一師団から離すことも、他の師団へ異動させることも可能だった。

そうしなかったのは、どこかでウェルキス自身にも甘さがあったからだ。

第一師団という組織を甘く見積もっていたからだ。

そこに属しながら、自分たちは関わることはないと、遠い世界のように思っていたのだ。

ウェルキスの指が、後ろ手に室外の扉の隣にある制御盤を叩く。

その操作に従い、部屋の自動扉が閉まる。

閉ざされていく扉を背に、ウェルキスは歩き出した。

「さようなら。今までありがとう、ルシェル」

行かないで、という声が聞こえた。

あなたも一緒に、という声が扉を通して響いた。

ここから逃げよう、という言葉が、壁を通じて流れた。

ウェルキスは振り返らなかった。

ルシェルは、彼の婚約者は、部屋の外にまで追ってくることはなかった。

ただ、最後の嗚咽と泣き声の残滓だけが、彼の耳に残った。


そうやって、ウェリオン・キンバー・ストルは自由になった。

彼はもう、誰の目も気にすることはなく自由に振舞えるのだ。

力が足りなければ、そこで潰されるだけのちっぽけな自由。

ウェルキスが何より望み続けた世界が、彼を待っていた。

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