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「効いているな」 


 倉葉菊雄が満足げに頷く。彼の声に後押しされたように、数発の銃声が裏通りに鳴り響く。

 とはいえ彼の振る舞いは、八割方が虚勢である。バーの隠し裏口から脱出した彼らが目にした存在は、それほどまでに今までの常識を根底から覆すものだった。

 間近で聞く銃声は、音というよりも衝撃に近い。大気を振るわせつつ銃底から跳び出した鉛弾は、音速を超える速度で対象へと突き刺さる。道路を占める巨大な化け物、ツタが絡まって出来ているような緑色の固まりが奇声を上げ、捩らせた触手に気圧された男たちが悲鳴を上げる。


「ビビってんじゃねーぞ、テメーら!」

「甲栢組の看板に泥を塗る気か!」

「気概見せェ!」


 倉葉を含めた数名が声を張り上げて、逃げ腰になった男たちを無理矢理その場に止まらせる。再び数発の銃声と共に鉛玉が化け物へ殺到し、数発はアスファルト上でうねる触手を引き千切るが――それが化け物に対してどれ程の打撃になっているのかなど、倉葉には見当もつかない。それでも部下を叱咤して化け物に抗し続けるのは、極道ものとしての矜持と――隣で怒声を上げている他の組幹部との政治力学的な問題だ。

 一桟会の会長である彼がここで尻込みすることは、一桟会、更にはその上部組織である柴佳組の株を下げることになる。たとえ名目上だけであっても侠気が最重要視される極道社会、「化け物が怖くて逃げだした臆病者(チキン)の集まり」なんて風評は容易に組の致命傷となる。もちろんそれで困るのは、他の組の組員も同様だ。だから初めに逃げ出すという貧乏くじを押し付け合って、正体不明の化け物相手を相手に勇戦し続ける。

 とはいえこんな意地の張り合いで命を落とすのも堪らないので、倉葉は隣で指揮を取る甲栢組若頭と視線を交す。サングラスに隠された相手の瞳と、「まだやるつもりかよ?」「あぁん、こっちは問題ねぇぜ」「まあそっちがその気なら、だがよう」「おう、確かにここいらが潮時かもな」とアイサインだけで意思を疎通し、双方の組員を同時に退かせようとしたところで、


「はいはい、ちょっとどきなさーい! 危ないわよ!」


 場違いな声が、場に乱入した。

 確かバーに居た、汐瑠間理絵。刑事デカだった田込が再就職した会社の社長をやっている女だ。組に属してもいないのに何故か逃げ出さずにいた彼女は、手にしていた酒瓶を怪物めがけて投げつける。


「なにを――てぉぃ⁉」


 理絵が投げつけた【口に詰めたハンカチを着火した状態で投げつけられた、スピリタス(アルコール度数、九十五度)の酒瓶】は、割れると同時に撒き散らされたアルコールに着火した。


「うん、やっぱり点よりも面で攻めたほうが効果がありそうね」


 ツタの固まりの表面を炎に晒されて大きく後ずさる化け物に、理絵が満足げに頷いく。


「モロトフカクテルですか……」

「はー、安田講堂を思い出すねー」


 唖然と呟く倉葉の隣で、甲栢組若頭が呆れ顔で苦笑する。


「汐瑠間さん。あんた、この化け物の正体を……」

「知らないわよ、全然。ただ銃じゃ貫通しちゃいそうだから、まとめて焼き払ったほうがいいと思っただけ」


 それより、使わない? と理絵が示した視線の先にあるのは、バーから脱出するときに彼女たちが持ち出した『アルコール度数の高い酒の瓶』。その十数本の瓶口に、汐瑠間調査研究所の所員たちが布を詰めている。極めて簡易な火炎瓶、それでも十分に効果があることは、もう理絵が証明していた。


「その機転――あんた、カタギにしておくにはもったいないな」

「何よそれ。ちょっと酔っぱらって、気が大きくなっちゃってるだけよ」


 倉葉の絶賛を、理絵はひらひらと片手で払った。

 勝ち馬に乗り、水に落ちた犬を叩くはヤクザの得意分野である。勝ち目が存分に生じたならば遠慮する理由など無い。調査研究所所員たちの下へと殺到した組員たちは、準備された火炎瓶を奪うように受け取っていく。彼らにアブサンの瓶を渡しつつ、酔いで恐怖が麻痺した思考を宏美は化け物へと向けた。


――本当に、一体、何なのだこのツタの固まりは。急に現れて、正体不明で、全く訳が分からなくって……でもまあ訳が分からないって点では、わたしがやっている最近の仕事も十分訳が分からない状態で……あれ、ええと、わたしの仕事って、酒瓶の口に布を詰めること――じゃなくて武蔵ヶ原の調査だから、でもこの化け物が出た此処も武蔵ヶ原ではあるわけで……


 目の前の現象と自分の仕事を宏美が結び付けようとしたちょうどその時、次々に投げつけられた火炎瓶で全身を焼け焦がしていた憑獣にも変化が生じた。







 変化の原因は、警魔庁職員・御乃津直奈が発動させた結界術だった。憑獣を形取っているツタの構成霊素に干渉することで、強引に地面へ抑え込む。同時に表面を覆っていた炎までもが搔き消えて、目を瞠る宏美たちの眼前に切継が躍り出る。

 憑獣に向かう切継が、持っていた刀を躊躇せず鞘から抜き放つ。

 鞘に施されていた封印が解け、刀に宿った呪いの効果が発動する。

 怨嗟の声が鳴り響き、切継の胸を締め付ける悲哀。視界が黒く染め上げられて、全てを憎悪しなければならないという観念が彼を追いたてる。際限なく沸き立つその負の想いにけれど切継は抗わず、ただ牙を剥く方向性だけを誤らずに制御する。ブレーキが存在せず、アクセルを常にべた踏みの車で峠を駆け下りるような感覚――そしてそれこそが、切継の切り札かつ基本的な戦法だ。

 刀に宿った呪いの力と己の力を掛け合わせ、絶対的な一太刀を放つ。二太刀目など端から度外視したその刀法は、薩摩で生まれた古流剣術を彼なりに応用したものだ。

 よって名付けて、裏示現・呪詛の一太刀。

 全身全霊は愚か、刀に込められた数百余年の呪いまで込められた斬撃に、既に火炎瓶で焼け焦げていた憑獣が耐えられようはずも無い。


「……また、失敗ですか」


 あっさりと消滅する憑獣を当然のように受け入れて、けれどそれには目もくれずに直奈は呟いた。

 彼女が向けた視線の先で、切継の残身が揺れて崩れる。呪刀の怨嗟を受け入れて、それを加味した一撃を放ち、よって当然その後は刀の呪いに身体までもを乗っ取られたのだ。

 これが切継の刀法が持つ最大の欠点にして、直奈が彼とペアを組まされている理由。己に宿った怨嗟がままに刀を振るうべく踏み出した切継へ、慌てず騒がず落ち着いた様子で直奈は呪言を唱える。


「まったく、世話が焼けるのです」


 呆れ顔で言う直奈だが、切継のこの醜態はもとより織り込み済みのもの――たとえ刀の呪いが切継の意志を乗っ取っても、結界術の専門家である直奈ならば容易にそれを取り戻せる。だから方向を制御可能な一撃目で憑獣を撃破出来ている以上、何の問題も無いはずで――唯一誤算だったのは、その場に彼らと憑獣以外の第三者(しかも呪術ではなく、結界術では防ぎようの無い物理兵器を主武装とする者たち)がいたこと。


 と、いうわけで。直奈の結界術により愛刀の呪いから意識を取り返した切継が目にしたのは――自分と直奈を取り囲み、四方八方から銃口を突き付ける「ヤの付く自由業の方々」だった。

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