5-3

「今夜武蔵ヶ原では、此処の他に八体の憑獣が顕在化しました」

「八体も………………って、ぇ?」


 ありえないはずの事態に、霧絵と美那が表情を固まらせる。


「警魔庁の方がいらっしゃってから放った情報収集用の幻獣が、霊素の乱れを捕えました。そのうち五体が即座に、残りの三体も順次消滅したために、町への被害は出ていません」

「被害が無いのはよかったが、それってつまり、」

「わたしの学校で発生したもの以外にも、憑獣が?」

「はい、おそらくは――」「――ううん。もしかしたら、逆なのかも」


 ブルと美那の推測に頷こうとした庵美を、押し留めるように霧絵が言った。


「逆、とは?」


 今までとは反対の問う立場で、霧絵に向けて庵美が言う。


「ミナ姉の学校で発生した十三体の他に、憑獣が何体か存在する――んじゃなくて。誰かが武蔵ヶ原に憑獣をたくさん撒いていて、私たちが追っていた十三体はそのごく一部にすぎないってことです」

「そりゃ、いくらなんでも」「否、むしろそちらの方が自然だ」


 否定しようとするブルを、タンが抑えた。


「オカルト好きの人間に、同好の士を偽って呪術アイテムを贈与して。

 そのアイテムを起点として憑獣の種をばら撒くというパターンを繰り返せば……」


 もし自分がそうしたならば、と考え込んだ庵美が、浮かない顔で頷く。霊素濃度が比較的高い武蔵ヶ原なら、何も知らない人間を媒介に憑獣を拡散させることも確かに可能なのだ。


「それでは武蔵ヶ原全体では、あとどれくらいの憑獣が⁉」

「一番少なく見積もっても、十前後。最悪の場合、百を超えている可能性もありますね」


 美那の悲鳴のような声に、庵美は意識して淡々と答える。


「あっ、でも! 今まで顕在化した憑獣は、みんなミナ姉の学校の人に憑いたのだったから」

「ちげーよ、霧絵。憑獣が顕在化する三パターンを思い出せ」

「えっと、憑かれている人間の精神が不安定になった場合、憑獣自身が封印される危険を察知した場合……そっか、昨日までの憑獣は、私たちが封印しようとしたから顕在化したんだ」


 つまり美那の学校とは無関係の憑獣が、顕在化しないまま武蔵ヶ原に多数潜んでいることは十分ありうる。


「あの、でしたら封印しようとさえしなければ、憑獣も潜在状態のままで――」

「おーいミナ、ボケてんのか? 精神が不安定に、つまり強い不安か何かを抱いただけで憑獣が現れるなんて状態は危険極まりないし、それに――憑獣が顕在化するパターン、その三!」

「召喚を行った術者が、意図的に顕在化させようとした場合……そうでした」

「しっかりしろよ、ったく!」


 呆れ声のブルに叱られて、しょぼくれる美那。とはいえブル自身にも有効な案があるわけではなく、そういえばアイツもこういう時はコイツ頼りだったな、と思い出しつつ庵美を見る。


「潜在状態の憑獣を探し出すことは困難ですし、取りつかれている方との間に『無関係のオカルト好き』が挟まっていては術者の特定もできません」


 もう少し前から動けていればやり様はあったのかもしれませんが、と申し訳なさそうに言う庵美。異変を初めとする周囲の諸々に鈍感となっていた原因を、蜘蛛の幻獣から抱き上げて乳母車へと戻す。ここ一年ほど関心の中心を占めていた彼女の長男が、


「だぁ」


 とご機嫌な声を上げた。


「あとできることといえば、憑獣を撒いた術者の動機からですが……」


 宣のことをあやしながらしばらく考え込んだ庵美が、思い付いたように顔を上げる。向けた視線を霧絵から、彼女が被るブルへと移し、


「霧絵さん。ブルさんとだけで、少しお話させてもらえませんか?」

「え?」

「ああ、霧絵。すまんが頼む」

「……うん、分かった」


 ブルに促され、闘衣を解いた霧絵はかぶっていたキャスケット帽を庵美へと差し出す。同時に向けられた不満気な視線に申し訳なく思う庵美だが、彼女はこれからする話を霧絵に聞かせたくなかった。





「一つ、きかせてください」


 乳母車をコロコロと転がして、霧絵たちから距離を取った庵美はブルに問い掛ける。


「霧絵さんがやっていることを、キーリは――」

「どうだと思う?」

「それは……」


 外観では分からぬ、ブルの視線。けれどそれが乳母車に収まる宣に向けられていることを、庵美は悟る。


「多分、お前の想像通りだよ」

「そうですか」

「ああ――そうだ、あと。昨日、ミズホの奴にも会ったぜ」

「えっ!」

「憑獣が顕在化する現場でな。ありゃあ多分偶然だが、それであいつも憑獣の存在には気付いているはずだ」

「ということは、顕在化と同時に消滅した今夜の憑獣五体は……」

「あいつの仕業かもしれねーな」


 普段は大人しい振りして、三人の中で一番無茶をやるのは結局アイツだったから、とあの頃を述懐するブルに、ミズホは超能力者系でしたから、と庵美も頷いた。


 術の要素や複雑さによって魔法・魔術・魔導の三種に分けられる呪術だが、そのカテゴリー外に置かれているのが『超能力』だ。意志のみに拠ってまず呪術的現象を発生させ、それから因果律を逆転させて術式を無理矢理後付する。その反則的な力は、まさに『能力を超えている』。ゆえに詳細の解明もほとんど進んでおらず、唯一確認されているのが使い手である『超能力者』の性格傾向だ。天上天下唯我独尊、思い込みが強く何処までも我が道を行くタイプが彼等には多い。そして庵美が口にした『超能力者系』とは――呪術能力とは全く無関係の、『超能力者っぽい性格』を指す。その意味合いは、一般社会における『天然系』とほぼ同義である。


「ありがとうございます」


 更に数点の細々した事象を、ブルに確認した庵美が言う。


「おかげで、推測の材料は揃いました」

「そうか。ちなみに、現時点でのお前の考えは――まだ、言えないか?」

「ごめんなさい。考察を纏められれば、明日にでも」

「無理はすんなよ。ただでさえお前は、何でも抱え込みすぎなんだから」

「心配無用だ」


 庵美を気遣うブルの言葉に、彼女の増幅器であるタンが割り込んだ。


「ぁあん、俺がいれば全部大丈夫です、ってかぁ? 信用できるかよ、バーカ」

「貴様の口の悪さは、いつになっても変わらんな」

「おうよ、テメーのそのムッツリ加減もな」

「貴様、侮辱するのか?」

「侮辱も何も、事実じゃねーか」


 ブルのおちょくりに、タンが応じる。庵美の頭と首元で、言葉の応酬が交わされる。ブルに言い返す自身の魔力増幅器の何時に無く饒舌な様子に、庵美は思わず微笑んだ。





「何、話しているのかなー」


 少し離れたブルたちを窺って、霧絵は溜息を漏らす。


「気になります?」


 いつの間にか曇っていた顔を、美那が覗き込むように見る。


「べっつに―」

「あ、拗ねてるんですか」


 分かったような顔をする美那に、霧絵は闘衣を解いた後で羽織ったウィンドブレーカーの背を向ける。


「別に、拗ねてなんか――」


 いないわよ、と言おうとした霧絵の肩に、美那が両腕を置いて。彼女の柔らかな巫女服の袖に包み込まれるふうになって、霧絵はプクリと両頬を膨らませた。


「拗ねたっていいじゃないですか」

「駄目よ」

「拗ねて、いじけて、不貞腐れて、それでもっと頼ってほしいなって思います」

「嫌よ、そんな弱いの」


 毅然と首を振った霧絵はそれでもグィと一度だけ、思いっきり美那へと寄り掛かり、そこから反動を付けるように彼女から離れて振り返る。背中に感じた胸の膨らみが、なんだか無性に腹立たしかった。


「だいたいそんなふうにお姉さんぶるなんて、全然ミナ姉ッぽくないじゃない」

「お姉さんぶるって……わたしの方が、正真正銘お姉さん何ですからね!」

「それでも、頼りになるミナ姉なんてミナ姉じゃないもん!」


 霧絵の暴言にショックを受けて、美那がいじけて不貞腐れる。果たして彼女は気付いていないのか、いないふりをしているのか――こうやってじゃれ付くこともまた、私にとってはミナ姉に頼ってるのの一環だって。


 そう、わざわざ言われなくたって分かってる。私はまだまだ弱っちくて、情けない存在だなんてこと。だから母さんやブルやミナ姉に、迷惑ばっかりかけていて――だから、早く変わりたいし、絶対変わらなきゃいけない。もっともっと強くなって、誰にも頼らず迷惑もかけたりしないような、ちゃんとした大人になるんだと――


 ――そう強く思う彼女は、やっぱり当然、なんにも分かっていなかった。

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