2-2

「カンカン、ブーブ! カンカン、ブーブ!」


 手足を振り回す愛息の声が、庵美を回想から引き戻す。自分たちの右横を通過した赤い特殊車両を、彼は自分なりの名前で呼んでいた。


「ええ、消防車ね……何かあったのかしら?」


 宣に微笑みかけながら、首を傾げる庵美。


「駅前の火事からの帰りだろう」

「ああ……」


 タンの指摘に、納得したように頷く。そういえば、と、駅前ホテルのボヤ騒ぎで出来ていた人だかりを思い出す。念のためチョコに覗かせたけれど、火事に関係した霊素の乱れは生じていなかった。今の消防車もサイレンは鳴らしていなかったから(おかげで宣は「カンカン、カンカン」と大層不満そうな顔をしている)、無事に鎮火し消防署へ戻る途中なのだろう。


「念のため、もう二箇所も廻ってみましょう」


 乳母車を押して、進む庵美。カランコロンという下駄の音が、歩道のアスファルトに積もっている落ち葉を踏みつけたことにより途切れた。


「何か、思い付いたようだな」

「次の現場は、武原小のグラウンドでしたね」


 主の微妙な気配の変化を悟ったタンの、言葉に答えず庵美は言う。増幅器が示した沈黙を、肯定と解して続ける。


「もし考えている通りなら、霧絵さんには知らせたくありません」


 庵美の母校でもある武原小、武蔵ヶ原第一小学校は、この地区唯一の小学校だ。昨夜であった霧絵も、当然ここに通っていることが予想される。


「順を追って話せ」

「はい。全ては、ミズホが関わっているという前提の上でのお話です」


 学校への道を辿りつつ、庵美はタンへ考えを提示した。


「『近づいて殴る』というミズホの魔法は確かに強力です。彼女なら一夜で五体の憑獣を調伏することも可能でしょう。ですが昨夜の五体は、顕在化すると同時に調伏されていました」

「顕在化前の憑獣を、感知する協力者? だが、」

「ええ。ミズホは事件の後、呪術界からは離れていたと聞いています。そんな彼女と、面識を持っている呪術者は――」


 十九年前の事件によって関わった者たちだけ、と、呟いた庵美は言葉を切る。

 中止されている開発工事の金網フェンスを通り、畑交じりの住宅地に入る。そのちょっとした坂を上った先に、あるのが武原小学校。傾斜に入った乳母車が庵美の両手に重みを伝え、中の宣はチョコの尻尾にじゃれ付き疲れておねむの様子だ。


「そして此処からは、更に私の推測に依ったお話です」


 ウトウトし始めた宣の為に乳母車の日除けを下ろしつつ、矛盾した点がありましたら指摘してくださいと庵美は言う。


「そもそも、『顕在化する前の憑獣を感知する』なんてことが可能なのでしょうか」

「……どういうことだ?」


 常は寡黙を保っているタンの声に、困惑が混じった。


「憑獣とは、人間に憑り付いて特定条件下で顕在化する広義の幻獣です。

 ある人にそれが憑いているのかどうかを、調べるのは確かに可能でしょう」


 実際、霧絵と美那がここ毎夜行っていたのがそれである。憑獣の発生した現場を目撃した美那が『憑かれているかもしれない人間』をリストアップし、彼等の家を二人で訪問。本当に憑かれているのかどうかを確認し、憑かれている場合には調伏作業を行っていた(もっとも憑かれている場合、それが確認できる前に憑獣が顕在化してしまうことが常だったが)。


「ですがそれが出来るのは、あくまでも『憑かれているかもしれない人間』の候補が存在している場合です。その候補リストが無かった場合、対象調査は住んでいる人間全てに広がります」


 十九年前の事件や十年前の工業団地開発失敗で幾分か衰退気味とはいえ、武蔵ヶ原はそれなりの規模を持つ街なのだ。


「此処の住人全員を対象とした感知術式なんて、少なくとも私にはできません」


 そして高位の魔導師である彼女が首を横に振るということは、実現不可能と同義である。


「だが実際に、憑獣は調伏されている」

「ええ。ですから前提が違うんだと思います」


 坂を上り切って一息ついた庵美が頷く。眼前の校門の向こうには、右手に校庭、左手に校舎というオーソドックスな作りの小学校が広がっている。その光景に微かな違和感を感じた庵美は、自身が通っていた校舎が既に建て替えられていることに気付いた。

 体育の授業でサッカーを行っている校庭から、子供たちの歓声が聞こえてくる。


「獣に誰が憑いているのか、事前に承知していたとしたら? それが可能なのは、美那さんのように憑獣が撒かれた現場を目撃していた人間か――あるいは、憑獣を撒いた側の人間です」


 首元のストールをゆっくりと、丁寧に巻き直す庵美。縋るような手つきの彼女に、しかし指摘すべき矛盾点をタンは見つけられなかった。


「だが、なにを目的として憑獣を――」

「此処は武蔵ヶ原なんですよ」


 せめてもと紡ごうとした言葉を、庵美は愚問と遮り断つ。


「私も、一度考えたことです」

――そしてこの子のおかげで、思い止まったことです。


 日除けを持ち上げた庵美が宣の頭をそっと撫でる。目を覚ました宣は振り回した手足で


「ダァ!」


 と抗議の意を示した。

 息子に拒否された庵美は仕方なさそうに、乳母車の上で日向ぼっこしているチョコを一撫で、二撫で。その茶気の猫の皮を被った幻獣は、主の意を受けグラウンドに張られたフェンスへと走る。


「確かに、霧絵には聞かせられんか」

「ええ」


 それが彼女への気遣いなのか、自身の臆病のせいなのかは分からないけれど。

 それでも十九年前の事件の後とは異なって、霧絵さんから逃げ出そうと考えずにいられるのは――きっと今の私には、稔さんや宣がいるおかげなんだろう。

 昨夜四番目に顕在化した憑獣の調伏現場調査をチョコに任せつつ、庵美は金網の向こうで行われている体育授業に目を遣った。

ポジションどころかパスの概念すらあいまいな、低学年児童に拠るサッカー。殺到した数名の生徒によってもみくちゃにされたボールが零れ、それを追って一つの影が跳び出す。


「あれは――」

「ほう。噂をすれば、か」


 跳び出した一人の女子児童――霧絵はそのままボールに追いつき、拙いながらもドリブルで相手ゴールへと詰める。どうしたらいいのか分からずに竦んでいるディフェンスに構わず、大きく振りかぶってシュート。放たれたボールがゴールネットを揺らし、クラスメイトから声が上がる。


「男子に交じって、凄いですね」

「それに、やはり似ている」

「ええ」


 味方の生徒たちとハイタッチを交した霧絵が、庵美に気付く。自慢気な彼女に右手を挙げて答えつつ、確かにキーリそっくりだ、と庵美は過去を思い出す。


――キーリに、ミズホ。そして私。十九年前のあの事件のころ、私たちもグラウンドを駆けている彼女たちのようだったのだろうか。


 けれども庵美は、同時に考えてもいた。


 乳母車の中から興味深げに顔を覗かせているこの宣が、彼女たちのように走り回れるようになるのはいつごろだろう、と。

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