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「理絵さん! どうしてここに?」

「佳津子さんが霧子って人から連絡を受けた後、オフィスに残っている全員でこっちに移動したのよ。此処が本命なのはもう間違いないし、部屋に籠ってたんじゃ状況を把握できそうになかったから」


 夜闇を切り裂く矢が如く、突き進む瑞穂。彼女を認識した甲次郎が、取り込んだ憑獣の歪な前脚を顕在化する。


「っていっても一番の目的は、彼女にも会っておきたかったからなんだけど」


 理絵が視線を向けた霧子が光弾と銃弾を撃ち放ち、瑞穂を引き裂こうとしていた鉤爪を押し留める。ほんの一言の打ち合わせすら、交さずに成される連携。それを理絵の隣で見た宏美は、我知らず瑞穂たちの勝利を確信していた。


 霧子に拘泥された甲次郎へ、瑞穂が肉薄する。振るわれた彼女の拳が、彼の複合多重障壁を崩壊させる。P90短機関銃と共に連射された霧子の光弾が、甲次郎が楯にした憑獣の顕在体に突き刺さる。怨嗟の声を上げて憑獣が霧散、紙一重で逃れた甲次郎を霧子の曲撃光弾が追尾して、降り注ぐその攻撃が不意に途絶えた瞬間に、雷を纏った瑞穂の蹴撃が完璧なタイミングで炸裂する。十九年前、暴走霊力炉に対した展開を焼き直しするかのような攻防。甲次郎に対して圧倒的な優位を獲得し――それでも今回瑞穂たちは、微塵たりとも油断しない。

 体勢を立て直すべく跳び退こうとした甲次郎の脚に蜘蛛型幻獣が跳び掛かり、阻もうとする憑獣を銃弾と光弾が引き剥がす。庵美と霧子、そして彼女たちの増幅器と幻獣が抉じ開けたその道を、真っ直ぐ瑞穂は突き進む。甲次郎の懐へと踏み込み、


「終わらせるんです。霊力炉を、兄さんを、わたしが終わらせなければならないんです」

「いいえ、コウさん。もう終わっているのよ――十九年も前に」


 阻もうとする彼の左手を振り払って、イツデを嵌めた右手を伸ばす。甲次郎の右腕に刻まれた術式と接触したイツデが、彼の多重障壁にしたのと同様に反呪の式を起動させた。


 憑獣制御と霊力炉封印解除のための術式が反転し、取り込まれていた憑獣の力も還元される。同時に庵美による支援術式も立ち消えて、勢いのまま倒れ込む瑞穂。


「もしかすると、色々吹っ切れたのかしら?」


 すぐに起き上がり、後退した甲次郎に向いた彼女を見つめて、理絵は興味深げに頷いた。


 纏っている空気を知らず緩めている庵美、平静を装いつつも動揺を隠せていない甲次郎、そして大きく息を付いた他の呪術者たち。彼らを見れば、事態が一段落着いたらしいことはわかる。おそらくはさっきの瑞穂の攻撃で、霊力炉封印解除の鍵となるナニカを破壊できたのだろう。それにより十九年前のような大規模災害が引き起こされる危険も無くなって――ならば所長である理絵が、次に考えるべきことは当然これからの調査研究所についてである。


 さっきの提案には佳津子さんも乗り気になってくれたから、彼女を通して霧子さんともちょっと話をしたい。祖父が大物だっていう佐々野さんも勿論巻き込んで、それに瑞っちがこの様子なら更に面白いこともできるかもしれない。


 矢継ぎ早に、構想を組み立てる理絵。武蔵ヶ原の危機はもう既に払拭されていて、だから甲次郎の後方の空気が不意に歪んでも、彼女の優先順位は変わらない。


「シャロル・クライアス。それに鶯正鋭もか」


 甲次郎を守るように現れた大小二つの影の名を、霧子が忌々しげに呼んだ。


「覚えていただいて光栄ですわ、奥様」


 小さいほうの影――赤いドレスに身を包んだ少女が、優雅に一礼する。


「知り合いなの?」

「国際手配呪術組織『打ち棄てられた呪術者連盟』の幹部連中だ。

 こいつらが陽動で起こした事件に、俺たちは昨日まで振り回されていた」


 瑞穂の問いに、答える霧子。地元といえる武蔵ヶ原で引き起こされた今回の騒動に、『武田組』が最終局面まで何の役割も果たせなかったのはこのためだ。


「この様子だと失敗したようですわね、甲次郎」

「……笑いに来たのですか?」

「まさか。今回の件は、奥方様を引きつけ切れなかった私たちにも責任はありますもの」

「今夜まで彼女の部隊を拘束してくれていたことは、むしろ感謝しています」


 甲次郎の言葉に、まあ嬉しい、と恥じらうシャロル――何処か芝居がかったその振る舞いが、彼の妻である霧子への当て付けであることは明らかだ。その安い挑発に唇を歪めた霧子は、無駄と知りつつ無造作に短機関銃を掃射する。銃弾に捉えられたシャロルの躰は、血を噴出させることも無く砂のように崩れ落ちた。


「でもご依頼を完遂できずにそれっきり、というのは私の矜持が許しませんもの。ですからお詫び替わりに、撤退の御手伝いをと。まさかたった一度の失敗で、諦めて奥様の元に泣いて戻られるわけでもないのでしょう?」

「当たり前です」


 声だけを響かせるシャロルに、頷く甲次郎。彼とその隣に残っていた鶯も、姿が霞んで搔き消える。シャロルが得意としている幻影術だ。


「ならば、捲土重来といたしましょう。打ち破れても、振り捨てられても、決して諦観だけは抱かない――それこそが、我々の誓いなのですから」

「ッチィ!」


 シャロルの捨て台詞が<ruby>谺<rp>(</rp><rt>こだま</rt><rp>)</rp></ruby>する夜空を見上げ、大きく舌打ちを打つ霧子。駆け寄った副官のオートバイから通信機を取り出して、


「テメーら……、いや、そのまま憑獣の掃討を継続しろ! 

 いいな、唯の一体も見逃すんじゃねーぞ!」


 追撃を断念するという彼女の判断を以てして、武蔵ヶ原連続憑事件は実質的に終結する。旧工業団地中に展開した『武田組』の銃声はまだ響いているが、それも残された憑獣と共に間もなく消えるだろう。


「なんだよ、コウの奴。

 お前だって、ちゃんと変われてるし、進めてるんじゃねーか」


 大きく吐いた息とともに霧子が漏らした声は何処か寂しそうで、でも何故か瑞穂にはほっとしているようにも聞こえた。

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