第23話

 ふらつかせた体で何処へ向かうと言うのか、男は盲目なまでに歩みを止めない。



「ひ、酷い目にあったじゃん……」


 げっそりとした男――正栄が教室に戻ってくる。昼飯の時間からすでに4時間が経っていた。正栄はその間中、保健室にいたのだ。

 今は帰宅するためにカバンを取りに来たのだろう。


「なんだ生きてんのか」

「そのジョークは笑えないじゃん」


 今にも死んでしまいそうな、かすれた声を発する。……どうやら本気で辛いらしい。あのチョコ、よく発禁にならないな。

 正栄の状態に戦慄を覚える進。自分であのチョコを食べなくて良かった。と心底安堵している。


「あれー? 松永何処行ってたの??」

「……喧しいのが……保健室に行ってたんじゃん」


 何が楽しいのか、ノノはクルクルと回りながら進と正栄に近づいてくる。……あ、目が回ったのか倒れた。


「お前、何してんの?」

「んっ、うぅ。きっついぃ。や、なんとなく回ってたら楽しいかなって」


 ……相変わらず唐突ですね、ノノさん。何がしたいのかは分かりませんが、回ってたら楽しいかもしれないって、発想が常人とはかけ離れています。


 ノノに手を貸し、起き上がらせる。いつまでも床に倒れこんだままなのを見ているわけにはいかない。や、こいつなら放置してもいい気はするが……まぁ助けておこう。というか、盛大に倒れたけど怪我一つないんだな。痛がる様子もないし、頑丈なのか鈍いのか。……後者な気がする。


「あ、ありがとぅ」

「どう致しまして」


 進の手を掴み、顔を赤くさせながら立ち上がるノノ。それを傍で見ていた正栄がぽつりと漏らした。


「あ、あまいっ。なんていうラブコメ……他所でやって欲しいじゃん」


 なんだか、間違えて砂糖を口に含んでしまった時と同じ顔をしている正栄に気付かずに進はさらなるラブコメをぶっこむ。


「そういやノノ、あささんは何をしているんだ?」

「何って?」


 問われたノノは、不思議そうに首を傾げ顔一杯に疑問符を浮かべる。まぁ言葉が少ないですよね。これだけの情報で伝わるわけないです。


「最近、よく遠回りしてるじゃねぇか。それも一人で」

「あぁその事。なんかバイトしたいんだって」

「バイト? なんでまたこの時期に?」

「さぁ、なんでだろうね。あの娘の事は私にも分かんない時があるからなぁ……彼氏でも出来たんじゃない?」

「―――」


 ニッコリと笑顔でとんでもない事を言い放ったノノ。あまりの衝撃に進の脳がフリーズする。そりゃもう見事なまでに固まった。

 ……と言うかノノさん? その笑顔はなんですかね。怖いんですが、笑っているのに笑っていないとでも言いますか……笑顔が虚ろで、冷汗が止まりません。進くんは気付いていませんが、正栄くんが気付いて顔を引き攣らせています。


 まぁ怒るのも当然ですよね。せっかく好きな人と二人で(正栄くんの存在は忘れられています)話していたのに、別の女の名前を出されてしまえば興醒めです。それも惚れていて告白までした相手ともなれば機嫌だって悪くなりますよ。……ノノさんは機嫌が悪くなるだけではすまなそうですが。

 進くん、そのうち包丁で刺されるんじゃないですかね。



「――進さんはいますの?」


 このタイミングで生徒会長の襲来ですか、あなたが来ると毎回アクシデントが起きてません? ……気のせいですかね?

 一応、他学年のクラスなんですが……なんで普通に入ってくるのか、ある意味で

恐ろしい少女だ。

 

 扉から堂々と入ってきた少女。キラキラと光を浴びて目立っていた。が、進達は気がつきすらしません。

 進は固まってますし、ノノは虚ろな笑いを浮かべています。正栄はノノから発せられる黒いオーラに圧倒されそれどころじゃないです。


「あ、こちらにいたんですのね」


 進達の姿を確認した生徒会長が近づいてくる。……やはり、誰も気付かないが。なんでしょうね、決して影が薄いわけじゃないんですが、むしろ濃い方なのに皆に放置されてます。


「あ、あの皆さん? あのぉ……き、気付いてもらえませんかしら……………」


 碧眼の瞳にうるうると光るものが浮かぶ。……近づいて話かけてんのに無視されてる構図ですからね、普通は怒りますよね。もしくは泣きます? ただ誰も気付いてないだけなんですけどね。


「――いや待て、彼女の周りをうろつく男は多かったが……興味なさ気だったぞ」

「チッ。あ、生徒会長じゃないですか。……なんで泣いてるんです?」

「な、泣いてなどいませんわっ」

「どもっす会長。なんでここに?」


 やっと気付いてもらえた生徒会長の瞳に、涙が溢れだす。気付いてもらえた安堵や先ほどまでの恐怖がごちゃ混ぜになり自然と涙が溢れ出て止まらないのだ。



「落ち着いた?」

「……はい。あの、見苦しい姿をお見せして」

「あぁだいじょうーぶですよ。むしろ可愛かったですよ」

「きゃわっきゃわわわ!?」

「ふーん……」


 ……進くん、あなた。確かに生徒会長は可愛かったですよ。でもね、それをこのタイミングで言いますか? 口説いてるようにしか見えませんよ? つかノノさんの機嫌が悪くなりますよ。そのうち、ノノさんの感情メーターが爆発する未来しか想像できません。

 ノノさんがシチューかハンバーグを出してきたら即座に逃げましょう。


「ははっ。動揺した先輩は可愛いですね」

「――きゅっ」


 もはや、動物の鳴き声染みてきた生徒会長の声。いや鳴き声。しかも顔を真っ赤にさせて。可愛いですね。


「進、俺は先に帰るじゃん」


 そろそろ命の危険を感じ始めた正栄が脱出を図る。このままここにいたら、進のとばっちりでやばい事になりそうだ。と言う判断で撤退を開始し――


「正栄、ほらよ」

「?」


 進から投げ渡された物を、パシンッと反射的に受け取ってしまう。確認すると、手作り感のあるクッキーが袋詰めされていた。……嫌な予感にダラダラと冷汗が背中を伝う。

 この場はなんとしてでも逃げなければ捕食されてしまう!


「ありがとじゃん。じゃ、またあし――」

「進さん、それは何ですの? 市販品には見えませんけど」


 正栄の逃亡を防ぐ為か、ノノが正栄の右足を踏みつけている。それも、どこまでも暗い瞳で正栄を見つめている。……どうやら、嫉妬心や独占欲の爆発先が自分に向いたらしい。と悟った正栄は絶望を顔に浮かべる。


 そして心の中で思う。

(俺って、別に悪いことしてないよな? なんでこんな目に遭うんだ……)


 楽しいことが大好きな正栄でも、流石にこの展開は楽しめない。と言うか、下手したら自分の命が失われそうだ。


(頼むっ。進の手作りとかやめてくれっ。絶対にやめろよっ)

 今まで信じた事のない神を思い描き、必死に心の中で祈るがその祈りが届かない事は知っていた。


「あぁ。それは俺が作ったからな」


 進の声が、やけに遅く聞こえる。……くそっ。男からクッキーを貰っても嬉しくねぇんだよっ。つか命の危機だ! なんとかして生き延びなければ!!

 足を踏む力が強くなった気がするが、大丈夫。まだ間に合う。よしっ。


「俺って甘い物苦手なんだよ。だから皆でわけ――」

「何言ってんだ? 俺の家に来た時、菓子の味見をしてくれたじゃねぇか。その中でもクッキーが一番好きだったろ」


 クソったれ!? このタイミングで俺を追い詰めてどうすんだっ? 気付いてこのカオスにっ!

 進の暴露に生徒会長の瞳にも怪しい光が宿る。


「そうなんですの。あなた、進さんの家にお泊りを……羨ましいですわね」

「泊まったのは知ってたけど、そんないい良いイベントがあったんだぁ。教えてくれればいいのに♪」



 や、ば、い!!!


 

 そろそろ足の骨が砕けそうなほど力が込められてます。……と言うか二人とも笑顔なのに、会長さんの瞳は怪しく光ってるし、ノノさん瞳は虚ろに染まっているんですよ。これは、もう助かりそうにありませんね。

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