Ⅳ.2017年11月16日 昼

1

 武蔵ヶ原連続憑獣事件の捜査責任者、蘆北賢蒔は貸事務所フロアを見回した。

 事務机は脇に避けられ、空いたスペースには急遽用意された長机とパイプ椅子が並べられている。長机の上では警魔庁の捜査員がパソコン用の延長コードを繋げていて、その隣では汐瑠間調査研究所の、、、、、、、、、所員が、、、コピー機で資料を刷っている。

 全体として雑然と言う印象が抜け切れないが、仕方のないことでもある。汐瑠間研究所が所員八名用の仕事場として借り上げたこの部屋には、現在二十名近い人員が詰めているのだから。


「ごめんなさい、用意に手間取ってしまって。

 会議は九時半からであれば始められると思います」

「ああ、わかりました」


 研究所側の責任者である汐瑠間理絵に、蘆北は頷く。


「まずは昨夜居合わせなかった所員の方々への現状説明もかねて、ウチの直奈から呪術関係の概略をお話しいたします」

「その後が、互いが持っている情報の擦り合わせですね」

「ええ」


 とはいえ研究所ソチラ警魔庁コチラに提供できる情報が存在するとも思いませんが、なんて本音は当然おくびにも出さず、蘆北は長机を振り返る。


「準備は出来てるんだろうな?」

「はい、問題ないのです」


 印刷した資料をホッチキスで止めていた御乃津直奈が、首を持ち上げて答えた。


「あ、直奈さん。資料の方はやっとくんで、説明内容の確認をしといたほうが」

「了解しました、お願いするのです」


 古樫切継の提案に、直奈は普段より幾分か硬い声で頷く。そこに緊張を嗅ぎ取って、こんな簡単な仕事にも不安を覚えている無能な部下に蘆北は小さく舌打ちした。

 蘆北が直奈に覚えている憤り、その大半は今行われた応対から来るものではない。自分たちが現在強いられている時間の無駄、『汐瑠間調査研究所との共同捜査』などという馬鹿けた試みが、昨夜の彼女の行動によってもたらされたものであることを彼は知っていた。



 昨夜の騒動で、蘆北の捜査員たちは三体の憑獣を駆逐している。一体は蘆北自身が。そして小野佳津子、御乃津直奈それぞれの班も一体ずつだ。他にも民間呪術者が一体を倒したり、鑑識班が妙な霊素の乱れを探知しているが、まあそんなことはどうでもいい。それより重要なのは、調伏後に御乃津直奈の班で起こった事態だった。

 あろうことか、直奈たちは顕在化した憑獣と民間非呪術者の接触を許していた。もっともその大半が極道関係者だったことだけは、蘆北にとって幸いだった。戦後日本の暴力団は、呪術界が強い影響力を持っている組織であるためだ。


 暴力団と呪術界隈の繋がりは、第二次世界大戦末期にまで遡る。当時『術派総連合』により団結していた日本の呪術界では、ルーズベルト大統領の呪殺成功を期に、講和派と徹底抗戦派の対立が表面化していた。これは最終的に、終戦前夜の講和派による抗戦派粛清にまで発展。生き残った徹底抗戦派など政府から下野した呪術家たちが、終戦後に身を置いたのが任侠組織だったのだ。

 このような歴史的経緯から、広域レベルにある任侠団体の過半は内部に呪術関係者を擁している。任侠組織内の在野呪術者と政府組織である警魔庁は当初は当然対立していたのだが、蘆北にとって望ましいことに、六〇年代頃を境に両者の関係は穏当なものへと変化している。この背景には、親共呪術者や警察組織など共通の敵の存在がある。特に七〇年代の『頂上決戦』では、警魔庁とヤクザ組織は裏で共同して警察に当たっていたらしい。もちろん二十一世紀も十七年目になる現在では、両者の間に当時ほどの親密性は見られない。それでも元警魔庁長官・蘆北けんを父に持つ蘆北賢蒔であるならば、国内最大の広域暴力団「山中組」の幹部に口を利かせて地方ヤクザの口をつぐませる程度のことは可能だった。


 居合わせた暴力団員に対しては素早く口止めした蘆北だが、問題は彼ら以外の憑獣に居合わせた者、特にその中心である汐瑠間理絵だった。蘆北に先走った直奈から憑獣事件の概要を説明された理絵は、自分たちもその捜査に参加させるように要求――あろうことか警魔庁捜査員である直奈を口八丁で言いくるめ、その主張に賛同させてしまったのだ。

 一般に秘されている呪術の存在を知られ、更には裏切った部下の加勢さえ得られては、いかに蘆北といえども理絵たちの主張を呑まないわけにはいかなかった。よって日が明けた今日、蘆北たちは汐瑠間調査研究所が借りているオフィス内で、理絵たちに呪術について解説を施す羽目になっている。

 とはいえその程度で、全くの素人集団が警魔庁の捜査に貢献できるはずもない。そんなことも分からずに『共同捜査』なんて言い出したあの理絵とかいう女は……いや、彼女の愚かさは、呪術的知識の欠如ゆえと庇い立てが出来なくもない。だから真に問題なのは、その誘いにホイホイ喰い付いた直奈だ。魔術に携わる家の出である彼女は、この試みが全くの無駄に終わることぐらい当然理解できているはずで。にもかかわらず理絵に賛同したわけは――大方これで『非呪術者を巻き込んだ』という失態を有耶無耶にしようとしたんだろうが、そんなボロ隠しの為に貴重な捜査時間を無駄にするなど、まったくもって冗談ではない!



「……とか考えてそうですよね、蘆北さん」

「――ッ、ク!」


『内から湧き出る憤りを、それでも一応は隠そうとしている蘆北』の口真似を切継に耳打ちされて、説明準備で硬くなっていた直奈は思わず吹き出した。


「きッ、切継! 何を言うのですか!」

「いや、ちょっとした冗談っすよ」


 緊張を和らげようという切継の気遣いを理解して、けれど直奈は不貞腐れたように彼から顔を背ける。


「大きなお世話なのです」

「まあまあ、そう熱くならずに」


 いつも通りの、ちゃらんぽらんな態度で応じる切継。


「もうちょっと、テキトーに考えても大丈夫だと思いますよ。再開発工事で発生している事故は憑獣が原因なんじゃないかっていう汐瑠間さんの推測は凄かったですけど、この調査研究所自体は結構いい加減っぽいところもあるみたいですし」


 今日も所員が一人無断欠勤しているみたいで、という切継の言葉にちょうど応じるように、彼等の横でパソコンを覗き込んでいた研究所所員が声を上がる。


「ッぁ! すみません、理絵さん!」

「どうしたの、ミッシー?」

「ミズさんなんですけど、今メールを確認したら今日の休暇届が入ってました」

「メールで? 確かに有給は残ってるけど……あの子が当日報告なんて珍しいわね」

「急用でしばらく休むんで、いつ復帰できるかも分からないけどごめんなさいって――」

「昨日呼び出された町村って人と何かあったのかしら?」


 何やら、ゴタついているようだ。

 昨夜憑獣を倒してヤクザに捕えられた直奈たちに、理絵が示した武蔵ヶ原の調査内容。それは直奈を仰天、納得させるのに足るもので、故に事件解決には彼らの協力が必要だと(半分以上は理絵に説得される形で)思い立ったのだが――けれどもそれは研究所が、カチコチにならなきゃ向き合えないような完璧な組織であることには繋がらない。

 なるほど、だからいつも通りにやればいいのだと考えて――でもこんな大勢の前で話すなんてこと、普段はやっていないことに気付く。だから直奈は、なるべく不敵に微笑んで、


「では……トチッたらフォローはよろしくなのです」

「え、えぇー、俺がっすか⁉」


 残った不安は全部切継に押し付け任せて、立ち上がる。


「それでは、憑獣について簡単にお話いたします」


 並べられた長机の前に進み出た直奈は、汐瑠間調査研究所の所員たちに向けて話し始めた。

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