第3話 二人の目覚め

 目が覚めると、光と影と白いもやのようなものがゆれていた。

私は殺された。あんな奴に斬られて死ぬとは恥でしかない。

「ううっ………痛いっ………」

死とはこんなにも時間が掛かるものなのだろうか?

斬られてからどれぐらい経った?全く見当もつかない。

これがなのだと思ってから一瞬しか経っていないような。

いや、何百年かこのままであったかのような気もするし。

しかし、痛いッ!

ヤツら切り刻んでおきながら止めを刺さぬとは……。

浪士組に造反されたとは言え、これでも新徴組しんちょうぐみの頭なだぞ!

この御首みしるしには価値がないとでも言うのか?

まあ、ヤツの私怨であれば有り得るのか……。

しかし、痛い……。

たいそう腹が痛い……。

腹は斬られた覚えもないが、あの後斬られたか刺されたか?

望んでもいない生から死への旅路の列に、斬られ無理やり横入りさせられると言うのに、なぜこんな痛みをともなわなければならないんだ?

沸々と怒りが溢れてくる。

畜生!さっ――

「――佐々木の野郎!!!!!!!!!!!???????????」

!!!!!!!!!??????????????

口から飛び出した魂の叫びはものすごく大音量で、今まで聴いたことのない声、声色こわいろだった。死に向かい薄れかけていたはずの視界や嗅覚も、その声にびっくりしたのか鮮明に色と香りを取り戻し始めた。

陽の光に木々の影が踊り、白い煙が鼻をくすぐりかすめながら蛇のごとく細長く空を上へ上へと昇っている。黒土の地面に一つ岩があり、【近藤勇首級を埋む】と彫られていた。

近藤勇の首級を埋む……。

あいつ死んだのか……。

あいつが……。

袂を分けたが一時期一緒に行動していた知人が、知らぬ間に自分より先に死んでいるかもしれない。その衝撃たるやすごいものがある。見たくないモノを避けるように避けるように、視線は彷徨さまよった挙句意味もなく自分の手を見ることに定まったが、思いは交錯し続ける。

あいつは京にいるはず。

江戸に出て来ていたとは聞いていない。

京にいるはず……ましてや死んだなどと……。

罪人として討たれたか?切腹か?暗殺か?首だけで葬られるとはそんなところだろう……。

にしてもおかしなものだ。

わたしも今暗殺されたというのに、他人のことなど考えている暇がどこにある!?

!?

なんだこれは!?

両手に持たれた刀の刀身が腹へと突き刺さり赤々としたモノが滲み下の地面へ垂れている。闇討ちされた記憶と裏腹に、気づくと自分が割腹自殺をしている。

暗殺あれは夢で、これが現実なのか?

顔も見せぬ卑怯者に斬られた背中も佐々木に袈裟斬りされた左肩も痛みはない。ただただ腹が痛い。

寝ぼけて割腹など話にならん……。

わたしにはまだやれることがあるんだ!

まだまだ死ぬわけにはいかない!

両腕に力を籠め刀を引き抜こうとするが、腹からの出血が多いせいか腕が震えて力が思うように入らない。

これが私の腕だというのか?この細く青白い腕が?

抜くのにかなりの時間を必要とした刀を目の前に置き観察する。その血糊から二寸六センチほどしか腹に刺さっていなかった。次に見慣れぬ服装の奇妙な結び目を襟首から無理やり引き裂き腹を見たことで傷の幅も一寸三センチ程度だとわかる。いくら寝ぼけていたとは言えもっとこうかっこよく十文字かカタカナのキの字にできなかったものかとか、このまま死んで発見されたら度胸のない奴と言われるところだったと情けなく思ったりしたが、縦幅がたった二寸六センチ一寸三センチで臓物にまでは達していないようでこれ幸いと思うことにし、生きることにした。

それなのに初めにしたことは刀の血糊を服の袖でぬぐい綺麗にすることだった。三つ子の魂百までとはよく言ったもの。武士として育てられた者にとって当然の行い。刀は武士の魂。刷り込まれた思いはどんな時でも失うことはない。本人が拒むことがない限り武士であるという思いは死ぬまで続くのだ。死に向かう者としては不自然ではあるが、武士としてその行為は至極当然で自分のこころと語り合い冷静な思考を引き出す一種の瞑想なのだ。より一層瞑想を深めるため本来ならばいつものように目釘を抜き柄をはずし粉を打ち終わりたいところであったがそれは諦め、本当の意味で生きるための思考に取り掛かった。

自分は何か持っているのか?辺りには何かないのか?見回して変わった大袋を見つけた。袋は見慣れぬ着物と同じようにまた奇妙な結び目で閉じられていたが、これも無理矢理引き裂き中身をぶちまけた。中からは透明な袋に包まれた煎餅と、文字の書かれた不思議な竹筒に入ったお茶、何か判らない細く小さなハイカラで透明な筒棒と、手紙。治療に使えるものはなかった。ハイカラな筒棒に至っては一瞬刀の目釘抜きに使えたのでは?とも思ったが、刀も一応綺麗になったし命の時間も差し迫っていたのでやり直そうとまでは思わなかった。

結局初めて見る細い袴の左裾をびりびりと引き裂いて腹へと巻き付け、「血も出たし腹もいたし、腹がすいては戦もできぬ」と一言。そう言い終わると同時に煎餅の袋を噛み千切り中身を食べ、強引にお茶の蓋を開け飲み干した。

ひと段落着いたし状況を整理しておこう。

まずこの場所近藤の首塚には全く見覚えも聞き及びもない。

昨夜飲んだ後帰路に就いたまでは覚えているが、後があやふやだ。

橋のところで佐々木に殺されたのが夢だったとして、どこでどうやればこうなるのか?

誰かに連れてこられたのかも全く見当もつかん。

で、手にはかすり傷と青臭い緑の汚れ。

墓前に火の着いた線香と腹には切腹痕せっぷくあと

どうやらここいらの掃除をして祈りを捧げて、最後に切腹したらしい。

記憶はないが自分でしたみたいだ。

これ以上の情報は得られまい。

とにかく一刻も早く山を下りてきちんと治療せねば……。

手短に首塚に祈りを捧げると線香を消し、刀を鞘に納めた。そしてそれを杖に山道を歩き始めた。



「来たこともない所なのに、来た覚えがあるような気がする――」

脳裏にある光景が浮かぶ。

「――この獣道を下って行けば竹林を越え道に出る、気がする……。しかし、そこまでこの体が持つか……」

ここには昨日までの屈強な体躯たいくとは違う貧弱な身体があった。

歩きながらも何度となく自分の体を見返したが、丈夫とは程遠く貧弱そのものだ。それなのに、追い打ちをかけるように身体から力が抜けて行く。応急処置で出血量は減ったものの完全には止まってはいないのだ。

血が足りぬと心臓がバクバクと脈打つ最中も鮮血は巻いた布からにじみ漏れ出て珠になり時と距離の関係を刻み計測するかように地面に落ちる。落とした者をひたひたと付かず離れず追いかけて来る。まるで死神の様だ。

寒気がする。

血液の循環もままならず体温が下がり始めたのだ。

いったいどれくらい歩いただろう?

何里も歩いた様な疲労が足を鷲掴みにしている。歩調も少しずつ少しずつ狭められ、等間隔に落ちていた命の印も所々乱れ始め、下までもう少しのはずがさらに遠く感じる。とうとう滴り落ちていた血液は勢いをなくし、腹から足を伝い履物から溢れたモノが地面をべとべとと赤く染め、歩く度ニチャニチャと音がする。でも音は気にならなかった。

ざわざわと木々の葉が擦れる音がしていたから。風も段々強く吹き始めた。


「重いなぁ……」

風が鼻先に臭いを運んでくる。

「血の臭いがする……。近い……」

と言ってぼーっとしていたのがハッとする。

「馬鹿か?近いも何も――」

なぜか本能か視線が後ろに飛ぶ!

一瞬の出来事だった。

血の臭いと生臭い腐った臭いが入り混じった黒いモノが背後から轟音を上げ向かって来た。

「――がぁぁー!!!」

先ほどまでの重い身体が嘘のように反応する。地面に突いた刀を素早く持ち直すと時計回りに黒いモノに向き直りざま左薙ぎ払いにかかるが、更にその上から黒いモノが今にも覆い被さろうとしている。振り切った後にもう一刀を振る時間はない。が、身体はそう思う以前に左薙ぎから変化し左を切り上げた。ギリギリ何かが刀身に触れた。次の瞬間、あまりにもの重さに受けきれず後ろへ飛びのく。

火花が散った気がした。

見間違いかもしれない!

実際のところは大木か何かで、今見える目の前のモノは幻かもわからない……。

鋭く弧を描き飛んできたモノが手で、こんなに巨大な熊だなんて……。

こんな熊……見たことないぜ……。



 それから、一人と一頭は数分睨み合うが、どちらも隙を見い出せずにいた。熊は時折手に追った傷をひと舐めし直ぐにこちらを見る。爪が欠けているが傷は大きそうには見えなかった。

一方こちらは、この貧弱な身体に本当の限界が近づいている。

これ以上命を延ばすことはかなわぬだろう。

次に熊公が手の傷を舐めた時が勝機だ。

起死回生の一撃を喰らわせてやる!

まばたきもせず、ただただその時を待ち感覚が研ぎ澄まされていく。

ぴくっ!

熊の毛が立った気がした。

熊公が手を舐めに動く!

左手に持っていた鞘を放り投げ、両手で上段に構えた。

鞘が木に当たり音が鳴る。熊はビクつき舐めるのを止め、音の方に振り向いた。

「ちぇあーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!」

気合の掛け声とともに走りだした。熊は木の音に一瞬気をとられ再び掛け声でビクついたものの迎撃しようと身構える。

「くっ!?」

身体は限界をとうに迎えていた。足が思うように進まず態勢が崩れ、踏み込みが弱いがここで止まるわけにはいかない。当たるも八卦当たらぬも八卦!とばかりに渾身の袈裟けの一撃が飛ぶ。熊はそれに少し遅れて反応したが、合わせるように傷のない右手で横から打ち殴った。

高い金属音が鳴り、落ちてきた夕陽が弾かれ飛ぶ刀身をキラキラと輝かせた。

無念……。

ここまで……。

男は振り切りそのままに倒れた。

もう言葉を発する気力もない。今の一撃ですべて尽きている。熊はピクリとも動かない人間と間合いを取りつつクンクンと周囲を警戒し徘徊、敵や次撃はないのだと確認した。時が来た。自然界で勝者だけに許された特権を行使する時間が。生殺与奪の権利が。生きているモノを殺し、命を喰らう時間だ。どこを噛み切ろうかと鼻息を鳴らし人の髪の毛をくすぐるが、男は消えそうな意識の中、何も感じていなかった。何も見えないし、痛くも、こそばゆくも、うるさくも感じない。あるのはわずかな意識のみ。

これでおわりか……。


「おい!!!だいじょうぶかぁー!!!よかった!生きてたー!竹の子採ってたらいつの間にかいなくなってるからよぉ!!!見つからねーから人呼んで、したら人喰い熊がここいらで出てるって聞いて、一生懸命探したんだ――」

何言ってるの?

僕は切腹自殺したんだよ。死んでいいんだ。

死にに来たんだから……。

「――よかった!ほんとによかったぁ!」





 目が覚めた。

再び覚めることがないと思っていたのに。

寝ている間、最悪で最高にカッコイイ夢を見た。

現実はクソなのに。

夢の中の自分は最初どこかおかしくて自分じゃないみたいで、最後熊と戦って負けたけどサムライみたいでカッコよかった。

あこがれの存在、新選組近藤勇や維新志士のように。

ズキ…… ズキ…… ズキ……

死ねなかった痛みが、夢から僕を引きずり出した。

白い部屋にいた。消毒と薬臭い部屋。よくありきたりな小説で無

機質で冷たい部屋と称される病院の一室。


僕は死ねずに、現実の痛みで目が覚めてしまったのだ。

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