3
住宅地で発生した交通事故の現場には、深夜に不相応なざわつきが生じていた。
電柱に衝突したトラックを、取り囲む寝巻き姿の野次馬たち。駆けつけた警察官が、トラックに近づかないようにと彼等を怒鳴りつける。傾いた電柱の脇にへたり込んだトラック運転手が漏らす「猿が、女の子が……」という呟きは、野次馬と警察官の押し合いによって揉み消された。
その喧騒を興味なさげに一瞥し、古樫切継は御乃津直奈に視線を戻す。
「もう、終わっちゃったんですかねぇ?」
「いいえ、場所を変えただけなのです」
街灯に置いた右手から霊素の乱れを辿っていた直奈は、双眸を閉じたまま首を振った。
「飛翔魔法の反応は、通りの先で続いています――今、一キロ先を右折しました」
「右に曲がったってことは、東原公園ですね。人目を気にせずドンパチやるにはいい場所です」
切継が素早く携帯を操作し、地図検索サイトを表示する。
「公園へなら、こっちの通りから行くのが近道っす」
「なら、行くのですよ」
「あ、待ってください」
すぐにも走り出そうとする直奈を、携帯のディスプレイを除いていた切継が呼び止めた。
「ちょっとメールが……あれ、これ『魔女』さんからですね」
「魔女って、あの『武蔵ヶ原の魔女』ですか?」
「ええ。今朝の訪問時にアドレス交換しておいたんで」
魔女と呼ばれるその女性が妙齢の美人だったから、という理由は当然口にしない。
「というか先輩も、携帯くらい持ちましょうよ」
「う、うるさいのです!」
からかい交じりのごまかし言葉に、機械を苦手とする直奈が顔を赤くして声を荒げた。まあこういうところも可愛いんだけど、などと内心で独り言ちつつ、切継はメールを確認する。
「ありゃ。魔女さん――庵美さんも動くそうです」
「動くって、この憑獣騒ぎに?」
「はい、警魔庁に協力すると。
もう、東原公園の入り口にまで来ているって言ってます」
つまり切継と直奈より、彼女が先に憑獣へと接触可能だということ。確かに数多の幻獣を操るという『魔女』なら、憑獣に先回りするのも決して不可能ではない。
「じゃあせっかくですし、もう全部彼女に丸投げしちゃいますか?」
「何を言っているのですか! いくら高位魔導師でも、彼女は民間人なのですよ」
「はは、そいつは残念――ありゃ?」
冗談交じりの提案を一蹴され、首を竦めて見せた切継は続いて着信したメールに顔を顰めた。
「また、魔女さんなのですか」
「いえ、今度は小野さんから――ちょっとまずいですね」
切継が口にした先輩警魔庁捜査員の名に、直奈は無意識に取っていた不貞腐れの表情を改めて、
「中原通り沿いの畑でも憑獣が顕在化。そっちを調伏するために、繁華街裏に出た憑獣の対処には向かえないそうです」
「な、なんなのですか、この武蔵ヶ原は! 憑獣が一晩に四体も顕在化するなんて!」
続けられた報告に、思わず声を張り上げた。
現在、武蔵ヶ原に展開している捜査班の人員は十数名。とはいえその半数は鑑識要員で、呪術戦に対応できるのは六人だけだ。それをツーマンセルの三組で運用しているが、班長を含めた一組は郊外に出現した憑獣へと既に急行中。新たに出現した憑獣に小野組が拘束されるとなると、繁華街裏・東原公園、どちらか一方の憑獣しか対応できない。
絶対的な戦力不足と、警魔庁職員としてのプライド。混在した焦りと意地は、いっそ二人組を解いて別行動すべきか、との妄想を直奈に抱かせる。そうすれば私と切継で一体ずつの憑獣へ同時に対応でき――いえ何を考えているのですか、切継の単独行動は危険すぎます――でも非常事態だからこそ柔軟な運用が必要ですし、それに元魔法少女である魔女なんかに憑獣を任せるのは……
「どうしましょう。とりあえず
「……あの男に事を伝えることに、現状で何か意味があるとでも?」
「――いえ、ごめんなさい。時間の無駄以外の何物でもないっすね」
捜査班のトップである
「仕方がありません。東原公園の憑獣は魔女さんにお願いするのです」
警魔庁に属していない民間人に憑獣を任せることに、忸怩たるものがあるのだろう。悔しさを声に滲ませて、それでも直奈は決断を下す。
「私たちは、繁華街裏に向かいます」
「了解です」
頷いた切継は左肩にバットケースを背負い直し、右手で携帯の音声認識ツールを起動。『武蔵ヶ原の魔女』に宛てたメールを作成しつつ、『跳躍』魔法を発動させる。
「急ぎます!」
直奈の声を合図として、二人は夜の道を疾走――息を全く荒げさせずに、数メートルを一足で跳ぶ。トラック上で見せたならばオリンピックもののその走りは、『跳躍』魔法によるものだ。空中を『跳んで』いる間が無防備になるため戦闘での使い勝手は悪いが、術式が単純で霊素消費効率も良いために、短距離移動時には多くの呪術者に重宝されている(ちなみに戦闘時には、より単純な『身体強化』か複雑だが空中での機動が可能な『飛翔』を使うのが一般的。『跳躍』では対応できないような長距離を移動する場合には、車などの非呪術的手段に頼るのが常識だ)。
「待つのです!」
線路を越え、繁華街に入り、そのまま霊素反応に導かれて裏路地へ――踏み込みかけた切継を、直奈が抑え止める。
「何すか? 急がないとまずいんじゃ」
「銃声が聞こえました。それに、見るのですよ!」
抑えた声で言う直奈。彼女が視線で示した先には、どう間違えても会社帰りのサラリーマンではない装束の男が二人、道路を塞ぐように立っている。
憑獣顕在化の現場が、既に封鎖されている? 自分たち以外にもこの町で、捜査に当たっていた警魔庁職員が居たのだろうか。困惑する直奈の聴覚が、更にタン、タタタンという小刻みな炸裂音を拾う。やはり、これは銃声だ。それに聞こえてくる音からして、発砲している人数が一人や二人とは思えない。豊富な火力と、現場を即座に封鎖できる組織力。両者を保有する組織は、警魔庁内にもそうはない。
「まさか、武田組が?」
「いや、違うでしょう」
驚愕と共に警魔庁強行捜査班の名前を口にした直奈を、切継は冷静に否定する。
「ありゃ、どう見てもヤンキーかチーマーのファッションっすよ。多分ヤの付く自由業の人たちの下っ端だと」
「え⁉」
「そういえばこの辺で抗争が起こってるってニュースでやってましたから、その現場を憑獣が巻き込んだんでしょう」
まあどっちがどっちを巻き込んだと言うべきなのかはわかりませんが、と付け加えた切継だが、直奈は真顔を傾げるばかり。そんな世辞の疎さもいかにも彼女らしいと苦笑を漏らした切継は、まあ任せてくださいと手を振り通りへと踏み出す。奇抜なカラージャケットに身を包んでいる二人組が、ぎょろりと目を向きガンを垂れた。
「ぁ、なんだテメーは⁉」
「さあ、なんなんでしょうねえ」
「ふざけてんのか、ゴルァ!」「お呼びじゃねーんだよ、ニーチャン。さっさと帰んな!」
「き、切継ぅ!」
おそらく初めて接触したのだろう人種から頭ごなしに怒鳴られて、テンパった直奈が悲鳴を上げる。涙目で見上げる彼女の頭を思わず「よしよし」と撫で付けたくなって、上げかけた右手を誤魔化すために切継は自らのこめかみを掻いた。
「ま、まずいのです! ここは退くべきなのですよぉ!」
「いや、そーいうわけにもいかないでしょう」
「って切継、何をやっているのですか!」
「だって、此処通らないと向こういけないじゃないですか」
止めようとする(というか、怯えて裾にしがみ付く)直奈のことを宥め賺し、切継は二人組へと無造作に歩み寄る。彼女の意外な側面を見ることが出来たのは嬉しいが、でもやっぱり怯えさせたことは許せない。それに捜査の邪魔になるのも事実だから、彼等に容赦する理由も無い。
「オウオウ、嬢ちゃんのほうは少しはモノが分かってるじゃねーか!」
「テメーもよう、格好付けてっとケガすっぞ!」
「痛い目見ねーと分かんねーのか、アァ!」
「いえいえ、そんなつもりは――無いんですけどッ、ね!」
彼らの懐に踏み込んだ切継は手にしていたバットケースを一人目へ袈裟懸けに振り降ろし、あっけにとられた二人目のみぞおちに左ひじを突き入れた。
あっけなく倒れ臥す二人。気絶していることを確認した切継が振り返る。
「じゃあ、行きましょうか」
「ちよ、ちょっと! 十秒だけ待つのですよ!」
安心させようと笑い掛けた切継に、直奈は感電したように躰を震わせて、そのまま俯き、息を吐く。更に息を吸って、もう一度吐き、吸って、吐いて、吸って、吐いて……深呼吸を繰り返して宣言通り十秒後、再び顔を上げた彼女はいつもと同じ憮然とした表情を切継へと向けた。
「……取り乱しました、感謝するのです」
「いえ。それじゃあ急ぎましょうか」
いつも通りを装う直奈の瞳がぎこちなく揺れて自分を見れずにいることを、当然切継は見逃さない。けれどそれを指摘することも当たり前のようにしないで、内心で取ったガッツポーズは勿論おくびにも出さない。
気絶させた二人のような連中が辺りを封鎖しているせいだろう、人影が見られない路地。霊素を辿るまでも無く聞こえてくる銃声と罵声を頼りに、直奈と切継が掛け進む。先ほど振るったバッドケースのチャックを開けた切継が、鞘に収められていた一振りの刀を取り出して、
「それを、使うのですか?」
「ええ、必要なら。東原公園のことも考えると、速攻でケリを付けた方が良さそうっすから」
「分かりました、フォローは任せるのですよ」
二言三言の遣り取りだけで方針を取り決める。前衛役の切継が『身体強化』で速度を高め、結界術を専門とする直奈が小さく呪言を詠唱しつつ、角を曲がって曲がり角を踏み込んだ二人の目前で――
満身創痍の憑獣が、悲痛な叫び声を上げた。
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