第五夜 少年の妖怪

 みなさん、こんばんは! 今夜もミッドナイトランデブーを聞いてくれてありがとう! お送りするのはDJ端貫木。この業界に入ってまだ二年のハンパ人……だけど、実は来週から三年目に入るんだ。これからも頑張るから応援よろしく!

 さて。五日間でお送りしたこの『夏のホラー二〇一六』企画、いよいよ最終話までこぎつけました。いままでお付き合いしてくれてありがとう。最後の話は愛知県の都心部に住むRさんから。今回に限っては、Rさんからの注意書きを先に読ませてもらうな。『この話は聞いた人が同じ体験をしてしまうことがあるようです。実害はないのですが、念のため、放送の際には一部分をぼかしていただけるとありがたいです』。そういうわけで『幽霊の姿』に関してはデフォルメをしてある。もし万一に奇妙なものを見た人がいたら、また番組までメールくれよ。実際の姿と合っているかどうか教えるから。それじゃあ始めます! ありがとうな、Rさん! タイトルは。

 『少年の妖怪』。


「あれは私が小学校五年生の出来事です。当時、フルタイムで働く両親は夜の八時を回らないと帰ってこないほど忙しく、帰ってくれば帰ってきたで、私に『家の仕事をしておきなさい!』と怒鳴り散らす毎日でした。だから私は家に帰るのがすっかり億劫になっていたのです。

 そのころ学校には最終下校なるものがありました。いまもあるのかな? 校内に残っている生徒を全員運動場に追い出して、強制的に帰途に着かせるのです。時間はおそらく夕方の五時半ごろだったと思います。

 でも、私を含むごく少数は、その最終下校の見張りの目をかいくぐって校内に潜んでいました。そして最終下校後の『最々終下校』時に細々と運動場に出て、形ばかりの先生の『気をつけて帰れよ』の注意勧告を受けて解散したのです。最々終下校に臨む顔はいつも同じでしたので、彼らも私と同様に家庭に不満を抱えていたのかもしれません。

 午後六時過ぎ。夏の遅い日暮れも耐えかねたように残照の光度を落としていました。真昼の太陽の下では白く浮き上がって見えたアスファルトの表面も、黒く得体のしれない表情を覗かせています。私はそんな情景が妙に好きでした。逢魔が時。昔の人はこの時間帯のことをそう呼んだそうです。親という拠り所を見失っていた私は、魔の世界へとつながるこの景色に、知らず、救いを求めたのかもしれません。このまま事故にでも遭って死ねば、人間としての鬱屈から解き放たれ、魔物の一員になれるかもしれない、と。

 母は子どもが好きではないようでした。子どもに携わる仕事をしているのですが、家でする仕事の話はいつも『どうして最近の子ってあんなに躾ができてないのかしら! うちの子があんなに聞き分けがなかったらうちから放り出してやるのに!』と憤懣やるかたない愚痴ばかりこぼしていましたから。そのため、私は、母の期待から少しでも外れたことをすれば、母、そして母の言いなりになっている父双方に捨てられるものだと恐れていました。だからいつも顔色をうかがい、こそこそと卑屈な態度で彼らに接していたんです。でも都合のいいことばかりを望む人間性の未熟な母に振り回されるのは辛かった。それこそ、疲れきって、生きていく希望を手放してしまいたくなるぐらい。

 端貫木さんは子どもを虐待死させてしまう親の気持ちってわかりますか? 私にはなんとなくわかる気がします。ああいう親って子どもなんか見えてないんですよね。自分が楽しむことばっかりで。私の父と母は高い美味しい料理を食べに行くときに子どもを自宅に残していきます。『あんたには味なんかわからないから連れてってもしょうがないよね』と。私はずっと『親子』とはそういうものだと思っていました。親は仕事をしているから子どもの世話などしなくていいのだ、と。子どもはそんな親に不満など持ってはいけないのだ、と」


 ごめん。リスナーさんは、いま、なんでこんな話を聞かされてるかわかんねえよな。実はこのあとRさんが見たものにいまの話が関連してくるんだ。だからもうちょっと辛抱しててくれ。

 それと個人的にRさんの質問にも応えておくよ。俺ね、前にも言ったんだけど、俺の両親は不仲で離婚してるんだ。それで俺は母親に引き取られたんだけど、母親、離婚してからずっと俺に言うんだよな。「あんたが離婚してほしそうだったから離婚した部分もあったんだよ」って。無責任だろ? たしかに母さんは女手ひとつで俺を育てるのには苦労してた。だから八つ当たりしたい気持ちもあったんだろう。それは俺も理解できる。だからそういうときは侘びと感謝を伝えるんだ。そうすれば母さんは満足するからさ。

 けどな。

 内心では、俺、こう言いたいんだよ。「俺のために離婚できるぐらいだったら、なんで俺のためにいい家庭を作ってくれなかったんだ?」って。つまんねえことで喧嘩ばっかりしてたのは自分のためじゃなかったのか? 親として出来損ないだった自分の責任は謝らないのか? そんなことばかり考えるようになっちゃったから、俺さ、母親に対して愛情の欠片も持てなくなったんだよ。もちろん離婚以来一度も顔見てない父親にも。Rさんのいう『虐待』とは意味が違うのかもしれないけど、こういう殺伐とした親子になっちまった一因を、母親の『人間としての未熟さ』に求めてもいいよな?

 脱線ごめん。では本題に戻ります。


「のろのろとした足取りで帰路についていた私は、通学路の途中にある静かな住宅街へとさしかかっていました。このあたりは比較的大きな屋敷が多く、黄昏どきのこの時間に公園や道路に人の姿を見ることはふだんからありません。立派な門構えを見せる家々の間には車二台がなんとかすれ違えるほどの通りが貫いています。その路上を、私の長い影が私より先に歩いていきました。広い庭の向こうに見える家屋のそれぞれには温かな灯がともっています。でも私の家は未だに電灯をつける人間もおらずに闇に沈んでいるのです。

 溜息をついて、足を止めました。それは、帰りたくない家に帰らなければならない自分を奮い立たせるための儀式だったんです。高級住宅街の中でもひときわ豪華なお屋敷。その門の脇に立っている大きな柳の木の下で、私は、真っ暗な寂しい自宅に入る勇気をなんとか呼び起こしていたのでした。

 何度も何度も深呼吸し、隣を訝しげな顔をした犬の散歩中のおばさんが通るのもあえて見過ごして、私はなんとか重い一歩を踏み出しました。大丈夫。今日も耐え切れる。父母への嫌悪感を喉の奥に飲み下し、さらに一歩、歩を進めました。

 そのとき。

 前方から白い外車が近づいてきたんです。ワーゲンという独特のフォルムを持つ車でした。当時、まだこの車種を持っている人は珍しく、私の記憶する限りでは、いま自分が立っている豪邸の奥さんしか所持しているのを見たことがありません。

 案の定、狭い通りを近づいてくるワーゲンの運転席には見知った奥さんの顔がありました。車のせいで目立っていた女性なので、見間違えるわけがありません。奥さんは、門のすぐそばに立っていた私に柔らかく会釈をしてくれました。品のいい方なのです。私も慌てて頭を下げかけました。

 すぐ横をゆっくりと通り抜けていく白いワーゲン。うつむき加減で車内を覗き見た私。目の前にはワーゲンの助手席がありました。コンパクトな車にしては思いの外大ぶりのシート。

 に。

 少年がいました。いえ。……少年の形をしたもの、がいました。

 黄色と黒の横縞のTシャツはシミだらけでみすぼらしく汚れています。褪せたデニムの短パンを履いた足は、これも泥がこびりついたように薄黒くなっています。助手席の上に膝立ちになって立ち上がり、丸刈りの頭を車の天井にぶつけて、黒く焼けた顔をじっとうつむかせているのです。印象は私と同じぐらいの年齢でした。背の高いひょろっとした体型で、頭部だけが妙に大きかったのが強く記憶に残っています。

 『それ』を見たとき、私がまず真っ先に思い出したのは、奥さんの旦那さんがお医者さまだという情報でした。なぜかというと、私には『それ』が死体に見えたからです。

 『それ』の頭は車の天井にぶつかっていた、と先ほど私は説明しました。でも正確に言えばそうじゃないんです。『それ』はぼっきりと折れた首を天井部分に括られていました。つまり首を吊っていたんです。自然に下を見るような格好になった『それ』の顔は、目が半眼に開き、口のまわりにはよだれの乾いた跡がありました。どう見ても生きている人間ではなかったんです。

 だから『旦那さんの病院から奥さんが死体を持ちだしてしまったんだ』と、自分なりに拙い合理性をこじつけようとしたのでした。

 何事もなかったかのように自分の邸宅に戻っていく奥さんの白いワーゲン。その後部を見ながら、私は、いま見た『それ』の姿を何度も何度も反芻しました。清潔感のない肢体。絞め殺されたような無念を覗かせた表情。頭蓋と比較して華奢な手足は栄養状態の悪さを示している気がしました。

 夜の八時過ぎに帰ってくる母は、空腹に耐えて待っていた私に、よくこういう仕打ちをしました。『家のことはちゃんとやっといて! あたしは疲れてるんだから! もう作る気力ないから自分でなんとかして!』。茶碗の位置ひとつを動かしただけでもイライラと『なんでお母さんのするとおりに真似できないの?!』と怒鳴る母の手前、私は自宅のものに手をつけることは精神衛生上できませんでした。だから待つしかないのです。母親という名前の鬼の怒りが収まることを。そして祈るしかなかったんです。小学校の給食費すら脅しの道具にして私の自我を殺そうとする彼女の怒りが向かないことを。諦めるしかなかったんです。同じように共働きの両親から惜しみない愛情を注がれて輝いていく同級生たちのようになれることを。

 私が死んだら、きっと私はみすぼらしい死体になるでしょう。もし私が恨みを抱きながら死んだことが母にバレたら、彼女は私の死体を人知れずどこかに捨て去ろうとするでしょう。協力的な父の運転する車の後部座席にでも押し込んで。

 ずいぶんと長い時間、私はそうやって、『それ』と自分の一致点を探していました。気づくと黄昏さえ宵の闇に姿を変える時間になっていました。

 病院にはきっといろんな患者がいるんでしょうね。家族に看取られながら安らかな最期を迎える人もいれば、実の親にも見捨てられて寂しく死んでいく子どもも……。私だったら、父と母が望まなかった私の存在に対して最後まで面倒を見てくれようとしたお医者さんがいたとしたら、死んでも思わず魂がついていってしまうかな。だって一人ぐらい大人に親切にされたいじゃないですか。

 最初に端貫木さんにお願いしたように、私が見た『あれ』は、話を聞いた他の方も見る可能性があります。そこでお願いなのですが、もし『あれ』を見てしまった場合、どうか怖がらずに、この世に未練を残しているだけの子どもの魂なのだと信じて、優しい気持ちを持ってあげてください。不遇の子どもたちは、死んでまで大人に否定されたくないのです」


 というところでRさんの体験談は終わります。ちょっと半端だけど、このあとちゃんと締めるからね。

 それにしても、親ってのは巧妙に子どもを潰すもんだな。ニュースになるような虐待じゃなくても、Rさんのように半ば『飼い殺し』状態にされれば、大人になっても後遺症は残るだろうに。でも、適当な歳になったら親の責任はもう終わりだもんな。精神を病んでようが社会不適合になろうが『本人の責任』で押し通しちゃえばいいわけだ。

 俺もさ、いまもう二〇代脱しかけてる歳なんだけど、まだこのラジオ局では半新人なわけ。どうしてかっていうと、ここに拾ってもらうまではまともな職業に就けなかったからなんだ。正規に就職して枷ができたときに、その会社の人間が俺を潰そうとするんじゃないかって、不信感しか持てなくてさ。で、気楽なフリーターでなんとか凌いでたら、この番組のディレクターに声かけてもらえてね。だから彼は恩人なわけ。あははっ。向こうで、手、振ってるわ。

 でも、たださ……。こう思ったりもするんだよ。子どものうちに幸福になる方法を学ばなかった人間は、やっぱりいつまで経っても幸福になるやり方を実践できないんじゃないかなあ、って。だから知らず知らずのうちに不幸を呼び込んじゃうんじゃないかなあ、ってさ。

 Rさんはさ、実はこの体験の直後、呆然と突っ立ってたところに声をかけてもらったそうなんだ。話の中に犬の散歩をしてたおばさんが出てきたろ? あの人が散歩から戻ってきたときに、独りで泣いてたRさんを「どうしたの? 大丈夫?」ってすごく心配してくれたらしい。どんなに怖いことがあっても独りで乗り越えなきゃならないと気負ってたRさんは、『正常な大人』と触れ合えたことで、ちょっとだけ大人に対する信頼感が復活したんだって。だから現在はそれほど『後遺症』は残らずに済んだそうだよ。

 俺にも現れるかねえ、そういう人。大仰に助けてくれなくてもいいんだよ。ほんの些細な助けでいいんだ。困ったときにそれを見つけてくれるだけで。


 湿っぽいこと言っちゃってごめん! じゃあ最後! リスナーのみんなのコメントを読むよ。『のむら』さんから。「怪談の部分じゃないとこが怖い気がする」。ごめんごめん。投稿の内容は変えてないけど、書き方は俺が演出しちゃってるからね。Rさんのせいで内容が重くなったわけじゃないから、そこは言い訳しとく。じゃあ次、『むらた』さんから。「虐待ってなんでするのかわからん。イジメも虐待も周囲の無関心に原因があるんじゃないの?」。そりゃあるかもな。でも『無関心』の中には本気で気づいてない人もいるだろうし。そこに恨みを向けちゃだめだよな。

 というところで時間になりました。五日間、聞いてくれてありがとう! 来週、ぜひまた聞いてくれよ。三年目の端貫木で頑張るからさ。じゃあまたね!











 あれ? なんでもう電気消しちゃってんの、尾木ちゃん? スタジオ、真っ暗なんだけど。……ああ、そうか。『終わった』んだね、俺。もう目も見えないんだ。うん。いいんだ。気づかれなくてもさ。それも運命ってやつで。勝手に脚本書き換えちゃってごめんな。最期のあがきってやつで。……なんて言っても尾木ちゃんにはもう俺の声は聞こえてないか。











 ああ、そうだ。言っておかないと。俺の彼女ね。あの子も家庭に問題のある子でさ。やっぱり他人を信用できないみたいなんだ。だから不安だったんだろうな。俺がまともな仕事に就いて順調に経験を重ねていくのが。「もうすぐ三年目だよ」って喜んで報告しちゃったのは、ずいぶんと無神経だったと反省してる。すごく不安そうな顔をして「あたし、捨てられるの?」って飛びついてきたんだ。女の子だからあんまり力はなかったんだけど、けっこう痛かったよ。腹にナイフ突き立てられるのは。そのときね、逃げようと思えば逃げられたんだけど、俺、なんか「もういいか」って思っちゃってさあ。俺にはやっぱり幸せになる方法が身についてないんだな。だから俺が死ぬのは俺のせい。彼女のせいじゃないから。悪いけど、彼女にはそう伝えてやってくれる?

 急な欠員ごめんな。

 じゃあまたいつか。

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