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 霊力炉封印解除のための魔方陣を久間瑞穂が破壊したことは、武蔵ヶ原全域にも影響を与えていた。右手に仕込んでいた術式に魔方陣機能を代替させるに当たり、甲次郎は術式本来の機能を一部削ぎ落したためだ。憑獣制御能力の限定化・指示の簡易化に伴って、宿主の中に潜っていた憑獣が一斉に顕在化する。甲次郎が一年以上かけて武蔵ヶ原中に仕込んだその数は、おおよそ百あまりにも昇った。

 警魔庁職員たちが昨日今日で町中に設置していた計器が、顕在化に伴う霊素の乱れを感知する。電気信号に変換された情報が、汐瑠間調査研究所第四調査チームが借りているオフィスへと伝達される。俄かに慌ただしさを増したその部屋で、理絵の携帯が音を立てた。


「もしもし、宏美? うん了解、ちょっと待って――聞こえてる?」


 電話を取った理絵が視線だけで命じた指示に、警魔庁捜査員たちと情報を整理していた奈織が頷く。彼女によってマイクとスピーカーに接続された電話機は、持ち手の声音だけでなく周囲の音も伝達する。


『はい。こっちの音も聞こえますか?』

 スピーカーから、宏美の声に紛れるように爆発音が漏れ聞こえた。


「もう、霊素反応の有った場所には到着したの?」

『近くまでは来てます、町村甲次郎の姿も確認できました』

「ってことは、やっぱりその場所が本命かしら」

「あと、ミズさんも予想していた通りのことしてるみたいです。

 遠目に見た感じですけど、ミズさんと『魔女』さんって人が協力して、町村甲次郎と戦ってて……』

「やっぱりかー、あの馬鹿は。そうだ! 切継さんとか警魔庁の人たちって、もうそこに突撃しちゃった?」

『いえ、まだここにいるのです』『正直、突っ込むタイミングを掴めないでいただけっすけど』

「よかった、さっきこっちで霊素反応に動きがあったから知らせておくわね。現在、武蔵ヶ原全域で憑獣の顕在化が発生中――かくれんぼにはもう飽きたみたいよ」

『いまさら、陽動のつもりでしょうか』

「ちなみに数は、おおよそ百」

『『『はぁ⁉』』』


 スピーカーの向こうから、警魔庁職員たちの驚愕の声が折り重なる。やはり呪術知識に基づけば、これは異常な事態らしい。


「蘆北さんには連絡したけど正直焼け石に水よ。だからそっちの状況とも合わせて相談を――」

「いや、こりゃ必要ねえかもしれねえな」


 霊素反応を記入した地図を覗き込んでいた田込が、理絵を遮った。


「これを見る限り、顕在化した憑獣はお前らがいる廃工場に向かってるぜ」


 奈織のパソコンに表示された地図を示す。霊素反応が発生した場所を示す白線を延長すると、確かにその交点は旧工業団地のD‐2ブロック付近に集中する。


『こちらでも確認いたしました。まだ二体ですが、団地内に憑獣が入り込んでいます』

『あ、あっちにも一体いるみたいっす』


 佐々野と切継の声が、スピーカーが振わせる。つまり甲次郎が憑獣を呼び寄せたということか。

 さすがにここまでくれば、呪術に素人の理絵であっても彼の目的は予想できる。大量に顕在化した憑獣を使用した何らかの方法で、霊力炉の封印を解除するつもりなのだ。

 敵の位置は判明した。さあいよいよ、ここからが正念場ということだ。手元にあったマグカップを掴み、冷めた中身を一気に呷る。


「佳津子さん、これって――佳津子さん?」


 無反応に振り返った理絵は、自身の携帯で余所と話している佳津子の渋面を発見した。

 一瞬眉を顰めた理絵だが、直ぐに頭を切り替える。この状態で、佳津子が電話口で応じなければならない相手――警魔庁の本庁からでも連絡があったのか? 足ツボを押されているような彼女の表情からは、受けている知らせが良いものなのか悪いものなのかは分からない。


「とりあえず、憑獣の数はもっと増えていくはずよ。甲次郎の指示を受けて襲ってくる可能性もあるから気を付けて」

『了解っす! 今直奈さんが簡易結界を張ってるんで、研究所員の方はその中に――って、佐々野さん!』「どうしたの⁉」


 突如緊迫した切継に、理絵が思わずスピーカーを掴む。思わぬ彼女の狼狽えに、電話を切り上げていた佳津子はその報告を後に廻すが、


『今、佐々野さんが憑獣の方に――』『って玲冶さん⁉ あんたまで!』

「新たに大きな霊素反応! 場所は旧工業団地のD‐2ブロック付近、憑獣の物とは異なります!」


 スピーカーからの音声に、計器を覗き込んでいた警魔庁捜査員の劈き声が重なって、オフィスは完全に混沌と化した。

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