第10話 最後に立つもの
「お兄ちゃん、今頃何やってるんだろ?」
ハァ、と自分でもわかるほどの大きなため息をつき、愛居咲良は拭き上げた皿を乾燥棚において、次の皿を取る。
唐突に兄の真咲が、「他所の星へ戦争に行く」と言って溝呂木弧門やゼト、見知らぬ老人とともに別の銀河へ出かけてからすでに1週間。それから何の連絡もきていなかった。
そんな兄に、母は「お父さんによく似ている」とこれまた宇宙を飛び回ってばかりの父を引き合いにして笑ってすませてしまい、元から事情を知っていた兄の周囲は大体いつものこと扱いで、咲良だけが気持ちの整理がつかずに取り残された形だ。
半年前の事件により実の兄が人喰いの化け物だと知らされて以来、兄の動向に振り回されてばかりな気がする。
台所で洗い物をしながら再びため息をついた咲良の足元に小さな影が近づく。
「ねーね、にーにはどこ?」
手だけを動かしながらぼんやりとしていた咲良は足元から聞こえたその言葉に、一瞬手にしたお皿を取り落としそうになった。
気が付けば、妹の真姫奈が眠そうな目をこすりながら自分を見上げていた。上気したほっぺを膨らませた、お風呂上りの寝間着姿。
「——マキちゃん、もうおねむの時間~」
その妹の後ろから、鈴宮姫乃が姿を現した。こちらも寝間着姿だ。先ほどまで一緒に入浴していたところだった。
18歳でありながら幼い顔立ちの小柄な少女は、手慣れた仕草で幼い妹の濡れた髪をタオルできれいに拭き上げた。
「ヒメ姉、今日もお泊り?」
うん、と姫乃は咲良の言葉にうなずくと真姫奈を抱き上げる。3歳になったばかりの幼い妹は母代わりの少女に抱かれてうつらうつらとし始める。
「ヒメママ~、ねむ~」
ハイハイ、と姫乃はなれた手つきで真姫奈の頭を撫でる。
昔から兄が不在の時は、仕事で帰りの遅い母に代わり、鈴宮姫乃が大体泊まり込みで面倒を見てくれるのは咲良が物心ついた時からよくあることだった。
今日も学校が終わった後は、夕食の準備から妹の世話までほとんどが姫乃のおかげだった。まだ8歳の咲良に出来るのは食後の洗い物くらいのことだ。
その兄が不在である理由を咲良はずっと知らなかったのだけど。
「ヒメ姉はいつからお兄ちゃんのこと知ってたの?」
姫乃がヒメママと一緒に眠りたがっていた真姫奈を寝かしつけてリビングに戻ってきたのと、洗い物を終えた咲良が自身もお風呂から上がってきたのは大体同じくらいの時間だった。
姫乃が用意したホットミルクをふーふーと冷ましながら、咲良はそれまで気になっていたことを聞く。今まで聞く機会はあっても、聞こうとする気にはなかなかなれなかったことを。
「ちょうど私が、今の咲良と同じくらいの年の頃かな。真咲に会ったのは……」
姫乃が少し遠い目をした。
彼女にとっては忘れられない日だ。忘れることのできない……悪夢のような日。忘れてはならない時のこと。
「……怖い?」
姫乃から逆にそう問いかけられて、咲良は迷った。その反応を予期していたのか、姫乃は少し笑う。
「真咲は、なんて言ってた?」
「……私が、お兄ちゃんを怖がるのは当たり前のことだって」
咲良は俯いて答える。ずっと兄のことが好きだった。小さい頃から、父や母よりいつもそばにいてくれて、色々なことを教えてくれた兄だ。
それが、今は恐ろしくて仕方がない。
あの血まみれの、赤黒い巨人に変貌した兄の姿を思い出すだけで震えが止まらない。蠢く無数の眼球が、自分を見据えた時のことを忘れることができない。
「まあ、仕方ないよね」
姫乃はあっさりと言った。簡潔に過ぎて、咲良は思わず自分にとっても母代わりの少女の顔を見返す。
「ずっと昔ね。私も同じことを言われた」
姫乃の視線は変わらない。ずっと、そのころの自分の姿を見ている。
「真咲はわかってるの。自分が怪物だってこと。絶対に、私たちが心からあいつを受け入れることができないってことを、ずっと昔から」
鈴宮姫乃は人間で、愛居真咲は鬼だ。初めて出会ってから10年が経っても二人の関係は変わらない。
「結局、真咲はずっと自分がそのままの自分でいられる場所を探してたのよ」
そう言って、姫乃は笑った。寂しげな微笑みだった。
人食いの怪物を、どんなに望んでも彼女は心から受け入れることは出来ない。
目の前で生きたままヒトを喰い殺す鬼の姿を直視することは出来ない。
それは当然のことだ。それは鬼である真咲自身もわかっている。
だが、姫乃はそれでも真咲を否定することはない。拒絶することはない。
だから、愛居真咲もまた鈴宮姫乃から離れることはない。
「——だから今頃は、結構楽しんでるんじゃないかな?」
その言葉に、咲良の背筋は凍り付いた。
姫乃の視線は変わらない。ずっと、ずっと遠くを見ている。
怪物を想う少女は、怪物が想う少女の心は、10年前からずっと変わることはない。
「——
「
大気を埋め尽くす無数の超光速の剣閃を、同じ超光速の一突きが振り払う。
先刻までの戦いで真咲が多用した無数の点を穿つ修羅閃迅拳に対し、獅子王剣による斬撃、線の集合体である修羅光刃閃。
エグザガリュードから放たれたそれは、対する紅臨機ジムナスとその背後の閃装機カリウスを巻き込む形で展開し、それを光速旋回する騎乗槍が阻止した形だ。
戦いの邪魔はされたくない、と真咲は言ったが、他を巻き込まないとは一言も言っていない。むしろ、配下を守ることに敵の注意を割けるなら有用な戦法だった。
真咲自身は、後続の騎士団を護る気は全くないのだ。
「——やってくれる」
真咲の口が耳まで裂けた。この戦場で、超光速に正面から対抗できたのは騎団長クロッサスが初めてだった。
獅鬼王機は再び剣を構えた。
鬼獣王はあくまで敵艦隊と戦うための特殊形態。エーテルの消費を考えず、攻撃と防御を全開にした姿だ。一対一の決闘となれば、一番均衡のとれているのはこの獅鬼王機の姿に他ならない。
エグザガリュードの超光速の斬撃が撃ち込まれ、ジムナスがそれを正面から受け止める。
超光速の二機の衝突に、星が揺れた。
「ど、どうなってる!?」
この戦場で、もはやこればっかり言っているような第13分隊隊長ウェルキス=ウェリオン・キンバー・ストルの叫び声が上がった。
彼らの目では光速戦闘は目の前で光が走るようにしか見えない。超光速戦闘などもはや視界に映るのはただ一瞬だ。同じ場所にいても、文字通り次元の違う戦いだった。
「御曹司、余所見とは余裕だな!」
その隣で剣装機ジャルクスの火砲を振り回しながら、ドルバン兵長が頼りない隊長機の頭部をその基部で小突く。小突くというには豪快な一撃で、装主席のウェルキスは衝撃で目を回した。
「ウェルキス!」
ケントゥリスの声が飛び、次の瞬間、ウェルキスの剣装機ジャルクスに肉薄していたベルガリア騎士団の装機ダンゲルが横合いから突き出された十字槍に両断された。
重装甲の機体も、サウロスの槍に集約された闘気の前ではバターのように柔らかく切断される。闘気量では両者に大差はないが、そこに集約された闘気の密度と形状を細かく変化させる精緻の技の成果である。
突き出した槍はそのままに、アイヴァーン・ケントゥリスは黎装機サウロスの右腕を槍の柄から離し、その背面に設置した狙撃銃を握らせる。振り向くことなく銃口だけを背後に向け、放たれた噴進弾を撃墜した。
防衛艦隊こそ壊滅したものの、騎団長クロッサス率いる迎撃部隊の光速騎、音速騎の到着により、それまで後方で残敵掃討に当たっていた龍装師団の後続部隊も主戦場に立っている。
敵の数は少なくとも、精鋭揃いであった。
「俺たちは、こっちの敵を叩けばいい!」
さらにその横合いで光速拳が奔る。
溝呂木弧門の凱装機ダートが放った閃迅拳が、13分隊旗艦グライゼルに近づいた敵の光速騎を迎え撃ち、足止めされた閃装機カリウスがダートから放たれた
「いやはや、みんなまだ元気だねえ」
相変わらず、弧門の口調は遊んでいる。
「死にたくなきゃまず目の前の敵を殺せ!」
ドルバンの怒声に、ウェルキスは慌てて眼前の影に火砲を放った。
「お嬢!戦場予測、あのバケモノどもの影響を一番注意しておけ!奴らのとばっちり一つで俺たちは全滅だ!」
たった二騎の装機による超光速域の戦場は、徐々に広がりを見せ、それに合わせて戦場全体は遠巻きに拡散していく。
「……まあ、どうやら結果は見えてるみたいだがな」
歴戦の勇士であるドルバンの感覚は、知覚できない超光速の戦場の様子から、その趨勢をおおよそ見越していた。
「……なんという強さだ」
その言葉通り、戦場の中心に立つ騎団長クロッサスはすでにその限界を悟りつつあった。
眼前に立つ獅鬼王機エグザガリュードと一見同等に戦っているように見えるが、彼は同じ超光速域に立っているというだけで、その戦力は互角ではない。
すでにクロッサスは壮年で全盛期を過ぎている。彼が長年戦い続け、ようやく到達した超光速騎士という領域に、目の前の青年はこの若さでそこに立っている。
彼の到達点は、対する若武者にとっては通過点に過ぎないのだ。
「——確かに強い。だが、怖くはないな」
一方の真咲も同様に、冷ややかにその強さを見切っている。
地球で戦ったクラトス・クラリオスは言うに及ばず、ザルヴァートル・ギスカのような脅威もない。
搭乗する装機、紅臨機ジムナスは第一龍装師団団長ゼトの紅零機ゼムリアスの兄弟機であり、リューティシア皇国の超光速騎の正式採用機であるザラードの複製機。だが、機体も乗り手も雲泥の差があった。
間違っても負けるはずのない敵だ。
「となれば、どう勝つか、だな」
真咲の視点は、すでに目の前の敵を見ていない。
星を半周した先にある別の戦場、そこで戦いを繰り広げる二人の超戦士の姿を見ている。
その視線にクロッサスもまた気づいた。
「なめるな!若造」
老騎士が吠える。勝ち目の少ない戦いでも、彼にはまだ矜持があった。
断じて、目の前の敵を無傷で師、カーディウスのもとに行かせるわけにはいかなかった。
無数、無限の光の軌跡を、巨大な渦が飲み込む。
もう一つの超戦士同士の戦いもまた、佳境を迎えつつあった。
龍装師団副団長アディレウスの法礼機ミデュールが放つ鞭の軌跡が超光速を超え、無数に分裂してカーディウスの戦臨将機ベルガリア―ドに迫る。
ベルガリアードの旋角槍がその無数の一撃を、一突きで空間ごと捩じ切り、打ち崩す。
その攻撃時の隙をついて、半球状に包囲した隠形艦隊の砲撃が浴びせられるが、ベルガリアードの一撃が放つ余波が、砲撃を全て逸らしてしまう。攻撃の予備動作が防壁になるように、カーディウスは自身の力を操っていた。
だが、そこで一瞬硬直するベルガリアードに、ミデュールが巨大な魔力陣を発生させ、エーテルによる巨大な電流が流される。
超光速の鞭打はあくまで牽制に過ぎない。アディレウスの本命は魔力による事象変異攻撃だった。
それをカーディウスはこともなく受け流した。ベルガリアードの全身に絡みつき、螺旋状に渦巻き、流れる闘気の鎧は物理的な攻撃も、エーテリアによる魔法攻撃もすべてを受け流し、弾き、拡散させる。
その攻防が何度も繰り返され、ついにミデュールが膝をついた。
直撃こそしなかったものの、螺旋槍撃の余波の応酬が、ミデュールの全身を纏う防護障壁を根こそぎ削り、その機体内のエーテリアごと引きずり出し、引き剥がす。その繰り返しで、機体と装主のエーテルが底をついたのだ。
これが、軍将カーディウスが戦場で大軍を相手にするために編み出した必勝の戦法である。
たとえ光速騎であっても、この螺旋槍撃の渦が生み出す膨大な余波に巻き込まれれば気力、体力を根こそぎ引きずり出され、50階位以下の装機であれば一撃で即死させる。恐るべき技だった。
それ故に、アディレウスは麾下の隠形艦隊から装機を出撃させることはなかった。全滅するのが目に見えていたからである。
隠形艦隊自体も戦力の温存を主眼に置いて展開されていたため、火砲の集中砲火に限定して戦闘の支援を行っていた。
あくまで、この戦いは時間稼ぎに過ぎなかったのだ。
だが、カーディウスはそれに付き合う必要はなかった。彼は可能な限り迅速に、確実に敵を仕留めなければならなかったのである。
「終わりだ」
言葉と、その螺旋槍がアディレウスの法礼機ミデュールに繰り出されたのは同時。
その槍を、横合いから投げつけられた大太刀が遮った。
「——!!」
カーディウスが視線を巡らし、はるか彼方、要塞都市ルイードの方角から放たれ、大地に突き立つその剣の主を求める。
大地に遮られ、見えないはずの敵をカーディウスははっきりと捉えていた。
「黒獅子か!」
先に時間切れになったのは、カーディウスの方だった。
「ご……あ」
自身の身体を両断した刃を見下ろし、クロッサスは言葉にならない音を発した。その口からおびただしい血が噴き出し、彼は自分の下半身と、紅臨機ジムナスの両断された下半分がずれていく様を見ながら絶命する。
右の獅子王剣を背後へ投げつけ、それを隙と思って切りかかったジムナスの胴を左腕に仕込まれた長尺刀で両断したエグザガリュードが、膝をついた姿勢からゆっくりと立ち上がった。
「魔剣、
地球でザルヴァートル・ギスカと戦った際、最後にその剣をエグザガリュードの左腕で受けた。左腕を犠牲に相手の武器を封じるためのとっさの行動だったが、結果として刀身はそのまま腕の中に残っていた。
それを、その後で機体が再生する際に魔剣の刃ごと左腕に取り込み、隠し武器として仕込んでいたのである。
超戦闘領域、その空間を形成していた超光速騎士の片方が亡くなり、次元を歪めていた空間内の膨大なエーテルが均衡を失って、力の発生源であった停止した機体側に集約、巨大な空間歪曲と反動での次元誘爆が引き起こされる。
戦場の中心で巻き起こる巨大な爆発を背に、愛居真咲とエグザガリュードは最後の敵を見据えていた。
「あと、一人」
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