5

「コウさんに協力する振りをして、あの魔方陣を破壊できるタイミングをずっと窺っていたわけですか」


 瑞穂の事情を聞いた庵美が、感心半分、呆れ半分で息を吐く。


「相変わらずです。そんな一人で抱えずとも、警魔庁か誰かに連絡すればとも思いますが――」

「イオには、言われたくないわ」


『私に連絡すれば』とは言えない庵美の葛藤を洞察し、瑞穂は彼女に微笑み返した。

 瑞穂の思わぬ反論に、庵美は言葉を詰まらせる。

 自身の抱え込みがちな性格が全く進歩していないことは、彼女にも自覚がある――なにしろ小学生のころに巻き込まれた事件の顛末で自分を責め続け、同じ境遇の者たちと顔を合わせることすら今の今まで忌諱していたのだから。

 十九年ぶりに会った友人を拗ねたように睨み付けて、溜息を付いた庵美は視線を甲次郎に移す。


「コウさん。もう、止めにしませんか」

「できませんよ」


 降伏勧告の意も込めた庵美の二度目の提案に、けれど甲次郎は一度目と同じく首を横に振る。


「できません、今更。それに止める理由も無い」

「続ける理由の方が、無いのでは? 魔方陣が壊された今、コウさんに霊力炉の封印を解除する手段は――」「有りますよ、手段なら」


 庵美の言葉を遮って、甲次郎が右手を翳す。其処に刻まれている憑獣制御用術式が、暗闇の中に在ってすら赤黒く深い色彩を放つ。


「十九年前の、あの事件。霊力炉が暴走した最終局面で、わたしは何にもできなかった。早々に重傷を負ってしまったせいで、ただあなたたちの奮闘を眺めていることしかできなかった」


 振るった右手で紋を描き、唱えた呪言に重ね合わせる。

 刻み縛られていた術式が反転し、その構造を捻じ曲げる。

 周囲に展開していた憑獣たちが彼へと跳躍し――


「あの時のことを反省して、重要なものについては常に予備を用意しておくようにしているんです」


 牙を剥いた六体全てを、甲次郎の右手はただ一薙ぎで打ち払う。

 霧散した憑獣の存在を喰らい尽くした術式は、先ほど瑞穂が破壊した魔方陣と同質のものへ変容した。


「あと三十体ほど憑獣を喰らえば、封印を破るのに十分な力を得られます」


 だからわたしが止める理由は何処にも存在しないんですと、静かに微笑む甲次郎は瑞穂の方に振り返る。


「……騙してたことなら、謝らないわよ」

「私も警魔庁捜査員だと身分を偽っていたのですから、その点についてはおあいこです」


 尻込み気味の瑞穂に対し、甲次郎の口調はそれまでから少しも崩れない。


「正直に言いましょう。霊力炉の封印解除は、武蔵ヶ原に被害をもたらします。

 それはもしかしたら、十九年前の『地震とガス爆発』より更に酷いものかもしれない。

 でもそれで、兄さんや炉に取り込まれている人々を解放できるのも本当です」


 彼の言葉に、嘘はない。以前全く同じことを行おうとしていた庵美には、彼の考えている事さえも手に取るように理解できる。唇を噛み締めた庵美は、憑獣を原型とする幻獣たちを、術式に捕食されないように下がらせる。


「わたしは、兄さんを救いたい

 ――たとえ武蔵ヶ原を犠牲にしても。手伝って、もらえないでしょうか」


 彼の真っ直ぐな眼差しは、喫茶店で再会した昨日とも、どころか十九年前のあの夜からも微塵も変わっていない。

 懐かしく思えるはずのそれが何故か悲しくて、だから瑞穂は彼に問う。


「どうして、昨日はそう言わなかったの?」

「……多分、怖かったんだと思います」

兄を救うという目的を、拒否されることが。

『博士』が常に第一だった瑞穂の変化を、認めるのが。


 そういう甲次郎は本当にどこまでも真っ直ぐで、中学生だった十九年前と少しも変わらず純粋だ。

 多分自分もあの頃は、同じだったのだと瑞穂は思う。『兄さん』『博士』『町村剛平太』。当時の自分は彼が大好きで、他の何より大事だった。どんな大きな犠牲でも、彼の為なら許容できた。でも今は、もう違うから。他にも大切なものは沢山出来てしまったから――瑞穂は、甲次郎の懸念を肯定する。


「ごめんなさい――協力はできないわ」

「そうですか、残念です」


 どこかさびしそうに頷いた甲次郎は右手の術式に何かを唱え、取り込んだ憑獣六体分の力を露わにさせる。二人の決裂を改めて認識し、庵美は幻獣のうち一匹を瑞穂のサポートに回り込ませる。甲次郎の術式が戦闘態勢を型取って、対峙する瑞穂も姿勢を低く身構える。


 三者が対峙する夜の大気を、何処からか響く自動二輪エンジンの待機音が僅かに揺らした。

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