第12話 カーディウス

「……引退?お前がか?」

意外という表情で見返した主君の姿に、カーディウスは深々と頭を下げた。

「むしろ、よい頃合いかと」

リューティシア皇国皇都シンクレアの行政府、軍政務室で竜公子リュカ=リュケイオン・グラストリア・リードは書類に署名する手を止めて、カーディウスを見返した。

隣で別の資料を片手に情報端末と立体画像を次々と処理していた龍装師団副団長アディレウス=アディール・フリード・サーズも同様に手を止め、リュケイオンと顔を見合わせる。

「……こりゃしばらく隕石が降るぞ」

「いや、振るのは槍ですよ槍」

「……今すぐ落としてやろうか若造共」

20年来の付き合いの彼らは主従というより、むしろ悪ガキ二人に手を焼く保護者そのものだ。

20歳半ばを越えたリュケイオンは言うに及ばず、それから10歳近く年上のアディレウスはすでに妻子ある身にも関わらず、二人が揃うといまだに問題児そのものの言動という有様で、お目付け役のカーディウスが雷を落とすこともしばしばであった。

「……まあ、よい機会であるのは確かでしょう」

そう言って、カーディウスに助け船を出したのは、同じくリュケイオンの側近を務めるエルハーム・ロナンだった。

身体の半分が金属化したメルディア人である彼は、齢400歳。リューティシア皇国の母体となったシンクレア王国で代々王家に仕えてきた古参のシンクレア貴族の一人であり、第一王妃シリル、そしてリュケイオンの家庭教師を務めてきた男だ。

カーディウスが竜公子の戦場と武術の師であるならば、彼は政務と勉学の師であり、現在も大量の内務書類を政務室の机上に積み重ねて、リュケイオンを逃げられないように包囲している。

近年、病で伏せがちになった初代皇グラスオウにより、一部政務が滞り始めており、代打として長男のリュケイオン、次男のリュクシオンがそれらを引き受けるようになっている。

病床の皇からの皇位継承に先立ち、その準備段階として竜公子リュケイオンが摂政として国事を司ることになる流れになったのはつい先日のこと。

今はその業務整理と引き継ぎに追われている状況であった。

「ま、実際、軍団の方も色々まとめなきゃならん時期だしなあ」

現在、すでにリュケイオンが事実上の全軍団の指揮権を所持している状況である。最初は竜皇直属の親衛隊である竜撃隊のみを率いていた竜公子リュカの元には、団長が出奔した第一龍装師団の団長兼任を皮切りになし崩し的に多くの軍団の指揮権が集まり、今や全軍の7割以上を竜公子が支配していると言っていい。カーディウス率いるベルガリア騎士団もその中の一つだ。

摂政として国政を主に取り持つ以上、一度軍内の整理も必要だった。

軍団そのものの直接的な指揮は各軍司令が務めるため、現状のリュケイオンの持つ指揮権はあくまで組織上のものであるが、彼には直接率いている部隊もあり、戦場で挙げた戦果の前には見えざる影響力があった。

そのため、現竜皇であるグラスオウはあえて第二皇子リュクシオンに第二魔鏡師団、第一皇女サリアに第一近衛師団、第二皇女ティリータに第三重征師団と、各軍の形式状の指揮権を分散させていた。

もし長兄が武力を以って専横を行った際の抑止力とするためだ。

もっとも形式ではなく、直接的な実権を握っているリュケイオンの武力の前にはほかの兄弟姉妹全員が力を合わせる必要があったが。


「騎士団の方はどうする?連れて帰るのか?」

「いえ、そのまま殿下のお側に残しておこうと……」

「いや、連れてけ。そろそろ、フェーダのほうがきな臭くなってきたからな」

その言葉にカーディウスがぴくりと眉をひそめた。

フェーダ銀河を中心に隆盛を築いた旧フェレス朝の末裔であるティリータ皇女。

リュケイオンから見て異母妹にあたる第二皇女はすでに13歳となり、彼女の回りにはフェーダ貴族を始めとする血統重視の貴族主義者たちが集まりつつある。

竜皇グラスオウが第三重征師団を彼女の指揮下に配したことが、呼び水となっているが、その流れを竜皇グラスオウや竜公子リュケイオン、弟のリュクシオンはあえて放置していた。

「殿下、今一度お考え直しにはなりませんか?兄妹で争うなど、国の範とはなりません」

「言う相手が違う。俺としちゃ、敵は一か所にまとまってた方が楽だ」

現在第一継承権を持つリュケイオン、第二継承権を持つリュクシオンは腹違いであっても同じシリル王妃に育てられた兄弟であり、この二人の関係は極めて良好だ。第三継承権を与えられている従弟のゼルトリウス公子に至ってはそもそも権力への関心がなく、今も旅の途上にある。

その中で、第五継承権を与えられているティリータ皇女が最も血統的に尊ばれ、貴族層を中心にその支持者を増やしつつあった。

庶子であるリュケイオンの即位には民衆から歓迎される一方で、貴族を中心に潜在的な敵が多い。その敵が、ティリータ皇女のもとに集まり、妹を担ぎ上げる様子を、皇子たちは傍観している。いずれまとめて刈り取る日を見定めながら。

カーディウスの非難の視線を遮るようにパタパタと左手を振りながら、皇子の右手が恐ろしい勢いで次々と署名をしていく。軽口をたたきながらも、その目が別の生き物のように素早く書面を読み取り、選り分け、確定したものだけが積み上がり、それ以外の書類は突き返されていく。

どんなに電子情報化が進んでも、公文書は最終的には複製、偽造のしづらい専紋の公文で処理されるのが常だ。皇の承認に直筆が要求されることも変わらない。

口では愚痴を漏らしながらも、皇としての責務はリュケイオンの望んだことだ。政務に必要な知識も手順も彼の頭の中には入っている。

ただひたすら面倒なだけだ。

カーディウスは一度皇女の扱いは棚上げにして、話を戻す。

「騎士団の件、本当によろしいのですか?」

「良いも何も、お前のとこはフェーダ系出身者が大半だろ。みんな帰りたがってんじゃないのか」

リュケイオンは軍団の兵士一人一人に気を配ることを自分に課している。正室の子ではないという理由で、継承問題で辛酸をなめた少年は、軍での功績と、兵士たちの支持を以って、その実力で皇位を目指した。そんな彼は、今でも時に軍団を構成する兵団の個人的な事情にすら首を突っ込むほどに事細かく把握している。

「ま、具体的な話はまた後でだ、ひとまずお前の引退の話は受けておく」

「リュカ様、ありがとうございます」

カーディウスは深々と頭を下げた。その姿に顔を上げることなく、リュケイオンは次々と書類を片付けている。

「ま、良い機会だしな。家族とちゃんと向き合うには……」

その言葉の意味をカーディウスは何年も後になってから知ることになる。

老騎士が退出するまで、皇子は長年仕えてきた臣下と目を合わせることなく、ひたすら事務仕事に没頭していた。それがある種の逃げだと、老騎士が気づくことはなかった。

この時、すでにカーディウスの息子ランディウスは旧フェレス復興派と接触を持ち、彼ら同様ティリータ皇女の支持者となりつつあった。だが、そのことをリュケイオンはカーディウスに直接伝えることはなかった。

もしカーディウス、ランディウス親子がこの件で決裂し、それがフェレス復興派を刺激することになれば、国内で不要な諍いが起きることを憂慮したのである。

あくまで、反乱はリュケイオンの即位時に起きなければならなかった。反発と造反が避けられないのならば、その反乱を完全に処理することで、リュケイオンの皇としての力を国内外に示す、その演出のために、彼らは泳がされていた。

リュケイオンの敵を、すべてティリータ皇女のもとに集めるために。

それは、計算された末路なのだ。それでもリュケイオンは、カーディウス自身が我が子の動向に気づき、内密に解決してくれることを期待していたのである。

だが、その期待がかなうことはなかった。


「転移は……」

カーディウスの叫びが木霊する。

「転移はどうしたァァァァァ!」

その叫び声に、顔面蒼白となったドルニアスの指示の元、多数の戦術予報士が半壊した要塞司令部で懸命な復旧作業を続けていた。

確かに、転移魔法陣は起動した。

カーディウスの戦臨将機ベルガリアード、愛居真咲の獅鬼王機エグザガリュード。

二体の超装機の必殺技の激突により生じた膨大なエーテリアを抽出し、そのエーテルを起爆剤にした惑星そのものを空間転移させる巨大魔法陣は、確かに惑星全体を飛び立たせたはずだった。

だが、現実のカーディウスの超感覚は、ベルガリアードの探査機能は、惑星ベルガリアがいまだにラウス恒星系から移動していないことを感知していた。


そして、空の色が変わる。

先刻からずっと鳴り響いていた、惑星外部の侵攻艦隊が惑星そのものに打ち込んでいた砲撃音が止み、空を覆っていた不可視の障壁が薄れて消えていく。

通常の視界ではその変化はわからないものの、霊視能力エーテリア・サイトを備えた人や感知器であればはっきりとその違いが判る。

惑星防壁が、惑星ベルガリア全土を覆っていたエーテル防護障壁が解除されているのである。

「し、司令官……これは一体?」

要塞司令部で傍観することしかできなかったカーディウスの息子、ランディウスは、目の前で起きている状況にただ困惑するばかりだ。

その前で、震えるドルニアスの視界で、要塞司令部が観測モニターしていた惑星内の空中立体映像が次々と塗り替えられ、閉じられていく。

「……乗っ取られた」

その言葉に、ランディウスの背筋が凍る。

惑星連結アーシアン・ネットワークが、敵の手に落ちたのだ。


惑星連結アーシアン・ネットワークは目に見えないものだ。

惑星の地脈、霊脈を利用し、星の全生命力を一つの構造体として運用するそれは、大気の流れ、水の流れ、地底の溶岩、森の息吹、そこに住むすべての生命体のエーテルを統合し、運用する。

だが、それは同時にそれは高度な科学力によって構築された構造物システムでもある。

その構成を理解しているならば、その構造上の弱点を見抜き、また別の惑星連結アーシアン・ネットワークを構築、上書きすることも不可能ではない。

「終わりか」

獅鬼王機エグザガリュードの装主席で、愛居真咲は静かに呟いた。

その視線の横で、補助映像板サブモニターに映し出されたアディレウスが頷く。

彼の率いる隠形艦隊の目的は、最初からこの惑星連結アーシアン・ネットワークの上書きにあった。そのための工作部隊こそが彼らの本命だ。

最初に出現した海溝こそ、惑星の霊脈における重要点の一つであり、ベルガリアの惑星連結アーシアン・ネットワークにおける裏口と言える場所だ。

彼らはその場所を拠点に、第二の連結機構を構築したのである。

だが、カーディウスが彼らを阻止できず、エグザガリュードとの戦闘に入った時点で、ベルガリア騎士団にはそれを止める手段も戦力もなかった。

「多少、予定からずれたが、問題はない。これで彼らには逃げ場はなくなった」

真咲の意思とは別に、エグザガリュードが空を見上げた。

遮るものがなくなった空から、次々と宇宙艦隊が降下する。

温存されていた龍装師団本艦隊に加え、さらに増援艦隊の迎撃に当たっていた分艦隊までが集結。

瞬く間にベルガリアの空は無数の宇宙戦艦に埋め尽くされていた。


地に伏していたベルガリアードが身を起こす。

その機体表面は無数ひびが入り、一部は溶解し、全身から蒸気が立ち上っていた。

装主席のカーディウスにも疲労の色が濃い。

並外れた回復力を持つ超光速騎士とは言え、最大限のエーテルを放出した後だ。さらに、惑星転移陣に巻き込まれた際に、少なくないエーテルを消耗している。

もとより、カーディウスの主戦術である螺旋槍撃は、敵の攻撃をそらし、活力を削ぎ、制限する妨害力の強さが強みだが、消耗するエーテル量もまた多大。加えて全身の防御力を上げる、装甲を覆う螺旋装鎧によるエーテル消費も大きい。

ベルガリアードの量子反応炉とカーディウスの闘気量の同調倍率をもってしても、長続きはしないのだ。

軍将との二連戦による疲弊は、老騎士の身体に大きな負担となっていた。

超光速騎士が大気中のエーテリアを吸収し、新陳代謝機能が高速で機能すると言っても、失った体力と疲労状態から回復するだけだ。

その高速代謝の繰り返しに対して、肉体そのものの負担が消えるわけではない。回復しても、その根幹レベルの疲弊は蓄積する。同調する機体も同じだ。躯体が分子レベルで復元し、動力エーテルが補充されたとしても、金属疲労までは完全にはなくならない。

彼らは全力で長時間戦えるというだけで、その体力も魔力、精神力も無限ではないのだ。

カーディウスの視界で、遠方に立つ獅鬼王機が姿勢を正す姿が映る。

魔人種ヴァンデラー、鬼である愛居真咲の回復力は、カーディウスよりさらに早く、そして若い。

ゆっくりとした動作で、二騎が距離を詰めた。

彼らの視点での動作は、周囲から見れば光速と変わらない。

そして両者が再び荒野で対峙する。


真咲の眼が、鬼人の眼球だけが頭の横まで移動して後方に視界を移す。エグザガリュードの後方視覚が捉えた映像と真咲の視覚が同調し、宇宙から降り立つ艦隊の中に、剣将機ザラードと紅零機ゼムリアスの姿を見つけ出す。

同じ光景を、対面するベルガリアードもまた見上げていた。

そして再び、両者の視点が相対する。

「黒獅子よ。この度の戦いぶり、誠に見事であった」

戦臨軍将ベルガリアードから、声が放たれる。

真咲は、初めて敵の声を聴く。

騎団長クロッサスを討ち取った直後から戦いが始まり、両者は名乗る機会すらなかった。

真咲は答えない。エグザガリュードが獅子王剣を上段に構えた。

ベルガリアードは構えない。

だらりと左手に握った旋角槍を地につけたまま、立っている。

すでに右腕が動かない。真咲の剣で金属筋肉が切り裂かれた上、その後に放った超螺旋弾ティヴォリアスのために酷使した右腕の金属神経まで焼け付き、エーテル伝達も満足に行えない状態になっていた。

「我が首、貴様の武勲とするがいい」

その状態から、ベルガリアードが突いた。

左の突きの速度は真咲の想像を超えていた。同じ超光速域でありながら、鬼の反射を以っても見切れないほどの速さ。

だが、真咲の腕は、エグザガリュードの剣は、その槍撃の内側を縫うように刀身を走らせ、逸らし、そのままその左腕を切り飛ばしている。

この数年に渡る鍛錬で身体に染み付いた剣術の動きそのものだった。

外に振りぬいた太刀を翻し、そのまま袈裟懸けに振り下ろす。

その一太刀が、ベルガリアードの螺旋装鎧を切り裂き、装甲を割り、装主席のカーディウスまでを袈裟懸けに両断していた。

「——見事」

それが、老騎士の最期の言葉となった。


惑星を埋め尽くす歓声と、悲鳴が同時に上がる。

歓声は、愛居真咲の勝利を称える龍装師団の戦士たち。

悲鳴は、その戦いを見守っていたベルガリアの戦士たちだ。

「真咲、お見事」

「……武勲だな」

倒れ伏したベルガリアードを前に、剣を振りぬいた姿勢のまま硬直したエグザガリュードの背後に二体の超装機が降り立つ。

紅零機ゼムリアスのゼトと、剣将機ザラードのザルクからそれぞれ真咲に声を掛けられた。

真咲は答えない。肩で大きく息をしたまま、呼吸が整わない。

最後のただ二振りに、今持てる力のすべてを注ぎ込んだのだ。

対峙した老騎士の気迫に圧され、本人も自覚のないままに委縮していた真咲は、敵の死を見届けて、ようやく大きく息を吐いた。

そこに、さらに法礼機ミデュールが出現する。

静かな歩調で、しかし超光速で移動してきた軍将機の到着は、まさに出現と言って差し支えない。

「惑星の掌握も完了しました。これで詰みです」

アディレウスの声が酷薄に響くのは、決して気のせいではない。

四騎の超装機が同時に、そびえたつ要塞都市ルイードを見上げた。

都市の中核炉心も停止し、今や緊急用の予備動力でかろうじて維持されたルイードは、形こそとどめているが、もはや裸同然の状態だった。


「さて、後始末と参りましょう」

ゆっくりと紅零機ゼムリアスが前に出た。

その装主席で、ゼトがどんな表情をしているのか、後ろに立つ真咲には読み取れない。

左右に父と義兄と従え、ゼムリアスは静かに歩を進める。

その後に続いたエグザガリュードが獅子王剣を背部に収めた。剣は収めた直後に異空間に転送され、刀身が現実空間から消滅する。

ここから行われるのは、もはや戦いではない。

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