第6話

 秋が深まると、洗濯して繕っておいた紺色のスモックにアイロンをかけ、マフラーや手袋などの防寒具も購入した。まだ早いだろうと思いつつも、休日に買物に出掛けるともう冬物が並べられており、子供用のそれを見るとついつい手にとってしまう。

 仙道先生から亡くなった女の子の話を聞き、また運動会のバツの悪い思いがあって以来、私は際限なくゆうのための物品を買い求めていた。もちろん、あまり大きなおもちゃや隠せない量は園に持ち込めないから自重しているのだが、街で見かけるたびに買ってしまう。気付けば、倉庫の奥にひそかに設けたゆう専用の収納スペースは満杯になっており、いくらかを周期的に自宅に持ち帰ることになるのだった。

 ゆうはそんな私に嬉しがっているようでも、戸惑っているようでもあった。並べられたたくさんのおもちゃを前に、むしろ途方に暮れているようで、私はますます憐憫と愛おしさを膨れ上がらせた。

 そして、ゆうのおかげというべきか、運動会以来、保育士の先生たちと私の距離は、ほんの少しではあるが縮まったようだった。子どもに積極的にふれはしないが行事に熱心に取り組んだことで、園の一員として認められたのかもしれない。認められれば大っぴらに園内を闊歩でき、ゆう専用スペースを確保するのも難しくなく、堂々としていれば案外不審に思われないようでもあった。

 冬が到来し、クリスマス会が催された日、一日だけは電飾が点けっぱなしにしてあるクリスマスツリーの下で、ゆうとプレゼント交換をした。ゆうは折り紙と絵を組み合わせた作品を、私は温かそうな茶色のコートとぬいぐるみを。

 金や銀に塗られた松ぼっくり。年季の入ったサンタクロースの人形。赤、青、緑、桃と安っぽい色の電飾に彩られた組立式のツリーは、私が子ども時代に見たそれと大して変わりなく、ちゃちな代物だ。なんとはなしに、遙か昔に通いつめていた駄菓子屋さんの軒先を思い起こさせる色合いでもある。それでも照明を落とした玄関フロアで静かに明滅するツリーはそれなりに神聖に感じられるから不思議だった。それは繋いだ手の先に、小さくも温かな存在がいるからなのかもしれない。カラフルな光に滲む黄色い帽子を見下ろしながら思う。

 世間一般で言う幸せとは、このぬくもりを指すのかもしれない、と遅まきながら――本当に遅まきながら、私はぼんやりと気付き初めていたのだった。


 年の瀬近くなり、働く保護者から子どもを預かる保育園も年末年始は休みに入る。ゆうをひとりぼっちにするのは心苦しかったが、本人の聞き分けは良かった。休みに入ると話してもこっくりと帽子の下で頷くのみ。もっとも、ゆうは園生活においては、私よりも長く、先輩である。分かり切ったことなのだろう。そう理解していても、しばらく会えないと言っているのに、あまり寂しがってくれない恋人みたいで、複雑な心持ちがした。

 けれど、聞き分けの良さは、彼女自身の処世術なのかもしれない。仙道先生の話が頭を過ぎり、休み中、何度か園に足を運ぼうと決め、ゆうにもそう伝えた。鉄柵の門扉ごしの逢瀬になってしまうが、まったく会えないよりはましだ。


 しかし、結局、私は休み中に一度も園を訪れなかった。折り悪くインフルエンザに罹ってしまったのだ。その上、気管支炎を併発してしまい、とても外出できなかった。

 熱に浮かされた中、私はたびたび夢を見た。内容はあまり覚えていないが、いつもどこかをゆっくりと歩いていた気がする。公園だったり、ショッピングセンターだったり、駅までの道のりだったり。手を繋ぎ隣を歩く子の髪が揺れて、飛翔するツバメのようなシルエットをかたどる。ああ、帽子を被っていないんだ。だから、こちらを見上げる彼女の表情もよくわかる。私と彼女は視線が合うたび、微笑み合うのだ。

 

 彼女。そう、彼女だ。とても大事なこの子の名前が、夢の中で、私はどうしても思い出せなかった。歩きながら、微笑みながら、おしゃべりしながら、頭の片隅で考えるのだけれど、わからない。彼女といるのは嬉しく、楽しく、あたたかい。だのに、どうしてか、うすら寒さが残る――


 目が覚めた時、隣に誰もいないことを不思議に思った。隣で丸まって眠っているはずの小さな塊がいない。一体、どこに行ってしまったのだろう、一人でトイレに行けただろうか。先に目覚めて、テレビでも観ているのか。そうそう、日曜のこの時間は女の子アニメがやってるから。それともこっそりお菓子箱を覗いているかな。子どもの頃の自分が、早起きしたお休みの日、二段ベッドの上の兄とこっそりキャラメルを舐めていたように……

 ちょっとの間考え、ようよう夢を見ていたのだと思い当たる。それから夢で見たあの子の顔を思い出そうとするのだけれど、はかなく溶けた砂糖菓子のように再現することはかなわない。ただただ、甘い印象だけが舌先に残るばかりだった。


 年明けの開園初日、まだ空気がきぃんと冷たい中、誰も来ていない事務室に飛び込んだ。朝の日射しに白い吐息が立ち昇る部屋に、ゆうの姿は見当たらず、しばらく待っても現れなかった。早くしないと他の職員が来てしまう。焦れる私にけれど彼女はやって来ない。八時前、事務室の窓が外から遠慮がちに叩かれて、ガラス窓越しにほの光る黄色い帽子を見つけた。けれどその頃には、園児の戸外受け入れが始まり、ゆうは他の子にまぎれて園庭へ遊びに行ってしまった。

 息急き切って出勤した身としては、ゆうの普段と変わらぬ様子に安堵しつつも、ほんの少し落胆してしまった。クリスマスにプレゼントした茶色いコートを着ていなかったことも、私を少し落胆させる。

 今時の子には地味な色合いだったかもしれない。欲しいものをきちんとヒアリングするべきだったのかも。そもそも、子どもにとってクリスマスプレゼントとはサンタクロースが靴下の中に入れておくべき贈り物であって、プレゼント交換なんて野暮だった……溜まってしまった事務仕事を慌しく処理しながらつらつらと物思いに耽っていた。


 的外れな心配は、結局のところ、心の奥底にあった罪悪感を上書きする心理作用にほかならない。ほんの数か月の後、私は自身の迂闊さを呪うことになる。

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