第32話
望んだ物は手に入らなくて、望まぬ物は手に入る。案外、無欲な奴ほど得をする。
前に一度来た事がある女子寮、その入り口に俺は立っていた。前の時は隠れていた為、少し距離を取っていたからここに来るのは初めて、とも言える。
「進はそこのスリッパ使って、緑のが来客用だからね」
言われて棚を見れば、綺麗にスリッパが並べられていた。……緑が来客用なのは分かった。しかし、赤と黄色は何用なんだ? 気になる。気にはなるが……態々聞くほどの事ではない。まぁ普通に考えたら、各自の気に入ったスリッパだろう。一つだけ凄い違和感あるけど。
色付きスリッパが並んでる場所に、もこもこしたウサギの顔を象ったスリッパ(耳付き)が置いてある。……いったい誰のだと言うんだ。
くそっ。
緊張しすぎて、わりとどうでもいい事が視界に入ってくる。いつもなら気にしない事が、妙に気になってしまう。
「あぁそのウサスリッパは先輩のだから」
ノノの言葉に生徒会長が浮かぶ。俺が知ってる中で、この寮で先輩なのは彼女だけだ。
に、似合ってるけど……なんか印象違くねぇ? あの人はウサギみたいにのほほんとしてないと思うんだけど。むしろ忙しなく動く小動物―――リスみたいなイメージだ。
「たぶんだけど、生徒会長を想像してるなら違うよ。それはもう1人の先輩用、今は出かけてていないけどね」
「そ、そうか」
早とちりしてしまった事が妙に気恥ずかしい。ノノに指摘された、というのも恥ずかしさに拍車を掛けている。
「愛ちゃん、来るまでリビングでお茶でもしようか」
「………分かった。ノノはお茶菓子出して、ボクは、お茶淹れてくる」
あーい、と返事するノノを置いて、あさは奥へと消えていく。……ノノと2人にしないでもらいたいなぁ!
緊張で、変な汗が背中から流れ落ちている。
しかし、俺の思いは伝わらずにあさは振り返る事すらなく、リビングの奥へと消えた。
リビングにあったソファーに、半ば無理やり座らされ、ノノがあちこちの戸を開けてお茶菓子を探している。……この部屋にあるとは限らないんじゃないかな? 別の場所を探しにいかない? むしろ行ってくれない? せめて俺の思考がもう少し回復するまで待って。
そんな想いもノノには通じず、何故だか距離を縮めてくる。
これはあきらかに狙ってるでしょっ、と言いたい。しかし、そんな事を言えるなら最初からここまで面倒な事態にはなってはいない。
「ちょ、ちょっと外の空気を吸ってくるっ」
「え、どうしたの進?」
「悪いっ」
ノノから背を向け、駆け足で玄関に辿り付いた。
しかしそこには、彼女がいた。
「あら、進さん? 何故こんな場所に?」
不思議そうに首を傾げる生徒会長。どうやら、いつの間にか帰っていたらしい。いや、制服である事を考えれば、まだ学校から帰ってきたばかりだという事だ。
「なんでこのタイミングで!?」
よりにもよって、あの場に2人切りは気まずいからと逃げ出したら、同じように気まずい人に遭遇してしまうとは思わなかった!
この寮に住んでいて同じ学校なのだから、わりと当たり前の事だが、今の進にその事に気付き余裕はない。
「え」
一方、進に驚かれた生徒会長は愕然とした顔で固まってしまう。……そりゃあそうなりますよねぇ。好きな人が自分達の暮らしている寮にいて、いきなり驚かれるなんて。すら想定していなかったでしょう。
「ちょっと外にいますからっ」
固まったまま、何かをぶつぶつと呟いている生徒会長の横を通り表に外に出る。少しでも外の空気が吸いたかった。
外に出て、大きく深呼吸する。
肺に入ってくる新鮮な空気に、気持ちが落ち着いてくる。
さっきまでの動揺が嘘のように落ち着いてくる。
「ああ。なんでこう、情けないのか……」
自分の不甲斐無さがどうしようもなく悲しくなってくる。昔から1人でいる事には慣れていた。好意を寄せてくれるのは妹の愛と両親くらいなもので、肉親以外の誰かから好意を寄せられるという経験に慣れていない。
それが如実に出てしまっている。どうにか慣れればいいのだが、そんな簡単に慣れるものじゃなさそうだ。
「お兄ちゃん?」
最愛の妹、愛の声に反応して顔を上げる。落ち込んでいた気分を一時的に押し殺し愛に言葉を返した。
「よう、愛。着いたのか」
「え、うん。そうだけど……どうしたの? 今朝も酷かったけど、もっと酷くなってるよ?」
「はっはっは。平気だ、ちょっと眠いだけだからな。なあに、時折意識が飛ぶくらいなものだ」
「それって危なくない!? 結構本気で危ないよねっ?」
「そんな事はないさ。気分は最高にハイだぞ」
「ダメな奴だよっ。それは単に眠すぎて思考がぶっ飛んでるだけだってっ!」
必死に何かを伝えて来ようとしているが、如何せん頭が回らない。この状態では、まともに人と話をするのも難しいかもしれない。
……いっそ、聴かなかった事にするか? 実際、ストーキングで聴いた話だし。ノノは俺に知られてるなんて思ってないだろう。
うん、それでいこう! クズと呼びたければ呼ぶがいい! 今の俺は、の言葉を甘んじて受け入れよう。
だが、このまま関係が壊れてしまうよりはマシだと思うのだ。
「お兄ちゃん、家帰って寝なよ。顔が真っ青だよ?」
「問題ないって」
「いやいや無理だからっ。土気色通り越して真っ青になってるから! 火葬した時のお婆ちゃんみたいな色してるからっ」
「そ、そうか?」
俺としては平気だと思うのだが……。
「お兄ちゃん、今どんな気分? 正直に答えてね」
妹にキッと睨みつけられては、シスコンの俺としては素直に答えるしかない。第一、妹がここまで俺の事を心配してくれる事に嬉しさを感じていた。
「いや、その、なんだ……ちょっと吐き気がして、眠くて、意識が飛んで、体がふらついて、頭が痛い―――くらい?」
「帰れ! 帰って寝ろっ! とにかく帰って寝なさいっ!!!」
「はいっ」
妹の叱責に返事をしてしまう。……やばい、怖かった。なんか凄い迫力があった。いったい何がそこまで愛を駆り立てるのか、でも心配してくれるのは嬉しいぞ。帰ってデザートでも―――
「まさかとは思うけど、帰ったらすぐにベッドに入るんだよ? いいねっ? お菓子なんか作らずに寝るんだよ? 私のご飯もいらないから、とにかく帰って寝る事、もしもそれ以外の事をしてたら……」
「し、してたら?」
「―――」
にっこりと微笑む無言の妹。重圧が凄い。もしも寝てなかったら、いったい何をされてしまうのだろうか……?
怖くて聞けない。少なくとも、言葉を濁し明言を避ける程度にはやばい事になってしまうのだろう。
「い、イエスマムッ!」
「よしっ。帰って寝てなさい」
その言葉を出した後、タクシーを呼ばれ家まで運び込まれた。……妹は女子寮に残ったが。
ちなみに、タクシー代は家計から引かれました。……妹には負担の掛からないように調整しなければ―――ひっ。
背中にゾクッ、とした気配を感じた。これが殺気? いや不吉な予感? それとも幽霊的な寒気? ま、まさかとは思うけど……愛が見てたりはしないよね? ……………あ、明日にしようかなぁ。
そう思うと、背中に圧し掛かっていた重圧が消えた。
い、妹はあまり怒らせないようにしよう。
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