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 黒のワンピースを模した気創闘衣に身を包んだ少女、町村霧絵は怒っていた。

当たり前だった。偽りの待ち合わせ時間を教えられ、それがおかしいことに気付いてミナ姉と急行した廃工場には、大好きな母を置き去りにしてどこかに行った・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・実父・・がのうのう顔で居たのだから。

 間髪入れずに容赦なく、二発目の光弾を撃ち放つ。真っ直ぐ甲次郎に向かったそれは、彼が右手で展開した障壁に炸裂する。爆ぜた輝きが収斂し、その向こうに見えた無傷の父親に、霧絵は奥歯を軋ませた。


「霧絵、ですか」


 攻撃者に目を向けた甲次郎が、若干の戸惑いと共に言う。


「そうよ!」「……大きくなりましたね」「ふざけないで!」


激昂した霧絵が、三発、四発、五発目を続けざまに撃つ。美那と彼女の管狐たちのサポートを受けているために、憑獣を一撃で霧散させるような高威力でも連射が可能なのだ。とはいえ発生した爆発に見え隠れする甲次郎には、効果があるようには思えない。取り込んだ憑獣の力を利用して、分厚い多重障壁を展開しているのだ。防がれた光弾の余波を厭ってか、術式特化の着物型と高速機動なスウェットスーツ型、二つの気創闘衣が甲次郎の傍から離脱した。


「き、霧絵さん、ブルさん! 下に!」


 霧絵の支援に徹していた美那が、クレーン根元にも現われた憑獣に悲鳴を上げる。


「美那からの術力供給も限界だ、いったん降りるぞ」

「分かった!」


 ブルの指示に頷いて、霧絵は美那の支援を受けての遠距離攻撃を中止。光弾強化から解放された管狐たちが眼下の憑獣を牽制する隙に、身体強化した両腕で美那を抱えて跳躍する。


「へ? ひゃっ、きゃぃ!」「こ、この馬鹿美那、暴れんな!」「ちょっとブルも、落ち着いて!」


 ホップ・ステップで辿り着いた廃棄コンテナの上で、美那を抱え直しブルをかぶり直し。改めてジャンプした霧絵は、着物型闘衣の女性と合流する。


「庵美さん――十時半に校門で待ち合わせだなんて、あのメール出鱈目じゃないですか!」


 抜け駆けして事件の首謀者と対峙していた庵美に、霧絵はイーと歯を剥いた。


「……それは」


 俯く庵美。だが彼女が気まずそうにしている理由は、嘘を付いたのとはまた別のことだ。


「ごめんなさい。でも霧絵さんは――」


 言い詰まる庵美が考えていることをだいたい理解して、霧絵はハァと溜息を付いた。

 多分この憑獣事件の首謀者が甲次郎であることを知って、実の父親の悪行を……、とかなんとか気を使ってくれちゃったんだろう。


「もーいいですし、大丈夫です。確かに血縁上では父ですけど、私はアレのことなんて別に何とも思ってませんから」


 プィと不貞腐れたように、そっぽを向く。それが彼女なりの感謝表現だと理解している美那とブルが、顔を見合わせて――


「父親ってコウさんが⁉ それに、やっぱりブル!」


 庵美と一緒にいたスウェットスーツ型闘衣の女性が声を上げる。


「おう、瑞穂か。十九年ぶりだな」

「なーに言ってんのよ、ブルったら。一昨日おとといも会ってるじゃないの」


 白々しく言う霧絵のキャスケット帽に、瑞穂の右手手袋が突っ込みを入れる。


「ってことは彼女の両親って、」「想像通りだ」「父親はコウさんで、母親は……」


 ストールと彼を首に巻いている庵美が瑞穂の問いに答え掛け、


一昨日おととい……あっ!」


 瑞穂の顔を覗き込んだ霧絵が息を呑む。

 そう、何処かで見たことがあると思ったら、瑞穂は一昨日おとといの夜、憑獣が顕在化した住宅地に居た女性。その時霧絵は彼女に無警告で光弾を撃ち掛けて、美那に至っては強化した管狐の口牙で噛み砕こうとした。


「あ、あの一昨日おとといは!」「いきなり襲って御免なさい!」

「え? ああ、いいのよ別に。あの時は両方ともいきなりで混乱してたんだし」


 大慌てで恐縮する瑞穂と美那に、あっさり首を振る瑞穂。余裕ある大人の女性を装おうとして、


「それに、そっちの男の人も……」「男の人?」


 続けられた二人の謝罪に振り返った瑞穂は、ようやく追いついた佐々野浩二に目を見開いて、


「……やあ」


――続いて現われた夏端玲冶に、完全に硬直した。


「いや、ちょっと待って

……ちょっと待って、ちょっと待って、待って、まって、マテ、ちょっと待って!」


予想外で埒外で、ホンニャカワカミョな展開に、完全無防備に狼狽える。頭を押さえ、眉間を揉んで、繕えていない平静をそれでも必死に取り繕う。

夏端に素地を晒す瑞穂に、佐々野が面白くなさそうな顔をした。


「うん、警魔庁の人が出てくるのは分かるわよ。というか事件が起こってるんなら、本来いるのが当然だし。でもだけど、いやホント一体なんで、玲冶さんが出て来るの⁉」

「ちなみに、僕だけではないよ」「へ⁉」

「ミズさん! その服、ボディーラインがしっかり出てて凄くセクシーです!」


 直奈たちと共に現われた宏美が、グッと拳を握りしめる。確かに、空気抵抗が考慮されてタイトな瑞穂の気創闘衣は、均整の取れた彼女の肢体を闇夜に仄かに浮かばせていた。


「今、調査研究所の仕事として警魔庁に協力してんだよ」


 最後に合流した苅野郁人が、辺りを神経質そうに見回しながら言う。


「オフィスの方にも、警魔庁連中が詰めているぜ」

「な、なんでそんなことになっているの?」「昨日偶然、憑獣に遭遇してね」


 混乱抜けきれぬ瑞穂の問いに、夏端が答える。


「憑獣を追ってきた警魔庁の人とも行き会って、それで一緒に捜査することになったんだ」

「『それで』の前後で、飛躍があり過ぎな気がするんだけど?」

「それは、まあほら――理絵さんだから」

「ああ、何となく分かったわ――理絵さんだからね」


 夏端の言葉に、頷く瑞穂。周囲で聞いていた人々も、理絵に遭ったことのある者は残らず諦め顔を表している。夏端は『一緒に捜査』と言ったが、既に彼女が捜査を取り仕切っていても何らおかしくないと思われた。


「それはそれとして、どうするのですか」


取り敢えずの結界を周囲に張りつつ、集まった者たちに直奈が問う。


「囲まれているのですよ」


 彼女の言葉通り、周囲をざっと見回すだけで十数体の憑獣が確認できる。理絵たちからの連絡によれば、数は増える一方のはず――それを伝えられた庵美が、首元のストールを強く握る。


「霊力炉封印解除の魔方陣は破壊しました。ですがコウさんは、右手の術式に憑獣を直接取り込むことで、それを代替するつもりです」

「つまりコッチが守勢に回れば、その隙に封印を解かれちまうってわけっすか? なら直ぐに、全員で攻撃を――」「呪術者でない調査研究所の方々を放り出してですか?」


 猪突猛進な切継の意見を、直奈がたしなめる。


「私はこの結界を維持しなければいけないので、昨夜のような面倒は見れないのですよ」

「でもこのまま憑獣の相手をしていたら、じり貧よ」


 結界の外で展開されている光景を一瞥し、瑞穂は首を横に振った。

美那の管狐や霧絵の光弾に掻き乱され、庵美の幻獣で抑え込まれる憑獣。佐々野の呪唱で起動した式が、それらを容易に屠り去る。けれどそれらは焼け石に水で、憑獣の増加ペースには追いつけていない。直奈の結界へ憑獣がまだ殺到していないのが、甲次郎の右手術式に喰らわれているせいだというのは皮肉にしか思えなかった。


「確かにこのままでは、埒があきません――守備と攻撃の二手に分かれましょう」


 瑞穂の意見に同意して、佐々野が言う。研究所所員を守るのに必要な最低人数だけを残し、それ以外の総力で甲次郎を確保、それが無理なら解印用術式だけでも破壊する、というのが彼の建策だ。防御結界を展開している直奈は所員たちの守備役に回り、


「攻撃側は危険ですので、美那さんと霧絵さんも直奈と一緒に残ってください」


 そして攻撃側に入るのは、と、思考を弁じる佐々野だが――霧絵の性格を考慮するなら、それは明らかな失策だった。

 佐々野が美那と霧絵を「守備側」としたのは、戦力的な判断ではなかった。一昨日おととい瑞穂にされた叱責を想起してか、あるいは彼自身がそうすべきと感じてか、ともかく二人を「守るべき子供」と規定してのことだった。しかも佐々野は、その判断理由までをも正直に口に出した。首謀者が父だという理由で庵美に気遣わせてしまったと既にストレスを溜めていた霧絵にとって、彼の物言いは暴発の引き金となるのに十分なものだった。


「危険なくらい、へっちゃらです!」「え……あぁ、いや、」


 瑞穂の激昂に戸惑う佐々野。過ちを自覚した彼の慌てて取り繕おうとする態度が、瑞穂の暴走を更に加速させる。


「それとも相手が父親だから、裏切るかもしれないって心配してるんですか!」

「いや、そんなことは、」「オイ、キリエちょっと落ち着け!」

「だったらいいです。私でも――私一人でもちゃんとできるって証明してみせます!」

「いや、だからオイ馬鹿! マジで止せ、このマヌケ!」「き、霧絵さん!」


 ブルや美那の制止さえ聞かず、子供らしい真っ直ぐな融通の効かなさで突っ走る。本当になんでこんな馬鹿を、と自分の中の冷静な部分が告げるが、聞こえなかったふりをして憑獣たちに突撃する。今ここで退いたら、私が全部私じゃなくなっちゃうような気がして。そんなあやふやでつまらない、でも子供にとっては何より大事な意地を必死になって張り続けようとして――だけど勿論そんなモノ、無防備に突出してきた魔法少女を前にした憑獣には通じない。

 たちまち退路を塞がれた霧絵の気創闘衣コントロール権を、ブルが緊急奪取。ロールを打って死角から剥かれた憑獣の牙を躱す。霧絵の余力を完全に無視して、熊のような化け物の腹に全力の光弾をぶちかます。直奈の結界へ戻る道へ霧絵を強引に捩じり込もうとして――蜥蜴のような憑獣の尻尾に左足を捕らわれる。

 地に墜ち、転がり止まった霧絵へと殺到する憑獣たち。耳元に迫るその唸り声に、ああやっぱり、あんな馬鹿なこと止めておけばよかったと、今更ながら霧絵は思う。見上げた狒々型の鉤状の爪に思わず目を閉じた彼女は――憑獣たちのざわめきよりも大きなバイクの爆音と共に、


「撃てぃ!」


 よく聞き慣れた声を聞いた気がした。

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