はじめての銭湯と沸騰する湯

生まれて初めて銭湯に行ったのは、小学校に上がる前。家のお風呂が壊れたかなんかで、母親に連れられ、一個下の弟と三人で駅前の銭湯に行きました。もちろん全員揃って女湯です。


母の実家が温泉旅館だったので、大きいお風呂に知らない人と入ることにはさほど気後れしなかったけれど、今でも覚えているのが、大きな浴槽の底からボコボコ泡が立っているのを見た母親が、私と弟をからかって「あれ、沸騰しているんだよ」と言ったことです。え?沸騰ってめっちゃ熱いってこと?と表情の曇る幼稚園児の娘の反応が面白かったのか、母は更に恐ろしい声音で付け足します。


「そうだよ。その証拠に、お風呂の底を見てごらん。赤い光が見えるでしょ、あれお湯を沸かしてる火が燃えてるんだよ。だからボコボコ泡が立ってるの」


その浴槽は、底が分厚いブロックの曇りガラスみたいな形状になっていて、その下に赤いライトが仕込んであるのでした。


水と炎が同じ空間に両立できるわけない。と、今なら反論できるのですが、当時の私は幼稚園児。ONE PIECEのルフィ並みに、理解できないものは「不思議な○○」で納得していた年頃です(今もわりとそうだけど)。


「おばあちゃんはどうして、お顔がしわしわなの?」と無邪気かつ残酷極まりない質問を祖母に豪速球で投げつけ、懐の深い祖母がその問いに大笑いしながら「それはねー、間違えて醤油で顔を洗っちゃったからだよ」という優しい回答をしてくれたのを、だいぶ後まで本気で信じていたくらいの年齢ですから(何故醤油が洗面所に間違えて置いてあるのかとか、そういうことは全く疑わない)、そりゃお風呂の下に炎が透けてて、お風呂のお湯はボッコボコに沸いてると言われたら素直に信じるでしょう。


そんなわけで、お風呂が直るまで一週間くらいその銭湯に通ったのですが、私は頑としてその赤くライトアップされた浴槽には入らず、しかもその浴槽に弟を抱いて入ろうとする母親をものすごい号泣しながら止めるので閉口した、と後で母親から聞かされた記憶があります。でも、普通止めますよね。沸騰するお湯に入ろうとする人がいたら。だって、大やけどしちゃう!死んじゃう!って思うもの。でもよそのおばさんがその浴槽に入るのは止めずに興味津々で見ていたそうなので、その辺の自分の理解力というか、知らないおばさんはどうなってもいいと思っていたのか、過去の自分に問いたいです。おおかた、沸騰しているお湯に入っても平気な「不思議おばさん」と思っていたんじゃないでしょうか。


それにしても、母よ。何故そんなややこしい嘘を幼稚園児の私についた…。


そんな訳で、今もジャグジーとか超音波風呂とか、泡の出るお風呂に入る時は、必ず手を入れて湯温を確かめてから入る癖がついています。


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