第2話 文久三年皐月の出来事
まだ肌寒い四月の十三日深夜。
彼は同郷の先輩を訪ね激論を交わした。
と言っても、先輩は彼の強い主張をひらりと正論でかわし調度良いところで納めてしまう。何時もそうだ。彼は並大抵の
だからこそ対立すべき相手であるのに今もって心底惚れ込み飲みに会いに行く間柄であるのだった。
ひとしきり話が終わったところで料理と酒が部屋に運ばれて来て先輩に「今日は泊まって行くのだろう?」と酒を勧められたが断ったものの、結局断り切れずにたらふく飲んでしまった。しかし、だからと言って泊まる訳にはいかない。
先輩に別れを告げ、使用人の案内で屋敷の勝手口からお暇することにした。戸が開き身を乗り出して辺りを見回したあと陣笠越しに空を見上げると上弦の月が輝いていた。
「今日は外も幾分か明るいゆえ灯りはいらぬよ」
「へえ」
「戸締りはきちっとする様に。金子殿は国の宝ゆえ。では」
「へえ、お気をつけて」
少し歩くと景色も気分も変わり始める。辺りには人の生活の痕も見えないし、あれだけ討論して熱を帯び世間話で和らいだ心も冷めて固まってくる。
「ふぅーーーーーっ」
ブルッ
まだまだ寒い。酒で温めた身体が冷え切ってしまう。身も心も冷え切らぬ間に帰るとしよう。
ある河の橋の中ほどへさしかかったさしかかったところ。前の方から陣笠を被り灯りを掲げ自分と同じような風体の侍が歩いて来る。自分は刀の切っ先が当たらぬ間合いを瞬時に計算し「これは一種の職業病だなぁ」と独り言をしつつ少し距離を取りすれ違おうとした。
その時、男は話しかけてきた。
「これはこれは、清河先生――」
侍は陣笠の紐を解き右手に下げると笑みを浮かべた。
昔から知った声と顔である。この顔は……。ああ、そうだ!道場で打ち負かし、国を救う策を講じる討論でも打ち負かし、散々に打ち負かした同僚。根性がひねくれているのか?笑みを浮かべてもどこかへの字口への字口に曲がっているこの顔は……。少しは大人に成ったと言うことか。
一瞬の間に頭に過去の出来事が廻り結論を得た。
「――こんな夜更けにご帰宅とは、今日はどこへお出かけで?」
「ああ、誰かと思ったが、これは失礼。しばし――」
私は陣笠の紐に両手をかけ、取ろうとした。
「ぐぅ!!!!!!?????????」
背中に激痛が走る。一瞬の痛みは消え、あきらかに酒の熱ではない別の熱さが上から下一文字に背中を走った。手に持ちかけた陣笠を放り出しエビぞり気味になったところで目の前の男の顔に気付いた。
笑ってやがる。
あのへの字口への字口を引きつらせながら笑ってやがる。
笑いながら上段に振り上げた刀を振り落とした。
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