第17話 魔沙鬼
燃える炎の中で、まだ若い母親が、幼い娘二人とともに焼かれて消えていく様に、
ずきり、と深くえぐられた腕の表面が傷んだ。
——馬鹿馬鹿しい
独白は、声にはならない。
殺し合いに来たのだ、自分は。
偶然、目にした親子の姿が、自分の母や妹たちと被ったというのは、自分が心を痛める理由にはならない。
――自分は戦争に来たのだ
人を殺し、人を喰い、持てる存分に力を振るう。それが望みで来たのだ。
敵を蹂躙し、強敵に勝利し、自分の手にかかって死ぬ様を見るために来たのだ。
そう、自分の手で……。
『黒獅子殿、お静かに』
真咲の伸ばした手の動きに連動したエグザガリュードの右腕をたしなめるように、機体の修復に当たっていた救護機が腕に手を添える。
ずきり、と痛む腕に、真咲は眉をしかめ、そのまま機体との連動自体を断つ。
小さく舌打ちする動作に、口から伸びた舌がちぎれて装主席の下部に落ちた。
「——愛居真咲、無事か」
アイヴァーン・ケントゥリスの声が、真咲の上から響いた。
複数の救護機が、エグザガリュードを取り囲み、その身に刻まれた呪詛の解呪作業を行う場所に、燃える空から二体の装機が降り立つ。
真咲同様に部外者である二人は、龍装師団の虐殺には加わる理由もなかった。
うわ、と半ば嘲笑うような声が凱装機ダートから洩れる。
「珍しくボロボロじゃん」
む、と真咲の動かない顔面筋が無表情の中でわずかな感情を形作る。
見下ろすダートとサウロスの眼からは、全身傷だらけのエグザガリュードの姿が見える。
全身の装甲を螺旋状に抉られ、削られ、いまだにほとんど復元もできていない状態だ。あくまで表面上の損傷であり、装甲板の下の内部機構へのダメージはないはずだったが、現実に、エグザガリュードは動けずにいる。
その損傷は、装主である真咲にも大きな影響を残している。
装主と装機は同調効率が高いほど、その性能を高く発揮する。
それは逆に、機体の損傷が装主に伝播することを意味しており、本来はその反動を防ぐための安全機構も備えている。
だが、再生封じの
直接触れることなく、だ。
本来なら死んでもその場で復元する真咲が、その傷を治すこともできず、思うように動けないのである。
嘲笑する弧門への反論もできず、真咲は黙って身を休める。
元々、呪術耐性の高い真咲の肉体は、何もしなくとも呪詛の類を受け付けることはなく、逆に回復、治癒法術の効率も悪い。どこまで言っても自己再生に頼るしかないのである。
それ故に、エグザガリュードの周辺で解呪作業に当たる救護機も苦闘していた。
カーディウスの遺した呪傷の深さと、真咲とその特性に同調しているエグザガリュードの呪術耐性により、彼らの解呪法術が効力を発揮しないのだ。
真咲の右腕がどろりと溶け、エグザガリュードの右腕が脱落する。
そして、その肩口から真咲とエグザガリュードは同時に右腕が生えた。
直後に、エグザガリュードの右腕がまた崩壊して地面に落ち、液状に溶けた金属辺があたりに飛び散る。装主席の真咲も同様だ。
呪傷ごと右腕を取り換えるつもりで失敗した真咲の姿に溝呂木弧門はゲタゲタと品のない笑い声をあげ、ケントゥリスは目の前で行われた凄惨な光景に絶句していた。
「なに?機嫌悪いじゃん」
相変わらず、というべきか、無表情なうえに機体越しでも、溝呂木弧門は愛居真咲の感情を読み取って見せる。
「——別に」
なんでもない、と切り捨てる真咲に、弧門は笑う。
「人喰いが、この程度で何を気にしてんのさ?」
弧門の視線の先に、炭化した建築物の残骸がある。
それが、先ほど真咲が見た母娘の死んだ場所だと気づき、真咲は牙を鳴らした。
「なにも気にしてなどいない」
弧門がケタケタと笑う。
「ウケる……今日だけで何人殺したのさ?」
真咲が殺した数は、食った人間は百万はくだらないだろう。
ベルガリアの防衛艦隊だけではない。
彼が軍将カーディウスを討ち、この龍装師団に勝利をもたらした。
それが今の虐殺を導いたのだ。
それがわずか三人の母娘の死に心を痛めるなど無意味なことだ。
「そういう問題ではない」
二人のやり取りに、横からケントゥリスが口を挟む。
「殺しは殺しでしょ。1人殺すのも100人殺すのも」
「……それでも、程度問題の差というものがある」
ケントゥリスの言葉では、弧門の笑いを止められない。
「愛居真咲、我々は戦いに来たのだ。無辜の民を惨殺するためにきたはずではないはずだ」
真咲は答えない。再び右腕の再生を試み、そして肘まで造り直したところで、再度肩から崩れ去る。
「君は、ここに戦いに来たはずだ。私はそれに同行した。君の力を見たかったからだ。今あるこの光景が、君の望みなのか?」
この戦に参戦したアイヴァーン・ケントゥリスの事情には個人的な好奇心しかない。その点では溝呂木弧門と変わらない。
彼の知る地球最強の戦士が、銀河の、星海という戦場でどこまで通用するかという知的好奇心で、わざわざ辺境警備隊の職務を返上してまで同道してきたのである。
弧門との差はそれが愉しみか、興味かという違いでしかない。
ゼト・リッドを兄とし、その意思に従うことを良しとする真咲とは事情が違う。
彼にはもともと、戦に参加する理由もなかったのだ。
二度、三度と再生を試みて、真咲の右腕が、エグザガリュードの右腕が次々と崩れて地に落ちる。
「——君は、これで良いのか?」
「そう……だな」
その答えとともに、エグザガリュードの全身が崩壊する。装主である愛居真咲を巻き込み、ぐずぐずと金属神経や装甲までが全て腐食し、腐り落ち、膨大な量の血だまりとなった。
周囲でエグザガリュードの解呪作業に当たっていた救護機が、飛散した装血の飛沫を受けて、その装甲表面を溶解させた。
悲鳴を上げ、救護機が次々と離脱する。
ほとんど反射的にケントゥリスは跳躍し、サウロスを上空に避難させた。
その足元を、噴き出した赤黒い血の奔流が、周囲の建造物を飲み込みながら拡大していく。
燃える街を、炎を、建物を、そして焼き殺された人々の遺体すら飲み込み、腐った血と肉と金属の洪水が拡大する。
絶句するケントゥリスのサウロスの横で、同じく退避した弧門のダートが笑い声とともにその様子を眺めている。
その洪水は街を食らい、大地を食らい、そこにあるすべてを抉りとり、やがて人型に収束していく。
ケントゥリスや救護機の見守る中、赤黒い肉塊が、黄銅色の装甲を持つ30リッドの巨人、獅鬼王機エグザガリュードへと再び変貌する。
その姿は、以前よりさらに一回り大きく、厚い装甲に覆われていた。
愛居真咲の再生力と、エグザガリュードの復元、成長能力により、さらに進化したのである。より巨大、重装な姿へと変化したのだ。
「……化け物め」
眼下の光景を前に、ケントゥリスが呻いた。
「——礼を言う。アイヴァーン・ケントゥリス」
その言葉に応えるように見上げたエグザガリュードが、大都市一つを喰い尽して復活を遂げた怪物が、愛居真咲の言葉でしゃべる。
「お前の言う通りだ。俺は戦いに来た」
愛居真咲は鬼だ。
人の姿で人を殺し、その命を喰らう鬼だ。地球にいたころからそれは変わらない。
目の前で人が無意味に死ぬのが嫌なら、それを喰えばいい。
喰うために殺すなら、無意味ではない。
より強い敵を倒し、自らの力を証明するために戦場に来たのだ。
そこで負った傷を治すために人を喰うなら、そこに死の意味があるのだ。
くく、と真咲の喉が笑う。
鬼の哄笑が、獣の嘲笑が少し前まで都市であった荒地に響き渡った。
その笑い声を前に、ケントゥリスは立ち尽くした。
彼には、眼前の怪物がどんな理屈で、なんの感情を以って目の前の事実を受け入れたかがわからないのだ。
その横で、溝呂木弧門は動かないダートの
彼には真咲の思考がわかっている。
ずっと、地球でそうやって付き合ってきたのだから。
地球で帰りを待つ、彼女がそうであるように。
「……珍しいね。真咲が悩み事なんて」
「——そうでもない」
自室の屋根の上で、愛居真咲が夜の街を眺めているのは珍しいことではない。
愛居の家では、仕事で帰りの遅い母の代わりに、二人の妹の面倒を見るのは長兄の真咲の役割だった。
兄、長子としての自覚のある真咲がそこに疑問や不満を感じたことはない。
そして妹たちを寝かしつけてからが、妖魔としての真咲の本領だった。
ただ、その日は夜の街に人を狩りに出ることもなく、そのまま屋根の上でとどまっていた。
これも珍しいことではない。人間狩りは、必要以上に行えば、犠牲者の数に人間側に不信感を抱かれ、人間社会側で問題視されるリスクを伴う。
そうなれば、真咲は自由に人を喰うことができなくなる。あくまで通常の死者、行方不明者の数の範囲内で納める必要があった。
だから、真咲自身は狩場となる街は定期的に変えるし、捕食の必要がなければ人を喰わない夜も多かった。
そういう日には、鈴宮姫乃がやってくることがある。
この夜がそうだ。
「何かあったの?ゼトさん来てるんでしょ」
真咲にとって、ゼト・リッドがどういう存在なのか、姫乃は理解している。
「——ゼトに、戦に誘われた」
へえ、と姫乃の反応は平淡なものだった。
「なら、行けばいいじゃん」
「——そうだな」
返す真咲の言葉も淡々としていて、しかし付き合いのある姫乃にはその中に含まれる躊躇いの感情を読み取られる。
「……咲良ちゃんたちが心配?」
「——必要ない。この街にいれば安全だ」
真咲の口調も表情も平然としていて、そこに感情はない。
この街は愛居真咲の支配下にある。この街に住む妖怪は、彼の意思一つで自在に動かせる。母と妹二人、家族をどんな危害からも守ることが出来る。
「……真人さん、まだしばらく帰って来ないもんね」
「——祖父もいる。何の問題もない」
それでも、鈴宮姫乃は愛居真咲の中にある感情を汲む。
「……でも、心配なんでしょ?」
横から覗き込むように差し込む姫乃の視線に、真咲は答えない。
答えを聞かないまま、姫乃は真咲の隣に腰を落ち着けた。
しばらく、そのまま時が過ぎる。夜はもう深い。
「——俺は、鬼だ」
ぽつりと、真咲の口から言葉が漏れた。姫乃は何も言わずに、ただ隣にいる。
「鬼は、戦って――戦って――死ぬまで戦い抜いて、そうやって死んでいく。それが鬼だ。
——そうあるのが鬼だ」
その言葉は、自らに言い聞かせるように放たれる。
家族を置いていくのが不安、などは戦わない理由にはならない。
ましてや、これは真咲自身が待ち望んでいた戦いなのだ。
宇宙という舞台で、銀河の戦で、その力を振るいたい。
自分の実力を示したいと思い続けていたのは他ならない自分なのだ。
「……真咲って、変なとこで優しいよね」
「——変か」
「変でしょ」
そんな真咲を、姫乃は笑った。
彼女が出会った時から、愛居真咲は変わらない。
人を喰う恐ろしい怪物で、友達想いで、家族想い。
無表情で血も涙もない冷血そのものなのに、話す言葉は理屈っぽくて、行動は動物のように原始的。
どんなに難しい言葉を並べても、結局は喰うか食われるかしか考えていない論理的で気まぐれな獣。
今も、人を殺すために宇宙に出ていきたいと思っているのに、家に残していく妹たちのことを気にして迷っている。
そんな彼の姿を、鈴宮姫乃はずっと見てきた。
「だからさ、行けばいいじゃん」
鈴宮姫乃には、人食いの鬼の心情などはわからない。
始めて会ったときから10年が経っても、戦いを望み、人殺しを愉しむ鬼の享楽は理解できないし、受け入れることもできない。
「咲良ちゃんたちの面倒なら、私みれるし」
それでも、家族を心配する気持ちは理解できる。それなら手伝える。
今までがそうであったように、姫乃は真咲と棲み分けができる。
怪物であっても、友達になれる。
無論、鈴宮姫乃は、相手が妖魔だからといって人を殺し、喰うことを肯定する気はない。
だが、彼女にはそれを止めるすべもない。
この7年余り、ずっとそうだったのだ。
鈴宮姫乃には、愛居真咲を止められない。
だが、真咲は無思慮な怪物ではない。彼は身の回りの人を大事にすることを理解しているし、家族を守ろうという意思がある。
だから、真咲が戦うために遠くへ行きたいというのなら、それは応援すべきことなのだ。
彼女と、彼女自身の家族を守るためにも。
「——助かる。ヒメ」
「別に、お礼を言われるようなことじゃないし」
二人の関係は、初めてトモダチになったあの頃から、ずっと変わらない。
愛居真咲は友達を、彼女とその家族を大切に思っている。
そして強敵と戦い、勝利することを同じように重視している。
どちらも両立させたいのなら、大切な仲間たちから離れたところで戦って帰ってくればいいのだ。
「そんなに心配なら、ちゃんと帰ってきなさいよ」
「——無論だ」
そうして愛居真咲は、家族と離れ、どこまでも自分のために、戦場を求めてやってきたのだ。
すでに惑星ベルガリアは焼き尽くされ、虐殺を行っていた兵士たちは艦隊への帰還を始めている。
人の死に絶えた星で、鬼の笑い声がいつまでも、いつまでも響き渡っていた。
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