3

「十九年前の震災が、『武蔵ヶ原の十三夜』っていう呪術事件で?」

「その時の霊力炉暴走の、影響がまだ今現在も残ってる?」


 光澤こよみと光澤こよりが、混乱気味に声を上げる。


「だから霊素濃度とかいうやつが高いまんまで、呪術現象が頻発して――」


 それが武蔵ヶ原で頻発してる事故の原因かよ、と苅野郁人が天井を仰いだ。


 汐瑠間調査研究所・第四チームで昨夜の憑獣騒ぎに居合わせなかったのが、今日も休みの久間瑞穂とこの三人だ。呪術や憑獣に関する御乃津直奈の説明を早々に事態を受け入れた郁人に対し、光澤姉妹は未だ半信半疑の顔を見合わせている。


「直ぐに信じられないならそれでもいいから、信じたと仮定して思考しなさい」

「なるほど、つまり思考実験として捉えればいいのか」


 汐瑠間理絵のアドバイスにこよみが頷き、けれど首を捻った郁人が疑問を呈する。


「でもよ。んなこといきなり聞かされて、いったいオレたちに何が出来るんだ?」

「ええ、その点は私も疑問でして――」

「武蔵ヶ原で実際に起こっている事象については、以前から調査している研究所の方が警魔庁より詳しいのです」


 警魔庁側のトップである蘆北賢蒔が挟もうとした口を、遮って直奈が答える。気勢を削がれた蘆北が直奈のことを睨み付け――彼の挙動、及びそれに対する他の警魔庁捜査員の反応を、調査研究所側のトップである理絵は余さず観察する。


「必要な呪術知識についてはこちらから提供します。事件捜査について、協力願えないでしょうか」


 あくまでも下手に出る直奈に自尊心を刺激されたのか、郁人が小さく頷いて。直奈の横に座っている古樫切継は彼を牽制するように軽く睨んだ。

 郁人以外の研究所所員も、各々でやる気を示すような素振りを垣間見せる。彼らを見回した夏端玲冶は、最後に置いた一瞥で理絵の意志を確認し、


「呪術なんて未知の存在が関わっている以上、研究所だけで建設計画の調査・評価報告を作成するのは困難だよ」

「なら、研究所としても警魔庁さんに協力するのは吝かじゃなさそうね」


 上唇を微かに舐めた理絵が、夏端の言葉を引き継いだ。


「警魔庁さんのほうとの利害も一致しているようなので――改めて、よろしくお願いします」

「え、ええ」


 自然な笑顔で蘆北を気圧し、その右手を差し出させる。握手を交わす蘆北と理絵に、直奈はほっと息を付いた。


「そうと決まったら、さっそく作業を開始するわよ。まずは昨日までに収集したデータの再評価――呪術や霊素の存在を前提とするとどう見える?」

「ああそれなら。私たちの方にもそのデータ資料をもらえないかしら?」


 そのまま仕事に取り掛かろうとする研究所所員たちを押し留めたのは、スーツ姿の中年女性――直奈の先輩にあたる警魔庁のベテラン捜査員、昨夜も憑獣を調伏している小野佳津子だ。


「メモリのデータでよろしいでしょうか」

「うーん、そうねえ……出来たら紙でも貰えるかしら? こっち、パソコン苦手な人間も多いから」

「分かりました」


 佳津子の指示を受けて、調査研究所の琴樹奈織が資料の印刷を開始。彼女からUSBメモリを受け取った佳津子は、席に戻る振りをしてそっと直奈に耳打ちする。


「しっかりしなさいよー、ナオちゃん」

「え⁉」

「そんな簡単に、相手に主導権を渡しちゃってどうするの」


 そのまま適当な席に付き、パソコンにメモリを差し込む佳津子。彼女の意図を理解して、切継は「うへぇ」と首を竦めた。

 合同捜査を開始した、警魔庁・蘆北捜査班と汐瑠間調査研究所・第四調査チーム。文化も慣習も全く異なる二つの組織を一緒にして、それで『みんなで団結』なんて事は当然運ばない。まだ互いの力量すら把握できていない現状でも、既に手探りの主導権争いが始まっているのだ。

早々に所員へ作業を開始させた理絵の意図は『捜査を主導する研究所』『それに助言を行うだけの捜査班』という枠組みの構築だ。佳津子が『研究所所員である奈織』にわざわざコピー作業を行わせたのは、理絵の構想に抗するという意思表示だろう。現場捜査の大ベテランである佳津子なら、こういった腹芸もお手の物のはずだ。


――でも俺としちゃ、そういう政治っぽいゴタゴタにはなるべくかかわりたくないんすよねー。


 だって先輩はそんな駆け引き、絶対出来なさそうっすから。内心の苦笑を収めた切継が目を遣った直奈は案の定、研究所所員の質問に律儀に答えようと苦戦していた。


――あーあー、ホントに全くもう。


 口でこそ「これだから魔法少女系は」とか派閥っぽいことも言ってるくせに、なんだかんだで切継にも色々融通してくれる。そんな直奈の本質は、結局お人好しの箱入り娘。でも彼女はそれでいいのだろうと切継が思ってしまうのは、きっと惚れた弱みというやつだ。


「霊素濃度は単純な拡散だけでなく、時間経過による霊素崩壊によっても低下すると考えられています――あ、はい。考え方としては素粒子などと同様で……半減期に相当する期間ですか? 場所によって一定ではないので、武蔵ヶ原の場合どれくらいになるかまでは不明なのです」

「ちなみに、『十三夜』直後の濃度はどれくらいだったんだ?」

「おそらく通常の百倍程度だと思いますが、正確な値までは……」

「わからねーか。だがその年に発生した武蔵ヶ原の事故件数は……ありゃ?」


 直奈に尋ねつつパソコンを操作していた田込雄二の動きが一瞬止まる。


「どうかしたのですか?」

「いや、ちぃっとパソコンが……」


 画面の表示が変化しない機械に田込は首を捻り、いつも通り呼び寄せようとした奈織はしかし、折り悪く佳津子に捕まっている。


「あーくそ、こりゃどうすれば……あんた、分かるか?」

「ぇえ! いえ、ええと……もしかしたらこのボタンを押せば、」

「おお、動いた! と、思ったらまた止まった⁉」「も、申し訳ないのです」「いや、さっきので動いたんだから、今度はこっちをこうすれば!」「今度は、別の画面が表示されたのです!」「うーむ、なるほど――さっぱり分からん!」「こういう場合は、一端初めからやり直したほうがいいのでは?」「なるほど、一理あるな。それじゃあ」「はい。こちらのボタンをポチッと……」


「イヤ、ちょっと待つッす!」


 勢いに任せてパソコンの電源ボタンを押そうとする田込と直奈を、切継が慌てて呼び止めて。警魔庁捜査員に資料コピーを配り終えた奈織が慌てて駆け寄った。

 ドタバタ、ギクシャクの感はやはり否めず。それでもノロノロ低速ながら、合同捜査は押し進む。調査研究所が収集していたデータが警魔庁捜査班に伝えられ、それに呪術知識を踏まえた再解釈が図られる。


「今回工事のB区域一帯における地盤不良ですが……」

「これは霊素濃度異常による霊脈の乱れが原因で間違いないわねぇ」


 実島宏美が提示した資料に、佳津子が億劫そうに答える。


「重機事故の七割も、多分昨夜と同様の憑獣によるものだね。残りの三割はまだ確認中だけど――」

「十年前の工業団地開発が中止になった原因である不審火も、八割以上は確実に霊素関係のものですわ」


 捜査員たちから聞き出した一件一件の情報を、集計していた光澤こよみとこよりもそれぞれ言う。


「で、こいつが交通事故・不審火・局地地震などの年度別発生件数だ。全国平均的な発生件数と工事などの特殊要因を除外した値は、いずれも一九年前がピーク。その後は緩やかだが右肩下がりに推移しており――」

「この変動は、『十三夜』後に推測される霊素濃度変化の範囲内に収まるのです」


 奈織と切継がパソコンで作成したグラフを、田込と直奈が説明する。


「フム――つまり研究所で調べていた異常も今回の憑獣も、『武蔵ヶ原の十三夜』で増大した霊素濃度のせいということですか」


 報告を受けた蘆北はそれまでの不満気な態度を一転、満足そうに頷いた。


「あ、あの!」


 ほっと一息付こうとする部屋の空気を読まないで、口を開いたのは宏美。


「でもそれって、何かおかしくないですか?」


 恐る恐る言う彼女を、蘆北が胡乱そうに睨む。


「おかしい、とはどういうことでしょう」

「だって霊素濃度は、十九年前の事件から徐々に低下してるはずなんですよね」

「事件が起きたのはふた昔も前なのに、なんでまだ濃度が元に戻ってないのかってこと? 確かにちょっと変だけど実際今のここの霊素も平均よりずっと高いのよねー」

「それはおそらくは霊力炉の残骸が、高濃度を保つ役割をしているのです」

「でしたら、何も問題ないのでは?」


 佳津子の疑問に対する直奈の答えを受けて、蘆北が結論を下そうとする。


「でも霊素濃度は年々下がっているはずで、なのに今回工事の重機事故は憑獣が原因なんです。だったらなんで、十年前の工業団地開発には憑獣が関係してないんですか?」

「? 高霊素濃度によって引き起こされる呪術現象は憑獣だけではないんですよ。開発中止の原因が呪術現象だというのは、先ほどお話ししていたでしょう」


 見当違いな宏美の発言によって害された気分を、蘆北は眉を顰めることで表明した。


「でも十九年前に霊素濃度が上がってから、今回の再開発計画が着手されるまでは一度も憑獣事件は発生していないんです」

「ですから、そういうことではないんです。何で分かんないんですかねぇ……」


 なおも話を阻害しようとする宏美へ、声に険を含ませる蘆北。


「いいですか? 武蔵ヶ原で呪術現象が発生しているかどうかと、その現象が憑獣によるものなのかは、全く関係ないのです!」

「そういう、ものなのでしょうか……」


 たび重ねての説明にようやく納得したように、宏美が声を萎ませる。


「いや、いや、いや。ちぃっと待った!」


 ほっと息を付いたのも束の間、研究所所員から上がる新たな声。たしか田込とかいう、最年長のご老人だ。


「霊素のせいで引き起こされるって点では、憑獣も他の呪術現象も変わりがねえんだよな? だからどっちも、霊素濃度が高けりゃ高いほど発生する可能性は高くなる」

「ええ」

「雄さん、そこでちょっとストップ。ミッシー! 言いたいことがあるんなら、ちゃんと最後まで言っちゃいなさい!」


 宏美に再びしゃべらせようとする研究所側のトップの言葉に、蘆北はうんざりとした溜息を吐き出した。

 ああ全く、こんなど素人どもと協力するんじゃなかったと、心の奥底から思う。さっきはほんの気の迷いで役に立つかもと思ったが、呪術能力を持たない人間が呪術事件を理解し解決するなんて土台不可能なのだ。


「ええと、その。発生している呪術現象の一件当たりの被害だと、憑獣顕在化が一番大きいと思うんです。だけどその憑獣は霊素濃度がもっと高い時には現われなくって、十九年もたって濃度も低くなってきた今頃になって顕在化した。これって、本当に偶然なんですか?」

「ですから、呪術現象というのはそういうものではなくてですねえ……」

「うん。確かに蘆北さんの意見が正論だと思うけど、でも宏美さんの言っている事にも一理はあるんじゃないかしら?」


 バランス感覚のみに考慮を置いたせいで全く意味の分からない意見を、捜査員の佳津子がのほほんと口にした。


「武蔵ヶ原って観点からすれば、現象が憑獣によるものかどうかなんてどうでもいいものねぇ。だけど憑獣の顕在化って見地では、それが偶然じゃないかもって仮定は大きいわ」


 違うかしら、と問い掛ける佳津子だが、彼女が何を言おうとしているのか宏美や直奈は理解できない。にもかかわらず蘆北は、少し俯き考えて、まあそうかもな、と頷いた。


「それに確か、顕現した憑獣のベースは量産に向いているタイプだったんでしょ?」

「そーいや、そうだったすね。その上で憑獣が顕在化したのが偶然じゃないとすると――」

「明確な目的を持って憑獣を大量に顕在化させようとしている人間がいる、ということなのですか」

「――なんだ」


 固唾を呑み込む直奈に蘆北はあっさり頷いて、


「そういうことならそうと早く言ってくださいよ」


説明下手な研究所職員を責めるように言った。


「ちなみに捜査班の皆さんは、憑獣を顕在化させようとする目的って想像できますか」


 さすがに口の片隅に浮かんだ苦い笑いは素早く隠して、理絵が警魔庁側に問い掛ける。


「うーん」「そうっすね」「パッとは思い付かないのですが」

「なら、此処武蔵ヶ原で顕在化させようとしている目的、って点ならどうだ?」


 首を捻る捜査員たちに、助言する田込。それでも明確な動機は浮かび上がらずに、せいぜい十九年前の事件と関係しているのでは、くらいしか思い付かない。


「そう。じゃあここら辺で、いったん休憩――いえ、お昼にしましょうか」


 理絵に言われて時計を見れば、短針が指すは『十二』の文字。所員・捜査員の各々が立ち上り体を伸ばした隙に、直奈は佳津子へ身を寄せる。


「あの、佳津子さん。さっき言ってたのって、どういう意味なんですか?」

「さっきのって、『武蔵ヶ原って観点からすれば』云々ってやつ? あんなの、意味なんてないわよ」

「はい?」


 返した佳津子の囁きに、たまたま横に居た宏美と直奈が目を丸くして。直奈の後ろの切継だけが、ああやっぱり、と頷いた。


「あのままだと蘆北さん、宏美さんの言葉を意地でも否定し続けてたでしょ。だから適当にそれっぽいこと言って、あの人が意見を受け入れるための言い訳作りをしてあげただけ」

「ということは、やっぱり。あの蘆北さんは捜査班中でもそういう風に認識されてるって思って間違いないのかしら」


 背後から掛けられた声に、ぎくりと振り向く佳津子。そこにいた笑顔の理絵に、たじろぎ一歩退いて、


「それはまあ、汐瑠間さんの御想像にお任せするわ」


 けれどその場で踏みとどまって、気を取り直して微笑み返す。


「あら、なら好きに想像しちゃうけど――私の考えが正しいなら、私たちってもっと仲良くなれるんじゃないかしら」

「……つまり、団結するには共通の敵を作るのが一番ってこと?」

「まあそれは、佳津子さんの御想像にお任せしようかしら」


 踏み込んだ佳津子の発言にも、ニコッと笑って応じる理絵。二人の遣り取りに当てられて、切継が「ヒィッ!」と息を呑む。そのまま一緒に昼食を、という流れになった彼女たちに巻き込まれ、今なら市場へ連れて行かれる子牛とも友達になれると切継、直奈、そして宏美は確信する。彼等を載せてドナドナ行こうとする荷馬車を停止させたのは、佳津子の携帯への着信音だった。


「はい、こちら小野……うん、ええ、……えぇ!」


 電話に出た佳津子の表情が、次第に曇る。


「……ああ、うん、分かったありがとう。このお礼はいずれね。

 直奈、駅前ホテルで今朝起こった火災は把握しているわよね」


 通話を終えた佳津子は、携帯電話を胸ポケットに戻す間も惜しんで直奈に問う。


「? はい。ですがあれは、呪術とは関係ない単なるボヤだったのでは?」

「今の、警察との折衝役してる知り合いからでさ。火災現場からの救助者リストに、佐々野浩志の名前があったって」


 彼女が述べた名に反応したのは直奈と切継、そして蘆北の三人のみ。


「なんでアレが⁉ だとしたら彼が監視している久間瑞穂は一体どうしたのですか⁉」


 だが続けて直奈が漏らした名前には、調査研究所・警魔庁捜査班を問わずに全員が反応する。


「ゲゲィ!」「嘘、マジ⁉」「この状態で、『十三夜』の元魔法少女が所在不明って⁉」

「は?」「え、なんで?」「どうしてそこで、ミズさんが出てくるの?」


けれどその反応は、全く別の二方を向いたものだった。

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