エピローグ 魔女の同窓会(2017年11月21日)

「何でですか!」


 武蔵ヶ原連続憑獣事件の顛末は、過去の呪術時事件と同様、一般に公にはされなかった。

 旧工業地区で霧子たちが起こした工場倒壊や銃撃痕は、同時期に起こっていたヤクザ抗争の一環として報道されている。槍玉に上げられた甲栢組や一桟会には傍迷惑な話――かと思いきや、田込が一桟会から仕入れた情報に拠れば、彼等への保障はしっかり行われているらしい。日本の名門ヤクザと呪術界の繋がりを考えれば当然なのかもしれないが、国家機関である警魔庁が支払った『保障』の財源が税金であると思うと、色々複雑な気分にもなる話である。


「私、納得できません!」


 事件の後、汐瑠間調査研究所は武蔵ヶ原の調査業務を再開させた。

 約束通り警魔庁から提供された呪術知識を基に、集めていた情報を再評価。更に所長である理絵は、今回の事件が武蔵ヶ原に及ぼす影響などについて、佳津子や佐々野と盛んにやり取りしているらしい。

 情報分析とリスク度計算の作業はおおよそ終了し、第四調査チームは一人の例外を除いて今日の午後から報告書の取り纏め作業に入る予定である。


「どうして瑞穂さんが、謹慎処分なんですか!」

「しょうがないわよ。こうゆう賞罰はしっかりやらないと」


 ただ一人の例外――昼休み明けに夏端に呼び出され、調査研究所に有用な情報を秘匿していたとして無期限謹慎処分を言い渡された瑞穂は、それを我がこと以上に憤る宏美を押し宥める。


「私が呪術について知っていて、それが今回の調査に役に立つことも分かってたのに、隠していたのは事実だもの」

「でも――」

「それに後はデータと分析内容を報告書の書式に纏め直すだけなんだから、私がいなくっても大丈夫よ」

「そういう問題じゃないんです!」


宏美が不貞腐れてくれるのは、正直嬉しいと思ってしまう。早く戻ってきてくださいよ、という彼女へだから曖昧に頷きつつ、でもそれは難しいかもしれないとも考える。


もしも武蔵ヶ原調査を開始した段階で呪術のことを話していれば、調査は一週間程度で済んでいたはずだ。八人が携わる仕事を一ヶ月も延長させたのだから、単純に考えても【月給+α(社会保障費等の会社負担分) ×八人分】もの損害を与えたことになる。罰としての謹慎がそれなりの期間に及んでも、何ら不思議ではないだろう。さすがに、解雇されることはないと思いたいけれど……


手早く荷物を取り纏めてオフィスを後にした瑞穂は、沈みかけた思考を溜息と共に切り替える。


済んだことはもうやり直せない、そのことについては謹慎中に自宅でしっかり反省しよう。それより今は、今夜の約束――あの夜に交換したアドレスに、三人で食事しようというメールが昨日キーリからあったのだ。謹慎処分を言い渡された時にはどうしたものかと思ったが、処分の開始は明日からだから今日は行っても大丈夫ですよ、と玲冶さんも言ってくれた。

お店はイオが選んだそうだし、きっと今日も彼女は着物だろう。だとすると私もそれなりの格好をしたほうがいいのかしらと、自身の色気ないスーツを見下ろす瑞穂。わざわざこれから買うのもナンだし、去年買ったあのワンピースこっちに持ってきていたかしら、とコーディネートを組み立てながら――ふと思う。

どうして玲冶さんは、今日三人で集まることを知っていたんだろう。





 結局瑞穂が選択したのは、黒のロングパンツにグレーのカーディガンという落ち着いた感じの服装だった。引っ越し時に仕舞い込んでいたカーディガンを見付けだすのに手間取ったせいで、約束の時間には少々遅刻。いかにも庵美好みな小ぢんまりとした割烹店の暖簾をくぐり、仲居に庵美の名前を出す。


「私はあの夏端という上司の方がお似合いだと思いますが」

「いや、どう考えたってここは佐々野だって!」


 案内された個室には既に庵美と霧子、更に彼女たちの増幅器も揃っていた。


「確かに情熱は認めますが、佐々野さんは若すぎませんか? 夏端さんは仕事の出来そうなしっかりした殿方ですし、何より職場が同じでお互いのことをよく分かっていらっしゃいます」

「同じ仕事場でずっと働いているのに未だ同僚止まり、そんなんじゃきっとヘタレだぜ。それよりもっと若さと勢いでガーッと行く奴がミズホには……オウ、ミズホ。先に始めてるぜ!」

「私が遅れたんだからそれはいいんだけど――何の話してるのよ⁉」

「そりゃ、お前の色恋相手の論評」


 思わず声を荒げた瑞穂に、霧子は悪びれず焼酎のロックグラスを持ち上げて、


「私たちは二人とも、早売りをしてしまいましたから」


 同じく日本酒の猪口を翳した庵美が、色っぽく溜息を付く。


「でもいいよなー、イオミんとこはラブラブで。俺とコウなんて立場の違いから別居中で、最近じゃ顔合わす度に呪術使った大ゲンカだぜ」


 深刻度合と裏腹にあっさり述べられた夫婦事情に、瑞穂も机にイツデを載せつつ額を抑えて席に付き、


「まずそこらへんの事情、改めて伺っときたいんだけど――

 あ、私は生ビール、大ジョッキで」


 霧子にズイと詰め寄りがてら、飲み物を注文する。御通しの季節野菜の酢味噌和えで最初の一杯を空けながら霧子と庵美の近状を瑞穂が聞き出した頃には、先に注文していた料理もテーブルに運ばれてきた。


 庵美は『十三夜』事件の後も、術式の研鑽を続けていたそうだ。

 当時は知る由も無かったが彼女の家も呪術界隈とは関わりがあり、母親である弥嶽庵里の助力もあって中学に進学する頃には本格的な魔導研究にも着手。今ではそれなりに名の知られた高位の魔導師として、警魔庁にも魔具を卸している。その一方で私生活では、呪術界とは無関係の稔(みのる)という男性と十年以上の交際期間を経て三年前に入籍している(稔が三男だったこともあり、彼が旧家である弥嶽家に婿入りするという形はあっさりと受け入れられた)。高校時代の先輩だという彼とは、庵美の事件との向き合い方を巡って盛大にギクシャクしたことも何度かあったのだが、昨年長男であるのぶるが生まれてからは概ね円満な家庭を築けている。

 十九年前の事件時に同じ病院に運び込まれた霧子と甲次郎は、没交渉となった庵美や瑞穂とは異なって、その後も親交を保っていたという。

 中学卒業後は揃って警魔庁に就職し、その頃から交際も始めていた。自然と魔法少女系職員の中心となった二人は、霧子が十六になりと同時に結婚。十九になるころには長女である霧絵(ちなみに彼女は、今日は学校の友達の家にお泊りだという)も授かったのだが……甲次郎はその時期から、『打ち棄てられた魔術者連盟』に深く関わるようになっていた。当時は術者間の互助扶助組織だったそれは魔法少女系呪術者の増加と連動して過激化し、日本におけるリーダー格となった甲次郎は、警魔庁で『武田組』を率いる霧子(結婚で姓を町村に変えた彼女だが、変更の手間を嫌って仕事では旧姓で通している)とも仕事上では敵対関係となる。三年前の『一.一六事件』で『連盟』が各国呪術組織と断絶した際、行方を晦ませた甲次郎は、後は名を記入するだけの離婚届を彼女に残したのだが――


「当然、そんなもの破り捨ててやったぜ」


 二敗目の焼酎を飲み干した霧子が、ブスリとした顔で平目の薄造りを口に放り込む。立場の違い程度のことで別れてなんてやるもんかよ、と豪語する彼女に、庵美と瑞穂は顔を見合わせ、


「あまり重すぎる女は、嫌われると思いますが」

「同感だわ」

「って、じゃあテメーら人のこと言えんのかよ!」


 言い返された霧子の言葉に、目を逸らした二人は黙して鮎の塩焼きに箸を伸ばした。


 確かに庵美も、今の夫である稔との交際は常に順調だったわけではない。むしろ事があるたびに、絡まっている過去の鎖に引かれて迷走を繰り返した。世間一般の基準でいえば、十二分に面倒臭い女だという自覚くらいはある――もしも宣が生まれていなければ、甲次郎がやろうとした暴挙に手を染めていたのは自分だったかもしれないのだ。

 というかそもそも彼女たちに、重くも面倒臭くもない恋愛なんてできるわけがない。小学生で当事者となったあの事件は、三人の在り方をそれぞれ等しく捻じ曲げている。矯正しようのないその歪みは、きっと彼女たちの罪に対する罰の一つ。だから一生抱えていかなくてはならない問題であることは皆が承知していて、けれど――


「だからって、寄せられている想いを無視する言い訳にそれを使うのは、違うんじゃねーのって思うけどな?」

「そーそ、もっと言ってやんなさいよ」


 悪戯顔を浮かべた霧子に、瑞穂の増幅器が同意した。


「確かにコウさんの思惑を正確に推察できたミズホが、自分に向けられている好意にだけ無自覚というのは――」「違和感がある」


 あっさり霧子の味方に回った庵美に、タンも同調。四面楚歌に陥った瑞穂は追い詰められて、賀茂茄子の味噌田楽で口をもごもごとさせる。

 瑞穂も夏端が何かしらの想いを寄せていることは感じていたし、自分を監視していた男(佐々野という名前はいま知った)の視線にも任務以外の何かはあった。でもそれは恋とか愛なんて類のものであるはずがなくて、自分はそれを寄せられる資格なんて持っていないのだと、言い聞かせ目を背け続けてきた。確かにそれは、誤りだったのだろう。自分が逃げ出していたものにしっかり向き合ってきた二人を見れば、何となく分かる。でもやっぱり、それをしたり顔で糾弾されるのは気に入らない。だって、


「キーリもイオも、結局面白がっているだけじゃない!」

「ええ、そうですが」

「何か、問題でもあるか?」


 あっさり頷いた二人に目を丸くした瑞穂を、ブルがカカカと声を上げて嗤った。


「ですからここは、夏端さんと濃厚なオフィスラブを展開すべきだと思います」


 平日昼ごろに放送されるテレビドラマに多大な影響を受けているらしい庵美が身を乗り出して、


「ちなみに佐々野って祖父が警魔庁長官も務めた名家の長男だぜ。玉の輿だ、玉の輿!」


 警魔庁の事情に詳しい霧子が無責任に煽りたてる。


「っていっても結局大事なのは、本人の気持ちだろ。ミズホは佐々野と夏端ってやつのこと、それぞれどう思ってんだ?」

「そんなこと、急に言われても分からないわよ」


 からかい交じりに言うブルに、瑞穂は不貞腐れたように言った。


「これまで、考えたことも無かったし。逆に二人はどうだったの?」

「へ?」「どう、と言いますと……」

「交際や結婚を決めたきっかけとか、その時相手をどう思ってたとか」

「つっても俺と甲次郎の場合、ずっと一緒でなし崩しだったからなー。ま、俺もアイツと一緒に居たいって思えたからそうしたんだけど。イオの場合はどうだったんだ?」


あっさりとした応答の中にほんのりノロケを交え、さらりと水を庵美に向ける。色恋話における駆け引きに一番熟達しているのは、おそらくこの霧子だろう。


「え、私は……」


 対照的に、全く免疫が無さそうな庵美。それでも三合目の大吟醸を回らぬ口の潤滑油代わりに、たどたどしくも言葉を紡ぐ。


「私はずっと、事件のことを引き摺ったままでいたんです。中学生の頃には霊力炉の状態も理解して、だからそれを何とかしようと無茶したり、どうにもならないと思い知って自暴自棄になったりを繰り返していて――そんな私を、諭したり支えたり励ましたりしてくれたのが稔さんだったんです。だから私はあの人に返し切れないほどの恩義があって、なのに私はすぐそれを忘れて暴走を繰り返して、迷惑を掛けてばっかりで――」


 思い詰めて語るその様子は、小学生の頃の彼女とは真逆だ。いつも冷静でお淑やかな、名家のお嬢様。拙い言葉を懸命に重ねる今の彼女は当時と全く重ならなくて、でもなのに、どこかぴったり重なっているようにも感じられる。


「だけどあの人は、私とずっと一緒に居たいって言ってくれて。だから私もそれに答えなきゃと――いいえ、それに応えたいと思ったんです」


 それで交際して、結婚して、その合間にも沢山の失敗を繰り返したけど、だけどその度に彼は受け止めてくれた。恥ずかしそうに、でも少し嬉しそうに俯けた顔で庵美は言い添える。


「今回の霊力炉封印解除にしても私も思い付いていて、実行しようとしたことも三回ぐらいあったんです。だけどその度に、あの人が私を思い留まらせてくれたから……」


 初心(うぶ)いままで飾らずに吐露された彼女の胸中は、瑞穂の頬を赤く染め、


「……すっげーな、そいつ」


 霧絵に万感を吐き出させる。


「俺もそーゆー風に成れてたら、コウの奴があんな馬鹿やらかすのも防げてたのかな?」


 悔恨を交えたその呟きに、庵美は伏せていた顔を持ち上げた。


「いや、俺さ。コウの奴があんなことやらかしたのって、単純にあいつが馬鹿だからだって思おうとしてたんだよ。だけどイオの話を聞いていたら、俺も妻としてその馬鹿な夫を、もっと支えたりしてやらなくっちゃいけなかったのかな、て」

「コウさんは、いえ私もその気はあるのですが、端的に言えば子供なんだと思います――とっくに終わっている事件を、まだ覆せるはずだって駄々捏ねている。だからツベコベ言わせずガツンと殴って言うことを聞かせるというキーリさんの方法も、間違っていないとは思います」


 霧子が漏らした述懐へ、誠実丁寧に応える庵美。普段ならば同情は不要と一蹴するだろうその慰めに、だけど今の霧子は照れ臭そうに笑い、


「でもどんな事情があろうと、子供を放り出している時点でコウさんは父親失格です。霧絵さんのことも考えるなら、そんな男には早々に三行半を突き付けたほうがいい気もします」


 続けて述べられた辛辣な意見に、一転顔を渋くする。


「いや、それも、考えなかったわけじゃねーんだけど。つーかさっさと別れちゃえばとは、霧絵にもしょっちゅう言われてんだけど、」

「でも、まだ好きだと?」

「……うん」


 焼酎グラスを呷るように空け、ダメ親だよなーと嘆息する霧子。


「霧絵も俺に気を使ってか変にしっかりしてるからさ、ついついそこに甘えちまう……本来はこっちが甘えさせてやんなきゃいけないのにな」


 な、などと同意を求められても、色恋沙汰ならばまだともかく、娘に対する母の葛藤なんて瑞穂には想像の埒外だ。だから彼女が言えるのは霧子の娘についてではなく、夜に二回遭遇した魔法少女についての感想。


「しっかりしているっていうか、ちょうど大人ぶりたい年頃なんじゃない? ほら、私たちが魔法少女になったのも……っ、」

「そういえば、ちょうど今の霧絵さんと同じ歳でしたね」


 途中で口篭もった瑞穂を、庵美の弁が引き継いだ。

彼女たちが魔法少女となって、そして失敗した『武蔵ヶ原の十三夜』。三人に三様の残痕を刻み付けているその事件の思い出は部屋の空気を重くして、それでも霧子と庵美の二人はぎこちないながらも語らいを続ける。


「初めて霧絵さんを見たときは――あの頃のキーリそっくりで驚きました」

「アイツは気創闘衣も、俺のお古をそのまんま流用してるからな。まあブルが付いてりゃ霧絵にもそれなりの無茶はこなせるし……あんな事件は、もう起きねーだろうからって冒険にも目を瞑ってたんだが、今回のことを考えると、ちぃっと甘かったかもしれねーな」


 十九年前の過去の事件。それを二人はもう『過去』として語っていて、語り得る二人を瑞穂は羨む。


「……キーリとイオは、あれからもずっと呪術を続けてたんだよね」


 瞳を閉ざし、見えない振りしてやり過ごそうとした自分とは異なり、二人は事件から、呪術から目を逸らさなかった。霧子は呪術界の状況を少しでも改めるべく警魔庁に就職して、今もその中で頑張ってる。庵美は事件によって封印された霊力炉と、ひたすら向き合い続けている。だけどそれに比べて自分は、ただ呪術に背けて逃げ出して――


「それに比べて自分はー、とか考えてるんなら、怒るぜ」


 三杯目の焼酎を飲み干した霧子に瞳を覗き込まれ、誤って気管に入れたビールで瑞穂は盛大に咳き込んだ。


「そうやって卑下するなら俺だって、あの事件から目を背けたくて警魔庁の仕事に逃避してるだけだ」

「だったら私なんて、もうとっくに事件が終わっていることを認めずに、無意味に引き摺っている愚か者になりますね」


 町に被害を与えないで、しかも炉の中の人たちを元に戻すなんて空絵事を探そうとしているんですから、ある意味コウさんよりたちが悪いですよ、と微笑む庵美。


「そんなこと、ない――」

「ならお前だって、そんなことなくなるだろ」


 でも、とまだ納得しきらぬ瑞穂を、霧子は不満気に睨み付け――難しそうにした顔に、一転悪戯っぽい笑みを浮かべる。どー考えてもこっちの方が分は悪いんだし、これくらいのハンデは貰ったって構わねーよな、と小さく呟いて、


「じゃあよ、こんな席で無粋だけど、ちょっと仕事の話していいか」

「仕事って、霧子の?」

「ああ。今、俺が捜査班のトップ張ってるのは知ってんだろ?」


 椎茸の天ぷらをシャクリとやりつつ確認する霧子に、戸惑いつつも瑞穂が頷く。


「班の運用成績が良い感じだったんで、規模を拡大する話があるんだよ。今は班を第一から第五の分隊に分けてんだけど、もう二個分隊増やさないかって。で、新編する隊の通常班員はだいたい目星を付けたんだけど、隊を任せられる高位呪術者がなかなか見つからなくてさ――」


空けたロックグラスを右手の指先で揺らし、残されていた氷の奏でる音に載せて霧子は言う。


「ミズホ、やってみる気ないか?」

「え、それって……」

「うん、ヘッドハント」


 ミズホの呪術技量なら安心して分隊を預けられるから。そう言う霧子の言葉には一片の嘘偽りも無く、ただ返される答えへの期待をまぶした視線を瑞穂に向ける。

 彼女の誘いに頷けば呪術と真正面から向き合えて、しかも警魔庁の改善推進にさえ献身できるようになる。霧子と同じ立場に立てて、瑞穂が己を卑下しなければならない理由は何処にも無くなる。つまりその提案は彼女にとって凄く魅力的で――だから瑞穂は、どう断ればいいのか・・・・・・・・・を考えて、


「チェッ、やっぱり理絵さんの言う通り、駄目だったか」


 その思考を自覚するより前に、惜しみつつも満足そうに霧子が肩を竦めた。


「やっぱりって、どういう……」


 あーあ、とわざとらしく残念がる霧子と、見透かすような澄まし顔の庵美――二人を交互に見遣りつつ、瑞穂はようやく自分の想いと置かれた状況を理解する。


 つまりそれは、単純に優先順位の問題だったのだ。

 十九年前のあの事件は瑞穂の中にしこりを作り、だから彼女は呪術に関する諸々と向き合わなくてはと思うようになった。でもその後の、呪術と関わらない十九年の歳月だって、色んなことを経験させて沢山の思いを抱かせたという点では事件となんら変わらない。それらを積み重ねた結果、今の瑞穂はずっと昔の事件より、六年以上勤め続けた汐瑠間調査研究所での諸々に重きを置くようになっていて、だから研究所から警魔庁への転職をしたくないって思った。それは彼女が彼女なりに考えて、前へと進めている確かな証で――ただその悉くを、霧子と庵美が予想していたようなのは、


「………………つまり、もしかしなくても、また理絵さんなわけね」

「うん、まあそーいうこと。で、コレ、俺の勧誘が失敗したら渡すようにって頼まれてたんで」


 つーか失敗するだろうって確信されてたんだけど、と苦笑しつつ霧子が差し出す二枚の紙。

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