第18話 剣公子ゼト

龍装師団旗艦、ザイダス=ベル内の展望室からリューティシア皇国軍、第一龍装師団長ゼト=ゼルトリウス・フリード・リンドレア公子は、透過された外壁から外に広がる光景を眺めていた。

無重力状態の展望室は広々とした緑の木々で囲われた公園となっている。

その中心で浮かぶ若き師団長の眼は、惑星ベルガリアの姿を映し出していた。

眼下に映る惑星ベルガリアは、すでに炭化した岩塊でしかない。

人も自然も生きているものはいない。

海も山も大地もない。

反応弾と光子砲弾の雨で抉られ、住民は一人残らず焼かれ、残されたのは無数のクレーターが穿たれた巨大な岩塊であった。

ザイダス=ベルの展望室は、本来は乗員の休息場として公開の場であったが、今はゼトを除き誰もいない。

艦内の誰も、ゼトに近づこうとしなかった。

副長にして義兄のアディレウス、そして前団長であり、ゼトの父であるザルクを含め、ベルガリアでの作戦終了後、誰一人としてゼトに声をかけることなく、団長に関わらせずに戦闘の事後処理に移行している。

実務に関しては、20年以上も第一師団の副長を務めるアディレウスがいる時点で、団長のゼトがやるべきことは一切なかった。

これは初代団長ザルク、リュカ、二代目団長を襲名したゼトと代を変えても変わらない。

団長である彼らの役割は圧倒的な戦闘力で敵を蹂躙することであり、団を指揮することではなかった。

気を使わせてしまったな、とゼト自身はぼんやりと考えていた。

敵対惑星の殲滅は、第一師団では常であったが、ゼトが二代目団長を襲名し、軍団再編が行われてからは初めてのことだった。

初めて非戦闘員を手に掛けたのはゼトだけではなく、再編成後に配属された軍人たちはほとんどがそうだった。

そのこともあり、副長アディレウスの指示で師団内での新兵を中心に休息と精神治癒メンタル・ケアの徹底が行われている。

ゼトが事実上、展望室で隔離されているのも同様の処置である。

一方のゼト自身は、本人も驚くほどに平静であったが。


「——ゼト」

小さく、しわがれた声が、ゼトの耳を打った。

振り返った先に、展望室の出入り口の一つに立つ異形の青年の姿がある。

愛居真咲。ゼト・リッドを名乗っていた頃からの弟分の少年。

「ああ、真咲。傷はもう良いのかい?」

今は、長身のゼトよりはるかに巨体となった2リットの大柄な少年は、地球にいたころとはうって変わって、半人半魔の怪物としてそこに立っていた。

その姿も、ゼトにとってはなじみの深い姿だ。

愛居真人とともに旅をしていた頃は、この鬼の子と地球に寄る度に毎日のように力試しで戦っていたのだから。

真咲の眼は、あの頃と変わらない。

髪の毛で覆われて塞がれた左目はそのままに、落ちくぼんだ右目が中空に浮かぶゼトの姿を見上げていた。

「——ゼト」

二度、真咲がゼトの名を呼ぶ。

展望室の真ん中に浮いたまま、ゼトは答えなかった。その視線を向けただけだ。

「次、こんなことがあれば、その時も俺を呼べ」

そんなゼトの態度を意に介さず、愛居真咲は自身の意思を述べた。

その言葉にもこたえることなく、ゼトの眼は真咲の眼を見返している。

「——俺は鬼だ。人喰いの化け物だ。こういったことは俺の方が向いて――」

「相変わらず、変なところで優しいね」

真咲の言葉を遮って、ゼトは返事を返した。

「——変か?」

「変だね」

真咲がなんとも言い難い表情をしたのを、ゼトは気にしなかった。彼は、地球での愛居真咲と鈴宮姫乃のやり取りを知らない。

「——大丈夫。僕は気にしていないよ。むしろ拍子抜けしたくらい」

宙に浮かんだまま、ゼトは右手を目の前にかざした。

ランディウス=ベルガリア・ラントリオン・オルク・ラウス子爵はゼトの友人だった。

ゼトの父、ザルクベインとランディウスの父、カーディウス。同じ軍将として父親同士が戦功を争う仲であっても、子ども同士はそうではなかった。

同じ幼年学校に通っていた少し年長のランディウスは、幼いゼトの面倒をよく見てくれる人だった。

そんな幼い頃からの友人を手に掛けた。

その家族を、そしてともにいた無辜の人々をも自らの手に掛けた。

ゼトの命令によって、街は焼かれ、星は死んだ。

だが、その事実はゼトの心に何の感傷ももたらすことはなかった。

「……もっと、良心の呵責とかあるのだと思っていたのだけどね」

愛居真咲の落ちくぼんだ右目が、ゼトの視線を追ってその手を見る。

真咲もまた展望室の入口から中に入ろうとはしなかった。壁を背に、ゼトを、そして自ら滅びに加担した星を前にしている。

その眼が、ゼトの見ているものを追って、死の星を眺めている。

「——真咲、確かに僕は好きでこんなことをやっているわけじゃない」

その言葉に、愛居真咲の視線がゼトの方に向けられる。

「——僕にとって、必要だからやったことだよ」


「僕にも、反乱の誘いが来たって話はまだしていなかったね」

その言葉に、ああ、と真咲の眼が語り、そして納得したように蠢いた。

察しが良すぎるのも考え物だ。

少し、誰かに話がしたかった。

従兄上あにうえには敵が多いから……」

真咲の方を見ることなく、ゼトは話を続ける。

「それに、第一師団でずっと手を汚していたからね。次代の皇には相応しくないと考えている人は少なくないんだ

 ただ、リュクス=リュクシオン殿下は従兄上と争う気はないから……」

真咲は黙って話を聞いている。

「父や従兄上に比べて僕はまだ未熟だけど、神速騎士だから、従兄上と互角に戦える、と期待されているんだよ」

人の気も知らないで、とゼトは薄笑いを浮かべた。

「だから、僕もティルア=ティルテュニア皇女について正義を示せ、とか。それとは別に僕自身がより皇位に相応しいんだ、とか言い出す人もいてね。

 ……僕の母もリンドラスの王族だからね。人の気も知らないで好き勝手に言われたよ」

まったく、とゼトはため息をついた。

「僕は権力なんか興味もないし、親族で争いたくもないのにさ」

ゼトは皮肉めいた目で真咲を見る。

私生児として生まれながら、その復讐で母の生家である紫上家を潰し、その権威と遺産を全て相続した弟分だ。

その点では、愛居真咲はゼト・リッドの価値観とはるかにかけ離れている。

もっとも、そんなことはお互いに気にしたこともなかったが。

「——それに、僕では従兄上には勝てないよ……今は、まだ」

その言葉に、無言で真咲の眼が蠢く。

ゼトの強さを目標にしている真咲にとって、それ以上の存在ともなれば、今師事しているゼトの父、ザルクベインしか知らない。

そのゼトをして勝てないと称する存在への好奇心があった。

その姿に、ゼトは小さく笑った。

人並外れた記憶力も、洞察力も愛居真咲にとっては敵を知り、勝つための手段でしかない。それ以上の価値を持たない。

それはうらやましくもあった。

「君にとって、僕がそうであるように、僕の目標は従兄上に勝つことだからね

 ——でも、それは従兄上と殺し合うことじゃない」

幼い頃、叔父である竜皇グラスオウに剣を学んだ。

その時から、兄弟子であり、従兄であるリュケイオンはゼトの憧れの存在だった。

「従兄上も、それがわかっているから僕を第一師団に呼んだんだ」

いずれ、ゼトが自分を超える騎士となり、皇国軍を任せられる人材になるという期待から、竜皇リュケイオンはゼト・リッドを第一師団団長に抜擢した。

同じ神速騎士として、自らの戦場における後継者として。

「——だから、殺したのか」

愛居真咲が口を開き、その言葉にゼトは頷いた。

「僕の手が血に汚れていないから、従兄上への対向者に担ぎ出されるのなら、僕自身が手を汚す必要があった。

 ——簡単な話だね」

それ故に、ベルガリア殲滅はゼトにとって必要な行程だったのだ。

そうして、ゼト自ら竜皇リュケイオンと同じ位置につけば、ゼトをリュカの対向車に、次代の皇に掲げようとするものは自然消滅する。せざるを得ない。

ゼトは、自らの安全のために、王位継承権争いから離脱するためにも、ベルガリアの虐殺を自ら行う必要があった。

「ラディには小さい頃から、色々お世話になったからね。そういう人を殺せる人間に、誰が期待するのか、って話」

皮肉めいた言い様だった。

親しい人間にも自ら手を下せる冷酷非情さこそが第一師団には求められるのだから。

その点で、ゼトはリュケイオンの期待通りの存在であったと言える。

そして、これ以降も手を汚し続けるのならば、たとえ皇位継承権を持っていたとしても、ゼトを皇位に望むものは誰もいなくなるのだ。

「心配してくれるのはうれしいけど、僕は君が思ってるほど人間じゃない」

ゼトの表情に冷笑が浮かぶ。

自分でも気づかなかったほどの冷酷さが自分の中にあったことに、自身でも意外なほどゼトは満足していた。

「君と同じ、化け物なんだよ」

鬼である真咲をしてぞっとするような酷薄な笑みだった。

見返す無表情な鬼の眼にわずかな恐れが浮かび。ゼトはさらに楽しそうに笑った。


「本音を言えば、真人のように僕もずっと旅をしていたかった」

しばしの沈黙の後に、ゼトはぽつりと言った。

「父がそうであったように、傭兵として戦場を渡り歩き、剣を振るって生きていく。そういう風に生きてみたかった」

失踪した父、ザルクを連れ戻すため、その足跡を追い、真咲の父、愛居真人まないまひととともに旅をした日々はゼトにとって珠玉の思い出となっている。

旅先で様々な事件に遭遇し、多くの人に会い、それを解決してまた旅をする。

その繰り返しの合間合間で自分の家や愛居の家によって家族と交流する。そんな日々が何年も続いた。

その時間が永遠であればどんなに良かっただろうか。

だが、それは果たされない思いだ。

「でも、僕は有名になりすぎたから」

旅の超光速騎士などそうそういるものではない。

光速騎士でも各惑星国家のスカウトが飛び交う中、フリーランスの超光速騎士などいくらでも大金を積む価値がある。

まして神速域に開眼した騎士など、超銀河の大国ですら無視することが出来はしない。

いつしか、旅する超光速騎士ゼト・リッドの名は、その正体とともに広く知られるようになっていった。

そしてリューティシア皇族というゼトの立場は、知られてしまえば自由に振舞うことを許されない。

他国における一挙手一投足が注目され、国際問題として取り上げられるリスクを伴うのだ。

旅を続けるには、ゼトは強くなり過ぎた。

同行する愛居真人を始めとする仲間たちの安全のためにも、ゼトは祖国で、相応の地位と立場を得て、そのように振舞う必要があった。

「今の僕は、従兄上の期待に応えるのが一番で、そして従兄上より強くなるのが目標なんだよ」

「——そこまでの男か」

応える真咲の関心は、すでにゼトの身の上話にはなかった。

ゼト以上の戦士であるという竜皇リュケイオンその人への好奇心が勝っている。

まったく、とゼトはため息をつき、浮かんでいた宙空から展望室の公園へ着地する。弟分として性格はよくわかっていたが、すでに自分を見ていないのは呆れるほかない。

無重力帯であることは彼の行動の一切の妨げになるものではなかった。

「いい機会だし、皇都に行ったら紹介しようか。従兄上もフォルセナの黒獅子のことは知りたがっていたし」

是非とも、と真咲の眼が応えた。

ゼト・リッドがリューティシア皇国軍最強の軍団長であるというなら、今の真咲は愛居真咲はフォルセナ獣王国の獣王の軍権代理人=黒獅子という肩書を持つ。

獣王の猶子という真咲の立場は竜皇との面談を望むには充分な資格があった。

「——とはいえ」

と、中庭でゼトがいつの間にか手にしていた長尺刀の柄尻を叩く。

次の瞬間、真咲の身体が頭頂から股間まで切り裂かれた。

左右に真っ二つに切断された真咲の身体が二つに割れる。

「今のがかわせないようではまだまだだね」

10間以上の間合いなど超光速の剣の前では何の差にもならない。

「従兄上への挑戦は認めてあげられないな」

トントン、とゼトが柄尻を再度叩いた。

切断面から血をしぶく真咲の姿を背中に、ゼトは展望室の公演を去っていく。

その言葉が終わるころには、真咲の切断された身体は噴き出した血が左右の身体をつなぎ合わせ、再生を始めている。

ん、といううめき声とともに真咲の右腕が頭を叩き、上下にずれた接着面を修正して接合した。


『浮気するなってさ』

からかうような声が、愛居真咲の左側から響く。

真咲は左手を顔の前にもってきて、自らの感覚と肉体の動きのずれを確認する。

『しかしまあ、真咲が反応できないとは相変わらずトンデモない速さだね』

いや、と真咲は口の中で答えた。

「——速くはない。見えていた。躱せなかっただけだ」

ありゃ、という呆れた声の主は溝呂木弧門だ。

姿はなく、声だけが真咲の頭の中に響いている。

『剣を叩く……腕の差ってこと?』

おそらくは、とまた口の中で答えて真咲は自身の再生が完了したことを確認する。

不死身の再生能力を持つとはいえ、軍将カーディウスとの戦いで負った傷は全身を再構成してなおも残っている。

それがわかっていて、容赦なく一刀両断するのだから、ゼト・リッドは本人の言う通り、全く人間というには遠慮がなかった。

「——真咲!」

とゼト・リッドが立ち去った通路から、彼の声が響いた。

「今から従兄上が会見を行うそうだから、一緒に見よう」

通路の曲がり角から顔を出して手招きする兄の姿に、真咲は一度目を閉じて、おとなしく首肯した。

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