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「なんだかんだ言って、霧絵ってお母さんっ子よねー」
「は? 何言ってんのよ!」
下校途中、クラスメイトである
「私は霧子のことなんて、何とも思ってないんだからね!」
「おお、ツンデレだ!」「ツンデレだ」
二人の一歩前を歩いていた
「何がおかしいのよ!」
頭にかぶったキャスケット帽を右手でクシャリと押さえた霧絵が、純也の脛を蹴りつける。
「うぉっ、あっぶね!」
「二人とも、クルマ来るよー」
バックステップで躱す純也とそれを追い駆ける霧絵、車道へ飛び出した二人に葵が呼びかけた。
小学校五年生の葵と純也は、親同士が学生時代からの知り合いだという幼馴染。対する霧絵は二年前、小学三年生の時に転校してきた新参者だ。席が隣になった葵と仲良くなった彼女は、いつのまにやら純也とも喧嘩友達と呼べる関係を築いている。今日のように三人で一緒に下校することも、決して珍しくはない。
「だって霧絵が料理の練習してるの、霧子さんの為なんでしょ?」
「それは……あれよ。うん、そう、霧子がそういうの全然だめだから」
「でも肝心の霧子さんは、今日も仕事で帰ってこないんだろ? 冷てーのな、母親なのに」
「そ、そんなことないもん!」
純也が叩く憎まれ口に、思わず声を荒げる霧絵。
「霧子は、お仕事が大変なだけなんだもん」
「なーんだ。やっぱり霧子さんのこと、ちゃんと好きなんじゃん」
葵と顔を見合わせた純也が、悪戯小僧の笑みを浮かべる。からかわれたと気付いた霧絵が顔を赤らめて、それをプイと背けようとする彼女のランドセルに葵が押し乗った。
「愛いヤツめー」
純也の家がやっている柔道道場の門下生である葵は、一見こそおっとり系ながら体幹バランスも整っている。虚を突かれた霧絵では碌に抵抗できぬまま、掴まれた頬をフニュフニュされる。もちろん術式で身体強化すれば脱出は容易だが、母の『仕事』や呪術のことを話せていない後ろめたさが霧絵にそれを許さない。されるが儘の彼女の頭部へも葵は右手を伸ばし、ワシャと撫でつけられた帽子が思わず声を漏らす。首を傾げた葵と純也を、霧絵は笑って誤魔化した。
「でも霧絵のところの親子関係って、結構独特だよな」
葵の襟首を掴んだ純也が、彼女を霧絵から引き剥がしつつ話も戻す。
「母親のことも名前で呼び捨てだし」
「たしかに親子っていうよりも、歳の離れた姉妹っぽい感じ?」
会話でこそ純也に同調しつつ、未練がましく霧絵のランドセルを掴もうとする葵。その右手を、純也は慣れた風にペチリと叩き落とす。
「霧子さんの方でも、霧子に世話してもらってるって感じがあったしさ」
「あ、つまりヤクザ亭主とそれに尽くすダメ女の関係なのね」
「なるほど、それだ!」
じゃれ合いは続けつつ、言葉では好き勝手に霧絵を論評する二人。そのあんまりな言いように眉を顰めた霧絵は、
「しょうがないじゃない、霧子は私がいないと駄目なんだから――って、何言わせんのよ!」
二人に応じてノリツッコミ――した、だけのつもりだったのだが、無意識に浮かべられていた彼女の満更でもない表情に、葵と純也は顔を見合わせた。
「おまえ……マジで将来ヘンな男に引っ掛からないよう気をつけろよ」
「な、なによそれー!」
抗議の声を上げる霧絵。いくらなんでも失礼だし、あとブル、耳元でそっと吹き出すな!
「だって本当に心配なんだもの」
憮然としようとした霧絵だが、本気で気遣う葵に目を合わせられて狼狽える。
やっぱりこの二人の前では、私はどうにも調子が狂う。相手がもっと年上だったらもっと大人っぽく振舞えるのに――そうたとえば、昨夜美那といた時は、
「最近じゃ美那って年上の人と親しくしているみたいだし」
ちょうど考えていた名前を葵に述べられて、思わず霧絵は咳き込んだ。
「美那さんって……霧絵の近所に住んでる年上のお姉さんだっけ?」
「うん。だから霧子さんが出かけてるならウチに泊まってかない? って言っても最近は断られてばっかりで」
憂い顔を型作った葵は溜息の拍子でリズムを取って、一転ヨヨヨと泣き崩れる。純也も心得たもので、大仰に倒れ込もうとする彼女をヒシと抱き止めた。
「きっと私、霧絵に捨てられちゃったんだわ!」
「何だって、君のような人がありながら?」
「ううん、私なんかより。霧絵にはああいった人のほうが相応しいのよ!」
「諦めるな! 話せばきっと、彼女も君の素晴らしさを分かってくれるさ!」
やっぱりこの二人の間には、時々割って入れないような空気がある。とはいえ別に入りたいとも思わないので、霧絵は寸劇に溜息を付き、
「だーかーら、ミナ姉とはそういうんじゃないって……」
「騙されてる人は、みんなそう言うんです!」
ぴしゃりと撥ね付けた葵の声を皮切りに、二人も一転、素に戻る。
「そういやその美那さんって、今日の体育の時に金網から覗いてた人だっけ?」
「あの人は違うわよ。ミナ姉は中学生だし――」
二人の切り替えの早さに、感心しつつ答える霧絵。
「それになにより、もっと全然頼りない感じだし」
そういえばまだ会ったことなかったっけという彼女に、純也は一瞬考えて、
「それよりさ。じゃあ結局、体育を見てたあの人は誰なんだよ」
「あ、あの人は昨日知り合った庵美さん。乳母車の中にいた赤ちゃんが、宣って名前ですごくかわいいの」
新たに出てきた年上女性の名に、葵と純也は再び顔を見合わせた。
また別の女なのねー、と冗談めかしつつ、それでも葵の心は本気でざわめき立つ。どうどうと彼女を宥めつつ、面白くないのは純也も同じだ。
ここ最近、放課後の付き合いが悪くなった霧絵。訝しんで聞き出せば、なんでも近所のお姉さんとの約束があるという。学校や習い事以外で年上の人と知り合う機会なんて、純也や葵には全然ないのに――凄いなーって悔しがってたら、今度の人もやっぱり年上で、しかも子供までいる大人の女性! 自分たちのどんどん先へ彼女は行っているようで、なんかモヤモヤして気に入らない。羨ましくて寂しくて、だから葵が不安気に差し出した右手へ、純也は自然と左手を絡める。
純也に繋いでもらった手。それをギュっと握った葵は彼の体温を感じ取り、勇気まで分けてもらった気がして真っ直ぐ霧絵に向かう。さっきみたく冗談めかして茶化し誤魔化すんじゃなく、正面切って彼女を見る。自分と純也の、共通の友達。それが余所に盗られちゃうのはとっても気に入らなくて、でもこのまま有耶無耶にしちゃうのはもっともっと嫌だから、葵は彼女に問い掛ける。
「その美那さんや庵美さんと、私と純也。霧絵にはどっちが大事なの?」
「ふぇ?」「モテモテだなあ、オイ!」
葵の何時に無い剣幕に気圧された霧絵へ、完全に面白がっている口調でブルが囁いた。
「え、えーと、どっちがって……」
いや、だってそんな、いったい何を言い出すんだろう、この人は! 葵の行動はいつだって霧絵の予想を軽々超えて、その突拍子の無さもまた彼女の魅力だと考えている霧絵でも、こういう時はとっても困る。どう応じるべきなのか分からずに、しかも助けを求めようとした純也までが彼女と同じく私を見てる。
だって――どっち? 葵や純也と、ミナ姉や庵美さんの。そりゃ最近は憑獣とかで大変で、葵たちとはあんまり遊べてなかったけど、でもそれで彼女たちが大切じゃなくなったわけでは全然ない。だけどやっぱりミナ姉は私がいなくっちゃ駄目で、それに昨日会った庵美さんは凄い綺麗で格好良かった。だから片方がもう一方より先だなんて並べることはしたくないし出来ないし、というかそもそも、なんでどっちか選ばなくっちゃいけないのよ!
「私には、両方とも大事よ!」
子供特有の、自分勝手で理不尽な思考。あるいは単純に考え飽きて、霧絵は葵の質問そのものを蹴っ飛ばす。まるで獣の喧嘩のように目力を込めて葵を睨め付け、そのままノリと勢いだけで押し切ろうとした霧絵は、
「でもお前、何か隠してねぇ?」
葵と同じく怯んだ純也が苦し紛れに差し入れた言葉に、蹴り躓いた。
「あれ、図星?」
そりゃまあ、母さんの職業とか呪術とか憑獣とかブルとか、二人に秘密にしていることは諸々あるわけで。しかも秘密にしていた深刻な理由も別にないということが、逆に霧絵を怯ませる。初めは信じてもらえるかちょっと不安で、何となく言い出しにくくって、でもそのまま仲良くなっちゃうと改めて言うのも何だか恥ずかしくて、それにあと、ちょっと面倒くさくもあって。ああでもこんなふうになるんなら、さっさと話しておいたほうがよかったかもと後悔した霧絵は、
「何を隠してるの?」
「――教えない」
葵の言葉に、脊髄反射で首を振る。
「……どうして」「なんか嫌だから」「何で嫌なの」「だから秘密」「教えられないの?」「教えたくないの」「どうしてよ」「秘密だってば」
言っちゃいけないわけじゃないけど、でもこんな成り行きで言うのはなんか嫌で。そんな漠とした霧絵の拒否は、聞き出そうとする葵によって次第に強固なものとなる。こうなったらもう、何が何でも絶対に教えてなるものかと、凝り固まりかけたその気持ちを、
「まぁ、いいんじゃん?」
いい加減にも聞こえる純也の声が、解きほぐす。
「教えられないんじゃないんなら、そのうちには教えてはくれるんだろ?」
「それは……まあ」
「だったら葵もあんま言わないで、それまでちょっと我慢しろよな」
「……純也が、そう言うんなら」
「ちなみにその秘密って、さっきの庵美さんやミナ姉って人とも関係あんの?」
偶然かもしれないけど、今日の純也はなんだかとっても勘が鋭い。思い掛けなく言い当てられて、霧絵の視線は携帯の入ったスカートポケットに向かう。
『件名:今夜の集合時刻
本文:憑獣の原因が分かりました。午後十時半に武原小学校の校門前で集まりましょう。
追伸 私と合流するまでは、憑獣が顕在化しても手出しを控えてください』
体育の時間の後で、庵美さんから私とミナ姉宛てに送られていたメール。それを思った一瞥が純也の問いへの肯定だと、理解できるくらいには葵も霧絵の友達だ。
「えっと、その……」
「いいわよー、別に今教えてくれなくてもさ」
言い淀む霧絵に、葵は純也と繋いでいない左手をヒラヒラと振って、
「でも――後でちゃんと、その二人にも合わせなさいよねー」
その手で霧絵の右頬を軽く掴んで言う。
「――うん!」
顔を綻ばせて、頷く霧絵。そこに葵がじゃれ付いて、そのまま二人で歩道を駆けだす。うっかり出遅れた純也は、慌てて彼女たちを追い駆けながら安堵の息を吐いた。
純也を安心させたのは、霧絵が示した依怙地な態度。『ミナ姉・庵美さん』という年上の人と親交を結んでいる彼女はどんどん大人になっているようで。自分たちが彼女に置いていかれたような気がしていた純也にとって、霧絵が見せた子供っぽい振る舞いはホッとさせるものだったのだ。
もちろん純也本人は、そんな自身の心の機微には気付かずに、葵と霧絵が喧嘩せずに済んだ事を安心したのだと思っていた。
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