4-2

 町村剛平太、および彼が作り出した霊力炉の名は、多くの呪術関係者の間では悪名として知られている。

 剛平太は、自己の際限ない欲望ゆえに霊脈の力に手を出した俗物として。霊力炉は、重大な広域呪術災害を引き起こした恐るべき魔具として。


 どちらも事実だ。だが、それだけが真実ではない。


 工学博士である剛平太が試みたのは、呪術と科学技術の融合。その発想は今現在も有効で、世紀が変わる少し前におきた魔具製造技術の革新も、彼の理論を基にしている部分は決して少なくない。そんな彼が目指したのは、霊的エネルギーの電気エネルギーへの変換。それを実現する霊力炉は、水力・火力・原子力の三軸からなる日本の電力供給構造に新たな一軸をもたらすはずだった。

 事実という点では同じはずであるこれらを、知るものは少ない。知っていても、それを表明しようとするものは皆無に等しい。同種事件の発生を危惧した当時の警魔庁主流派が、『先駆者としての剛平太』というイメージの否定を目的とした印象操作を行ったためだ。ゆえに現在、『武蔵ヶ原の十三夜』は酷く単純化された形で流布されている。


 町村剛平太は、人々に災いをもたらす魔具『霊力炉』を作り出した悪い呪術者。彼は自らの野望のため、弟である甲次郎と瑞穂ら三人の少女達に力を与え利用した。だが剛平太の良からぬたくらみに気付いた甲次郎は、少女達と協力してこれを阻止。自暴自棄になった剛平太は霊力炉を暴走させ、自らもそこに取り込まれる。霊力炉は周囲に甚大な被害を与えるが、最終的には少女達の活躍により封印された。


 当事者である瑞穂とって、それは全く別の魔法少女事件を語っているとしか思えない内容だ。だが、このでたらめを否定する権利を彼女は持っていない。暴走した霊力炉に対峙した自分達が封印に失敗したことも、その失敗により武蔵ヶ原の被害が更に拡大したことも、霊力炉を本当に封印したのは自ら炉に取り込まれた剛平太であることも、公表することは許されない。

 剛平太の行為を肯定すれば、彼を殉教者と見做す模倣犯を生むことになる――その判断を、警魔庁は今も崩していないためだ。




 失礼しましたとの声を残して、ウェイトレスがカウンターに戻る。彼女が運んできた二杯目の紅茶を、甲次郎がゆっくりと啜る。向かいに座る瑞穂は沈黙……言いたいことはあるはずなのに、発すべき言葉が見つからない。


「博士がやった霊力炉の封印は、失敗していたってこと?」


 押し黙ったままの瑞穂に替わり、イツデが言う。


「というより、『封印』という行為の意味合いが違っていたと言うべきでしょう。イオミさんが試みたものとは異なり、兄さんが行ったのは炉の一時的な機能停止でした」

「つまり暴走が止まった後も、炉の存在は維持されていた――」

「結果、現在の霊力炉は半休止状態にあります。行っている活動は主に二つ。霊脈を通る霊素の増幅と、臨界まで増幅された霊素の放出です」

「昨夜の憑獣も、臨界状態で放出された霊素が顕在化したせいなのかい」

「はい。他にも不審火や工事現場での事故など、複数の現象が引き起こされているようです」


 つまり研究所で調査している武蔵ヶ原の問題は、霊力炉が原因なのだろう。解決された、一つの疑問……だが本当に確かめなければならないのはそんなことじゃない。震えそうになる声を意識して押さえ、瑞穂はゆっくりと口を開く。


「なら……炉に取り込まれた人たちは?」


 四百名を上回る、事件での死者・行方不明者。その中の八割近くは『死者』ではなく、霊力炉に取り込まれた『行方不明者』だったはず。炉が存在し続けているなら、その中にいるはずの彼等は――


「彼等は今も、炉の中に存在しています」


 はっきりと分かるためらいの後に甲次郎が口にしたのは、極めて残酷な事実だった。


「炉と霊的に合一したことで、その安定度はヒトの範疇を大きく逸脱――外的要因が加わらない限り、現在の状態は半永久的に維持されるはずです」

「彼等を助け出す――炉から引き上げる方法は?」

「不可能です。十九年前の夜にならともかく、これだけ時間が進んでは」


 縋るような瑞穂の言葉を、甲次郎は否定する。無為乾燥な冷たい声、感情を宿さぬ機械的な返答。その意味を、瑞穂は誤解することが出来ない。炉に取り込まれるということを、彼女もまた体験として知っているためだ。

 それは炉に存在を侵されかけた時に、垣間見た深淵。虚無に満ちた刹那の連続。

 眼球の裏を拭き取られ、脳髄の溝一筋一筋を細針でなぞられるような感覚。全身を包む激痛は肢体の存在を忘却させ、時という概念の棄却を強いる。発狂することさえも許されず、一瞬は永遠へと替わり、暗闇さえないその中で、鋭化した思考が巡り狂う。

 ほんの僅か、束の間の記録――年月がたった今でさえ、記憶と認められぬ感覚。だがその中に、彼等は常に浸されている。この十九年もの間、今なお、そしてこれからもに。

 想いを宿して、語れるわけが無い。冷徹にならねば、考えることすら耐えられぬ。甲次郎が伝えた事実は、瑞穂にとっても厳しすぎるもの。だから、瑞穂は理解してしまう――彼が何をするつもりなのか、何故自分たちと連絡を取ったのか。


「助けることは無理でも、終わらせることはできるのね」


 質問ではなく確認のため発せられた彼女の言葉に、甲次郎は頷いた。


「複数の憑獣が発生していることからも分かるとおり、炉の活動はここ最近活性化しつつあります。これは危険なことですが、同時に好機でもある。封印が解けて霊力炉が起動状態に移行するタイミングでならば、炉を完全に解体することが可能です」

「でも炉が起動状態になるリスクを、警魔庁は侵さないでしょう」


 なぜなら警魔庁の役割は、現世における治安の維持。炉に取り込まれてもう戻らぬモノは、保護対象になり得ない。


「ええ、ですからこのことは警魔庁に知らせていません」

「庁に秘密裏で、炉を解体する――わたしたちを呼んだのも、そのため?」

「はい。出来うる限りの準備を進めてはいますが、警魔庁から隠れて動くことのできる人間は限られます。解体作業に廻せる人間が現状ではわたししかいない。手伝ってもらえないでしょうか」


 瑞穂に向けられた甲次郎の眼差しはどうしようもないほど真っ直ぐで、それだけは十九年前と少しも変わってはいない。

 彼はわたしと、正反対だ。わたしが逃げ続けた十九年前の事件に、ずっと向かい合ってきた。

 視線を珈琲カップへと逃がそうとする瑞穂を、甲次郎の声が追いかける。


「兄さんを、救いたいんです」

 ――それが彼の存在を、終わらせる行為だとしても。


 漏れ出した言葉。胸の中に秘めてはいても表す意思は無かっただろう本音。カップの取っ手に添えられた瑞穂の手が、動きを止める。


 兄さん――博士、町村剛平太。


 どこまでも、その最期までが自由奔放だった彼は甲次郎の自慢の兄であり、同時に瑞穂たちにとっては『理想の男性』だった。

 なにもかも貫いて真っ直ぐ進もうとする意志と、それを実現させるための緻密な思考。豪放なのに、どこか洗練された物腰。自らも部下を持つ立場になったことで改めて実感できた、細やかな気遣いに裏打ちされた統率力。

 好きだった――初恋だった、それが少女が抱く憧れに過ぎなかったとしても。

 だから瑞穂は事件の後も、博士を恨むことはできなかった。逆に悔い、自分を責めた。武蔵ヶ原を滅茶苦茶にしてしまったことと同様に、両親を含む多くの人々を死なせてしまったことと同時に、彼を救えなかったことを――


 逃避と同然の回想から、強引に意識を振り戻す。感情に押し流されようとする思考の手綱を締めなおす。


「炉が、いつ起動状態になるのかは分かるの?」

「はやくて明日の夜、少なくとも四、五日中には移行が開始するはずです」

「そう」


 カップを持ち上げ、傾ける。三分の一ほど残っていた珈琲を、勢いよく喉に流し込む。酸味と甘味の入り混じった液体が、味蕾を鋭く刺激する。


「少し、考えさせて」

「ですが、」

「時間が無いことは分かってる。でも、わたしも少し混乱してるわ」


 甲次郎の顔に浮かんだ失望と安堵、それに気付かぬ振りをして瑞穂は言葉を続ける。


「少し落ち着いてから、頭の整理を付けたいの。そのために――四半日でいいわ」

「…………分かりました」


 甲次郎は頷くと、名刺に携帯の電話番号を書き加えてテーブルに差し出す。結論がでたら連絡をください、そう言った彼は戻す手で、隅に置かれた伝票を押える。わかったわ、と頷いて、軽い会釈とともに席を立った瑞穂は、自分の珈琲代を出そうかと少し迷ったが結局やめた。



 喫茶店を後にする瑞穂の足取りはしっかりとしたもので、つまり結論はもう出てるわけね、とイツデはカバンで独りごちる。

 瑞穂は甲次郎に、協力することになるだろう。その決断を、彼女は迷わない。いや、たとえ迷ったとしても、協力しないという決断を下すには至らない。十九年もの間弄くり続けた事件に対する罪悪感が、彼女にそれを許さない。

 だから今の瑞穂は、本当に彼女の言葉通り、混乱しているだけなのだ。今までの日常から、唐突に乖離した現実に。

 落ち着いて心に整理をつけ、現実を受け止めることに成功したなら、彼女は甲次郎に助力する。そうしたいから、ではなく、そうすることが責務と信じて。そしてわたしは、彼女をサポートする。それが彼女の増幅器である自分に与えられた役目だから。

 当然の帰結である未来予測に、躊躇いを覚えている自分に気付く。その原因を把握したイツデは、瑞穂に決して気付かれぬよう小さく自嘲の笑いをこぼす。彼女を迷わせているのは、これから過去へと変わるだろう日常への――増幅器としてではなく、瑞穂の手袋兼話し相手として過ごしてきた、十九年間という日々に対する未練。


 瑞穂が名刺に記されている電話番号へコールしたのは、それからきっかり六時間後のことだった。

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